笠岡市でのお試し暮らし体験記㉓では、福山市にあるホロコースト記念館について書きたいと思います。
ホロコースト記念館はその名の通り、ホロコーストの歴史を伝える教育施設であり、
1995年にここ福山市に建てられました。
2007年10月には新館となり、館内には映像を見るブースや
当時実際に使われていた遺品等も数多く展示されています。
なぜ福山市にホロコースト記念館があるかというと、
初代館長の大塚氏(名字が同じで勝手に親近感がわきます)が
自身の所属する合唱団の一員としてイスラエルに訪問していた際に、
偶然、アンネの父であるオットー・フランクさんに出会ったのがきっかけと言います。
わたしの娘の書いた日記をご存知ですか?わたしはアンネの父、オットー・フランクです
そうした出会いを経て館長とオットーは10年近く親交を重ねます。
1980年にオットーは亡くなりましたが、オットーの
平和をつくりだすために何かをする人になってください
という願いに応えるかたちで、館長は自身の仕えていた教会の敷地内にこの施設を創ったそうです。
偶然の出会いもすごいですし、館長のこうした行動力は本当にすごいなと…ただただ敬意を表したくなります。
展示内容はユダヤ人の歴史やホロコーストが起こるまでの社会の動きはもちろん、
強制収容所での生活や抵抗運動などなども学べるようになっており、とても充実しています。
本当に勉強になりましたし、ちょっと震えるというのでしょうか…そんな感覚も覚える施設でした。
そんな(今の日本には特に)本当に本当に大事な施設なのですが、
なんと、ここの記念館は入館料が無料となっています…。
ぜひ多くの人に一度は訪れてほしいと思いますし、書籍や記念館の資料なども販売されているので、
入館料の代わりにでも(私は内容の良さから購入させてもらいました)ぜひとも思います。
こうした貴重な施設は永久に残っていてほしい、残しておく必要があるだろうと強く思うのです。
㉒で福山市が「ばらの街」であることと、
アンネの日記で有名なアンネフランクの形見の「ばら」もあると書きましたが、
そのばらはこの施設にあります(写真を撮り損ねてしまいました)。
また、アンネが隠れ家からいつも見ていたと言われるマロニエの木が、
アンネの実のいとこと、アンネ・フランク・ハウスから贈られてきたそうで、
それも敷地内に植えられていました。
そうしたことからも、ここが世界の人から
いかに「大切な場所」として認知されているかを感じることができるでしょう。
ここでの学びについては分けて書こうと思いますが、
この施設に行くことができたことは私にとって本当に貴重な経験でした。
私がこの施設を知ったのは広島に縁のある後輩が教えてくれたためです。
私が西日本に行くと話したら「関心があるかなと思って…」と教えてくれたのです。
日本に、ましてや福山市にこうした施設があるとは思いもよらず、、
そうした縁から訪れることができたことには本当に感謝してもし足りないです。
そう思わせてくれる施設もすごいなと思います、
もちろん、ホロコーストなんていいうことが起こらなければよかったのですが…。。
もうすぐ今年が終わりますね。
「徹子の部屋」のゲストであったタモリさんの
「(来年は)新しい戦前になるのでは」という言葉が話題になっています。
日本は今軍拡化を進めようとし、危機的状況にいるように私には感じられます。
その中で、この施設が伝えている数々の証言や言葉たちは、大変重要な意味を持つのではないかと感じています。
来年になってしまうと思いますが、
こうしたことについてもお試し移住の体験のひとつとして、書いていきたいと思います。
それも「平和をつくりだすために」する何かのひとつと考えています。
最後に記念館のガイドブックのはじめに書かれている言葉を載せて、この記事は終えたいと思います。
一年間、お試し暮らし体験記を読んでくださりありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
「わたしたちは過去を変えることはできませんが、未来を変えることができます」
(オットー・フランク:アウシュビッツ生還者、1889~1980)
「過去を忘れず、現在を生き、未来を展望しよう」
(アバ・コブネル:ホロコースト生還者・詩人、1918~1987)