現在、安倍元首相の国葬が「強行」されています。

「聞く耳」どころか「丁寧な説明」もないまま、16億もの税金を使って実施されているこの国葬。

ちらっとテレビの映像を見ましたが、昭和初期の白黒映像だとしても違和感のないくらい

時代錯誤と感じるこのイベントに吐き気すらしています。

静岡をはじめ、台風被害などで日常生活が戻らない、今後の見通しも立たない人たちが多数いる中で、

そのことへの配慮もなく進めていくこの光景を私は絶対に忘れません。


 

私は対人援助に関わっているため、貧困や暴力・差別などによって苦しむ人たちがいることを知っています。

主に東日本大震災の支援活動に携わらせてもらってきたため、

突然の被害によって人生が変わってしまった人たちがいることを知っています。

この社会が、いわゆる「中央」に振り回され続ける構造でできていることを知っています。

そういうところにこそ、光りを当て、反省し、人手や予算を充て、

社会をよくしていくのが政治の役割のはずです。

でも今政治がしているのは反対の声ー叫びーなど取るに足らないものとして、

自分たちによる自分たちのための政治です。

この国葬の強行や内容(気持ち悪すぎてすべて把握していませんが)がそのことを示していると思います。

繰り返しますが、国葬は強行されました。

苦しむ人たち、反対する人たちの声を聞かないまま、です。

それでも私は私がいまいる場所で反対の声をあげます。



そして、これからもこの政治に反対の声を上げていきます。

これ以上、国によって傷つけられていく人が出ないように、社会的公正の実現のために。