九州旅を通じて、「内」と「外」で見えている景色や享受したい価値が違うということについて書きました。

https://ameblo.jp/ko-teri-1492/entry-12721221031.html


旅や観光を考えるにあたり、そうしたことの自覚が大切ではないかということと、

その際に「生活・文化の違い」を大きな物語からではなく小さな物語から学ぶ姿勢が大切ではないか

とも書いたことと思います。

なにやら偉そうに言っていますが笑、言っているだけでなく、

今回の九州旅において私自身感じた様々な「生活(文化)の違い」(のようなもの)について、

ここで書いておきたいと思います。

ちなみに、(のようなもの)と書いたのは、今回は移動がかなり多く、

またコロナ感染拡大の恐れがあったためにゆっくり人とお話をしたり、

人の生活を見させてもらうといった時間を持てなかったため、

かなり薄っぺらい「外」から見た私自身の肌感覚中心の気づき(残念)のみになってしまうためです。

ご容赦ください。


 

まず、九州旅はおととしの11月に行ったのですが、

11月なのに半袖で大丈夫だったことは本当に衝撃でした(早速薄っぺらい笑)。

特に三日目、熊本の阿蘇に泊まったときは衝撃でした。

なんと夜中に蚊に刺されまくるという経験をしまして笑…

そして、夏の夕立かのような雨と雷でなかなか寝付けないという体験をしたのですね。。

私は普段東北で暮らしていますが、これはもうあり得ないです。。

(ただ、、気候危機・温暖化の影響でもあるでしょうか…?)

確かその次の日の朝食か、外で販売かではスイカが見られまして、、

ここは本当に同じ日本なのかとだいぶびっくりしました。

そもそも南国のヤシの木のような木々も多く植わっていますし、

心なしか、空の明るさも違って見えるような感覚がありました。







そりゃ牛さんも違うわけです。




これだけ気候・風土が違っていれば、生活のリズムも慣習も異なるでしょうし、

それに伴う価値観なども違うだろうなということは容易に想像がつきます。

北九州に知人がいるのですが、その方が以前

「台風が多いからそれへの備えはあるし、火山灰に対する備えもお店で売ってたりする」

みたいな話をしていたことがありました。

気候や風土が異なれば遭遇しやすい災害も異なりますし、

災害に対する備え(それは生活文化でもある)も当然異なりますよね。

それは災害(自然)に対する考え方・付き合い方も異なるということだろうと思います。

もしかしたら11月にも虫よけスプレー・蚊取り線香は当たり前に必要だったりもするのかもしれません

(私が知らないだけで)。


 

また、今回の旅でとても気になったのが、お墓が単体で、

あるいは小規模で家のすぐ近くに置かれているといった光景が多く観られたことでした。

家のように屋根が設置されているお墓もあり、

これは関東や東北ではあまり見られない光景であるように思います。



信仰や民俗に関する市史、研究を見ればその由来や意味がわかるのでしょうけど、

単純に見れば、家の近くにお墓を置くということは、

それだけご先祖様との距離が近いということになるでしょうか。

また、屋根を設けるなどしているということは、

「そこに亡き人は今もいる」という感覚を持っているということにもなるでしょうか。

天孫降臨の地で、神話も数多くある九州では神と仏との関係はどんな感じなのかなとも今回気になりました。


 

東北ではイタコ・オガミサマの文化などから、いわゆる霊魂とのつながりのようなものを

これまで私自身感じてきましたし、それこそ、

災害などが起こった後にこうした慣習・文化を掘りおこしておくことはとても大事なことと思っています。

九州のこうした慣習は「外」から訪れたものにとっては「当たり前」ではないので、

どうか大切にされ、丁寧に掘りおこされてほしいなと勝手ながら思います。

こうした文化の交流がまた心地いい新しい文化を育んでいき、文化を高めていくのだと思われます。

本来、地域によって優劣はなく、どの地域にも固有の価値があり、

侵しがたい尊厳があるのだろうと私はよく思います。

旅好きとして、このことは忘れてはいけないと思いますし、

これからも様々な地域の足もとにあるものを見つめていたいなと改めて思わされるのでした。