三陸沿岸部プチ旅について、

岩手県は釜石から書こうと思います。
 

 

釜石といえば「鉄の町」、そして、ラグビーで有名ですね。


 

まず、「鉄の町」についてですが、

ブラタモリで、釜石の特集がされていたので引用させてもらうと、

釜石市は江戸時代から鉄鋼が盛んであったようで、

明治時代に日本初の官営製鉄所として操業が開始されたということでした。

 

また、日本で最初に製鉄所として成功したということです。


 

まだ私は行ったことがないのですが、

釜石には『鉄の歴史館』というところがあります。

 

そこにそのあたりのことがいろいろ書かれているのだろうと思います。


 

それだけ鉄鋼が盛んであったがゆえに、

釜石では恐ろしいことも起こっていました。


 

それは太平洋戦争で製鉄所が狙われ、

艦砲射撃を受けてきたというものです。


 

隣の市の大船渡市でお会いしたある方から、

「ここまでドーンっていう砲撃の音が聞こえてたんだ」と伺ったことがあります。

 

隣の市と言っても30km以上は距離が離れているので、

それはどれほど怖い経験だっただろうとぞっとします。


確か東京にある「しょうけい館」に

釜石での戦争についての資料(証言)があったように思いますので、

ご関心ありましたら、ぜひそちらにも訪ねてみてください。

 

 

続いて「ラグビー」について。

 

 

あまりラグビーのことは詳しくないのですが、

新日鉄釜石ラグビー部が前人未到の日本選手権7連覇をする大活躍をし、

町を盛り上げたということは、私でさえよく目に、耳にしてきました。


 

今は、釜石シーウェーブスというチームが活躍していますね。


 

釜石ラグビーの話をするにあたり、

触れずにいられないのは、東日本大震災のことです。


 

昨年、『ONE TEAM(ワンチーム)』が流行語大賞に選ばれました。

 

それほど、ラグビーワールドカップが盛り上がったわけですが、

釜石でも試合が行われ、

『釜石鵜住居復興スタジアム』という舞台で試合が行われていたことは有名な話です。


 

そのスタジアムがどこにあるかというと、

釜石市の鵜住居(うのすまい)と呼ばれる地域にあり、

スタジアムは鵜住居小学校と釜石東中学校が「あった跡地」に建てられています。

※写真撮ればよかったですね…


 

「跡地」ということからわかると思いますが、

鵜住居は市内でも壊滅的な被害を受けた地域で、上記の小中学校もろとも全壊の被害を受けました。


 

『津波てんでんこ』という言葉・お話を聞いたことがあるでしょうか。

 

全国的に有名な言葉になったのでご存知の方も多いと思いますが

簡単に説明させてもらうと、「地震があったら、それぞれ(てんでん)高台に逃げろ」

という意味の言葉です。
 

 

釜石東中学校の子どもたちはこの『津波てんでんこ』を実践し、

子どもたちはもちろん、多くの人たちが助かりました。

それが後に『釜石の奇跡』と呼ばれるようになりました。


 

ただ、当の本人たちは「奇跡でもなんでもない」と思っている人が多いようで、

当然のこととして実行されたと耳にしたことがあります。

 

一方で、鵜住居地区防災センターというところに避難してきた100名ほど?の方々が

亡くなられ、鵜住居地区=『釜石の奇跡』と呼ばれているだけではいけないと、

そういう危機意識や「助けられなかった」自責の念などを覚えられている方もおられるようです。

 

 

私個人としては、

『津波てんでんこ』という「命を守るための教えが、実践された」ということに関しては

純粋にすごいと思いますし、

学ぶべきことがとても多いのではないかなと思っております。

 

その一方で、上記したように「てんでんこ」で避難することで

「てんでんこ」で避難できない人もいるため、

生き残った方々が「救えなかった」罪悪感のようなものを抱きやすいように思えてしまうところは、

とても難しいなと考えさせられます。。

 

高齢化社会であることも踏まえ、その先を共に考えていく必要が私たちにはあるのかもしれません。


 

さて、ここまで、釜石についての簡単な概要を書かせていただきましたが、

私は今回、昨年鵜住居にできた『うのすまい・トモス』という施設を訪れたので、

そのことを少し書かせていただきます。


 

トモスさんのホームページに記載されている通り、

『東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝えるとともに、

生きることの大切さやすばらしさを感じられ、憩い親しめる場』

としてこの施設は建設されました。

 

『釜石祈りのパーク』

『いのちをつなぐ未来館』

『鵜の郷交流館』

という3つの施設で構成され、祈り・伝承・交流(物販)を図ることができる場所となっています。


 

私が訪れた日は風がものすごく強く(沿岸部あるあるですね)、

外に出ているのが困難だったので、

『いのちをつなぐ未来館』と『鵜の郷交流館』のみにお邪魔しました。


 

写真は『いのちをつなぐ未来館』ですが

こちらには釜石の被害についての資料と、

釜石東中学生が中心に行っている防災学習の内容を

見ることができるようになっていました。


 

子どもたちが工夫をして、

地震と津波の仕組みを調べていたり、

まち歩きを通じたマップ作りをしていたり、

数多くの取り組みを知ることができ、勉強になりました。

 

 


 

釜石の被害についてはネットで検索できますし、

ここに訪れれば貴重な資料を多くみられるので、よろしければぜひ訪れていただければと思います。

 


 

ちなみに、ここには、私の後輩がお世話になっていたことがありました。

がんばっている後輩の姿には刺激を受けますね。

 

後輩から刺激を受けるように、

小中学校の子どもたちががんばっている様子がここに来るとわかるため、

防災という意味だけでなく、

地元の人たち(だけでなく大人たち)にとって、いい刺激を得られるところかもしれないように思います。


 

お隣の『鵜の郷交流館』では、

もれなく釜石の地酒『浜千鳥』の梅酒と日本酒をゲットしました。


 

釜石が地元の知り合いに

「浜千鳥の梅酒は本当おいしいから、ぜひ飲んでください」

と何年か前に言われ、それからほぼ毎年購入していただいています。

安定のおいしさです。


 

ちなみに、私は2011年の夏に鵜住居に何度か訪れていました。

 

ある支援団体のボランティア活動に混ざらせていただいて、

仮設住宅等でお世話になったことを覚えています。


 

その後、東北に移り住んでから、

鵜住居の方といろいろご一緒させてもらうことや、

震災当時の本当に壮絶な体験をお伺いすることを何度か経験させていただきました。

 

町がどんどん変わってきているため、そういうこともわからなくなってしまうかもしれませんが、

まだ時が止まっている方もおられるように感じます。

 

想像力を働かせ、また、それらを伝えようとされている方々に、

耳だけでなく心を澄ましていただけたらなと思います。


 

明日で震災から9年ですね。

また明日も震災のことについてブログを書くことになると思いますが、

時間によって変わるものと、そうでないものがあるのだと今回の旅で改めて感じてきました。


 

お読みいただき、ありがとうございます。

引き続き、簡単ではありますが、

三陸沿岸記事を書いていきますので、ご関心ありましたら、

よろしくお願いいたします。