前のお試し暮らし体験記の記事から一か月以上経ってしまいましたが

(お試し暮らしを終えて三週間ほどが経ち、ようやく落ち着きました)

お試し暮らし体験記の続きをぼちぼち書いていきたいと思います。

お試し暮らしの半年があまりにあっという間過ぎて「本当に行ってきたのかどうか…」状態でしたが、

ようやく地に足が着いてきたところで、振り返りも兼ねてまとめていけたらと思っています。


 

さて、笠岡市でのお試し暮らし体験記⑰では、岡山にて参加したシンポジウムについて書きたいと思います。

倉敷市水島で『倉敷・水島の公害と福島原発事故 2つの公害をむすぶ』というタイトルの

シンポジウムが行われました。

コロナ禍になり、シンポジウムなどは基本オンラインで参加することが多くなっていましたが、

今回はちょうど私が岡山にいたこともあって現地参加をさせていただきました。

現地参加をしたことで、テーマに対する熱量のようなものや、

お会いしてみたかった方とお話ができたり思いがけない縁を得られたりと…

そうした現地参加ならではの経験を(久しぶりに)させていただき、とても貴重な時間となりました。

オンラインが普及してくれたおかげで遠方で行われているシンポジウム等を聴くことができるようになり、

そのことの恩恵も感じてきましたが、やはり現地にいないと感じられない・得られないことというのが

確かにあることも改めて痛感させられてきたところです。

何を隠そう、以前書いた『ほっと岡山』さんとお会いできたのも

このシンポジウムに参加したおかげでして、ありがたいつながりができたことには深く感謝しているところです。


 

このシンポジウムはタイトルにもある通り、

東日本大震災によって発生した福島原発の事故による被害と、

倉敷市水島でかつて起こった公害がメインテーマであり、

各登壇者からそうしたテーマで話がされ、後半は当事者からも話を聴くことができる構成となっていました。

お恥ずかしいことに、倉敷・水島で起こった公害について私は全く知らず…

このシンポジウムで初めて知ることとなりました。

無知な私の傍らでは、倉敷・水島、公害に関する写真などがスライドに映されると

「○○さんかな」などという話がされており、当然のことですが、

ここに住む方・被害を受けた方にとってこのことは知らないでいられるわけのないことなんだよなと

自分の無知さや特権を思い知らされました。

改めて、立ち位置が変われば風景が変わるということを感じさせられる時間であり、

知らないことだらけだなと、その知らないことだらけだということ自体を知ることができているのは

こうしたお試し暮らしをさせてもらっているからだなと、そんな風に思いました。

倉敷・水島の公害のことについては次の記事でしっかり扱いたいと思いますのでこの記事では触れません。


 

シンポジウムの話に戻しますと、弁護士の石田氏と大阪公立大学の除本氏は

原発事故について国の責任を問う訴訟が行われていることについて触れていました。

最高裁は今年の6月に、今回の事故は何をしても防ぐことは無理であったとし、否決する判決をしました。

私はその判決が出る時ちょうど伊方原発を見に行っていたこともあって、

原発事故は起こしてはいけないことであると改めて感じていたところでした。

その感覚で言えば、「何をしても事故を防ぐことが無理」なのであれば、

そもそも原発を持つ・稼働させるという選択肢を選ぶこと自体がおかしく、

その意味でも責任は国や東電にあると言えるだろうと考えています。

石田氏は「福島原発事故被害も公害である」とし、公害裁判に関わられてきた経験を話され、

除本氏は「ふるさとの喪失/剥奪」という視点から原発事故で失われたものについて言及をされていました。

2つの事故は公害やふるさとの喪失/剥奪という視点から見ると共通する部分があり、

それらをつなぎあわせることで守るべきものや共通した課題を解消していく知恵を得られるのでは

といった内容もあり、とても印象的でした。

ほっと岡山の服部氏は避難者の今について話をされ、

多くの無理解や喪失があり避難している人たちが孤立している現状について言及されていました。

服部氏の説明にもありましたが、ある当事者は

東電の弁護士が必ず尋ねるのは

「国や自治体がこの地域で生活をしても健康に影響はないと言っていることを知っているか」

ということ。

あなたの避難は必要?という問いかけを必ずされる。

 

「危険ではない地域から避難をしなくてもいいのでは?」と被害自体をないもののようにしている。

といった話をされ、福島の事故、原発事故による避難は

もう終わったこと・なかったこととされる圧力?のようなものを感じておられました。

世間の風潮・空気のようなものをもとにこうした問いかけをされることは

「あなたはおかしい」というメッセージを送られていることと同義と捉えられるのではないかと私は思います。

避難することになった理由は事故であり、

そのことを抜きに「時間が経ったから」「除染されたから」で何かが解消されることはありません。

選ばざるを得なかった道を軽視することなどもってのほかであり、

事故が起こった時点でもう取り戻すことなどできないひとりひとりの大切な何かに、

もっと目を向ける必要があるのではないかと思います。


 

私は東日本大震災の支援に携わってきました(現在進行形)が

福島のことを学ぶ機会やこうした理不尽に闘うことが正直足りていなかったと深く反省しています。

目に見えづらいけど、確かに被害があること。闘っている人たちがいること。

このことを忘れずに、できることをしていたいと思います。