できる範囲で耳を傾け、共に考える。

今回も以前いただいたご相談(お話)から考えたいと思います。

特定されることはほぼないと思いますが、それでもそれを避けるために、

また内容を読みやすくするために一部修正しています。


 

相談内容

ある会社から郵便物が届いたのですが、

そこに入っていた会社の広告の内容を見て怖くなってしまいました。

その会社のHP等で発信されているものも確認したのですが、

その内容もひどいものになっていると感じました。

どのような内容かというと…ある父親―その会社の社員―が子どもへのプレゼントを買ったけど

気に入ってもらえなかったようで、その時に大きな声で「俺の金で買ってきてやったんだ」と言った

というエピソードが書かれてあり、それを「大人の対応をした」とくくっていました。

冗談の文脈で書かれてはありますが、それは「大人の対応」などでは決してなく、

虐待やモラハラではないのか…「俺の金で~」というのは女性蔑視なのではないのか…と感じました。

自分が買ってきてやったのに喜んでもらえない・自分の思い通りにならないというのは

「家族をコントロールしたいのにできなかった」から怒ってるのかなとも思いました。

また、同じ欄には趣味は「家族サービス」という言葉もあり、

なんだかもうこの会社とは関わりたくないなと思いました。

 

 

 

共に考える

ひどい広告・会社があるものですね…こうした広告が蔓延っていること、

そして、それを目にされてさぞ怖かっただろうし不快に思われただろうということに胸を痛めています。

人によってはフラッシュバックをしてしまうような可能性もあるものと感じました。

もし相談者さんがそのようでしたら、どうか今は安全であること、

会社側・広告側に問題があることを知ってもらえたらと思います。

よく声をあげてくれたなとも思います。

本当に残念ですが、こういった人権感覚が欠如した広告というのは、

家父長制を生きてきて、その秩序を心地よいと(勘違い)感じてきた人たちにとっての

あるある」のエピソードなのでしょう。。

「家族をコントロールしたい」というのも

「一家の大黒柱として認められたい」というような「有害な男らしさ」とも言えるのですが、

それもまた古き時代の「あるある」なのだろうと思います。

その「あるある」は時代遅れも甚だしく、また、おそらくおじさんがおじさんの世界だけ見て作っており、

女性のチェックも入らない中で生み出された広告なのだろうと思います。。

心底やめてほしいと思います。

一応付け加えておくと、「時代遅れ」というと、

その時代にあったことを「肯定」しているかのように聞こえてしまいかねないのですが、

そういうことでは決してなく、相談者さんが言ってくださったように、

虐待やモラハラ、女性蔑視という人権侵害がその時代には「ふつうに」行われてしまっていて、

法としても社会としても罰せられなかったという(考えられない)ことだという意味で使っています。

憤りますし、私はひとりの男性として謝らないといけないと感じます。

同時に、私(たち)も「今の時代だからスルーされているだけ」の人権侵害をしてしまっていないか

ということに敏感になり、反省しないといけないと強く思います。

相談者さんの感じていることは「気にしすぎ」とかの類ではなく、

会社・広告側に問題があり、人権侵害に警告を発する大切な声だと思います。

必要でしたら消費者センターや法務省の人権相談などを利用してお伝えするということもできるかもしれません。

「それは自分にはできない」と感じる場合、私の方から連絡することもできますので言ってください。

最後に、その会社さんとはもう関わりたくないという判断は賢明と思います。

そういう会社はもう選ばれなくなっていくといいですね。

声を上げつつ、その会社とはさようならしてもらえたらと思います。

 

 

さて、このお話をいただいたときに私が憂いたのは、

モラハラ、虐待、女性蔑視(性に基づく暴力)といったような人権侵害の広告が世の中に蔓延っている現状です。

先日あるアプリを利用していたのですが、ゲームの広告が流れて女性が出てきたと思ったら、

その女性を「懐柔」するか「レイプ」するかという選択肢が出てきたことがありました。

私は卒倒しそうになり、なんでこういう選択肢を当たり前に出せるのか

ゲームだからといってこういうことができるのか…と、本当に世の中病んでいるなと感じたことがありました。

 

【共に考える】の部分でも少し書きましたが、こういう広告がまかり通ってしまっているのは、

おそらく男性優位社会の秩序にどっぷり浸かっている人たちが、

その秩序を保っているからということがあると考えます。

相談者さんが教えてくれた会社さんは

広告を見る限りだと案の定「おじさんばかり」であることがわかりました。

おじさんばかりだと考え方が偏り、視野が狭くなってしまいやすいのですが、

その自覚がないと自分たちが「いいね」とか「ふつう」とか思う世界が

そのまま「いいもの」「ふつう」と強化されていってしまいます。

仮に「何かおかしいんじゃないか?」と思う人がいたとしても、

それを指摘すること自体が「おかしいこと」とされて排除されてしまいやすい(そもそも指摘しづらい)ので、

結果、そこに適応・同調できる人達しか集まらなくなります。

そしてますます偏っていく…そういう悪循環が生まれ、

「時代遅れ」や「歪んだふつう」が生まれていくのだろうと想像がされます。

これが結果、誰かを傷つけていることに鈍感にさせるので、本当にやめてほしいと思います。

そして、これはひとつの企業の話ではなく、今の政治にも当てはまると私は考えています。

日本の政治家は高齢男性だらけですよね。

申し訳ないですが、高齢男性では気づけないことってたくさんあると思います。

それこそ、「今はそれハラスメントだから」と言う芸能人などが増えてきましたが、

「それはハラスメントじゃない」(とされた)時代に生きてきた人たちが、

「今のハラスメント」にどれだけ気づけるのか?と思いますし、

先に挙げたゲームの広告を「おかしい」(ゲームだから大丈夫としか)とは

彼らには思えないのではないかと思います。

そういう人たちが国を動かしているのであれば、

そういう広告が社会に蔓延っていても(残念ながら)不思議ではないということになるだろうと思います。

いち早くシステムを変えないと悲劇は生まれ続けるいっぽうではないかと思ってしまいます。


 

相談者さんは広告を目にして「怖い」気持ちを持たれました。

私たちはひとりひとり違うので、もちろん、誰もがそれを見て「怖い」と感じるわけではないでしょう。

しかし、誰かにとって何も感じないものが、恐怖を感じさせるかもしれないということ、

それがトリガーとなることもあると知り、

それをふまえて行動を慎重に選択するということこそ大切なのではないだろうかと思います

(広告のように人目に付くものならなおのこと)。

『子どもが性被害をうけたときーお母さんと、支援者のための本―』にはこのようにあります。

 

 

 

人生の中で、トラウマ―自分自身や、自分の大切な人の―と無縁でいられる人はごくわずかで、

私たちはみなこのトラウマを何とか乗り越えて生きぬいています

 

ただでさえ、傷つくことが多い世の中で、なぜ傷を開く広告が多く蔓延っているのか、

そのシステムが残り続けているのかについてもっと考えねばならないでしょう。

システムが変わればそういう広告を出さなくてもよくなって、

「ホッとする」人も中にはいるのかもしれません。

発信者はもちろん、その発信を許す(促す)仕組み・責任に(私を含め)もっと多くの注意が払われ、

考えていかないといけないと私は思います。