毎年3月になると、私には贈られてくるものがあります。
それがこちら。
熊本県は水俣の減農薬デコポンです。
これを贈ってくれて「いた」のは、私の恩師です。
東日本大震災を契機に出会った恩師は、
私が三陸沿岸部に引っ越してから、
毎年3.11の時期にこのデコポンを贈ってくれていました。
私にだけではなく
震災を機に出会いお世話になっている、
いわゆる被災地の方々みんなへでした。
贈り物を受け取ったある方が私にこう話されたことがあります。
「今年も先生からデコポンが届いたよ。
“忘れてないよ”ってことを伝えたくて、贈ってくれてるんだろうなぁ」と。
3.11から二週間以上が経った今日、
某ウイルスのこともあり、
ニュースで震災のことはあまり報道されなくなっていることと思います。
そもそも、震災から9年。
世間では東日本大震災のことは
遠いことになっているのかなと想像します。
それが良い悪いという類の話をしたいわけでは決してなくて、
そんな中で、この時期にデコポンの贈り物が今年も届き、
つまり「忘れていない」というメッセージが届きました。
良い悪いではない、けれど、
やはりとても嬉しく思います。
贈ってくれて「いた」と書いたように、
17年に恩師は亡くなられています。
それでも今年も届いたということは、
恩師のご家族によってそれが引き継がれているということです。
感謝しかありません。
私は恩師にいつも
いわゆる被災地の復活したお店などをはじめ、
三陸沿岸部中心においしいものを食べては写真を撮って、
メールで送っていました、いえ正確には、送りつけていましたw
恩師はそれを見ては「うまそう」とうらやましがり、
たまにガツンとおいしそうなものの写真を
私に送って「仕返し」してくれていました。
はじめて水俣デコポンをいただいたときは、
先程書いたメッセージ=「忘れていないよ」ということは私に言わず
(そういうことを押し付ける人ではなかったので、
言われなかったのだと思います)
「こういう、うまいものをいつも食べてるので、あなたの自慢は苦になりません。うらやましいでしょ」的なことを言われたように記憶しておりますw
そうやって、恩師はいつも私を気にかけ、
励ましてくださっていました。
今年は恩師のご家族に御礼をしたくて、
かつて恩師と一緒にプラプラしたお店付近を歩いていたら、
恩師がかつて「こういうの食べる?」と私に聞いてプレゼントしてくれた商品と出会いました。
せっかくなので、そちらを御礼の品とさせてもらい、
恩師のご家族へ送らせていただきました。
デコポンをいただくということ。
それによって「忘れていないよ」というメッセージを受け取ります。
多くの人たちがそのメッセージを受け取っているということ。
メールでよく食べ物の写真を送りつけていたこと。
たまにガツンと倍返しされていたこと。
一緒に東北のお店を回ったこと。
ごちそうをよくしていただいたこと。
いつも私を気にかけてくださっていたこと…。
デコポンを送ってもらえたことで、
これだけ多くのことを私は受け取ります。
私のことを大切に思ってくださっていたことが思い出され、
涙があふれてきます。
震災から9年が経ち、「できること」がわかりにくくなっていると思いますが、
「できること」というのは、そんなに特別なことでなくていいのかもしれません。
先生、今年もデコポンいただきました。
このデコポン、相変わらずめちゃくちゃおいしいですね。
これからまたがんばりますね。
恩師との深いつながりは、死で分かつことなどできません。
ご家族のみなさんとも、これからもつながらせてもらっていきたいと思っています。
そして、先生のように、これからも「誰かを大切に思うこと」を実践していきたいと思います。