例の件で(禁止タグになるので書けない)、
学校休校だけでなく、様々な施設が閉まってしまい、
出かけることが困難になってきてしまいましたね。。
かくいう私も、
自称ノマドワーカーなので、
いつも使用させてもらっている図書館などが利用できず、
とても困っています。。
昨日、私の住んでいる地域は雨でした。
その時ふと「雨だと子どもたちは外でも遊べないよなぁ」と思い、
例のこれが長期化して、
全然外で遊べない、出歩けないとなったときのことを想像してしまいました。。
そのことについて考えたことをここでは書きます。
先に言っておくと、
私は心理学の専門家ではありません(細かいところ誤りがあるかもですが、大きな間違いはないと思います)。
むしろ心理は好きじゃないですw
ただ、災害後、いわゆる被災地でよく問題とされていたことと、
少し似た状況になりうるかな?と思ったので、書かせてもらいます。
内容は、子どもの愛着と探索についてです。
まず、みなさん、赤ん坊を想像してみてください。
赤ん坊が心から安全・安心だと感じるときはどういうときでしょう?
きっと、みなさん「母親に抱っこされているとき」などが浮かぶかと思います。
※男女差別ということではないので悪しからず。
赤ん坊は母親に抱かれ、守られ愛されていることを感じることで、安心感を抱きます。
よく安全基地と呼ばれるものですね。
子どもにとって母親は安全基地なのです。
さて、そうして安心で満たされ、
安全基地があると身をもってわかった赤ん坊は、その後、どのような行動を取るでしょうか?
いろいろな回答がありますが、
母親という安全基地からひとりで離れることができるようになると言えます。
外の世界に探求・冒険しに行くようになるのです。
ハイハイをして目の前からいなくなってしまってドキッとするということもありますよね。
では、お母さんに抱っこをされていない状態、
ハイハイをして外に出ていくとどんなことが待っているでしょうか?
安全が確保されていないため、
転ぶことや何かにぶつかることもありますし、
自分の思い通りにいかない、うまくいかないこともあり得ますよね。
もう少し年齢が高くなって、お友達と関わる場合には、
いじわるをされてしまうこともあるかもしれません。
つまり、外に出ると、ちょっと危険(⇔安心)を感じる経験が待っているのです。
※それだけではないですが。
危険を感じると、安心を求めます。
母親という安全基地に戻り、安心感で満たされようとするわけです。
こんな感じ。
安心で満たされると、また外へ冒険に出る。
そして冒険に出たら安心に戻り、また冒険に出るということを繰り返していくのですね。
これをバランスよく行き来することで、
安心で満たされる感覚を得て、
安心のエリアを拡大させていくことができます。
これが、いわゆる愛着形成とか外に対する信頼を形成していく理論です。
近い話を以前、「出し入れ」ということで書きましたが、
これは何も赤ん坊や子どもだけでなく、私たち大人にも当てはまると思います。
安心を求めつつ、
どこまでが安心な人・場所かなど、
冒険をしながらそのエリアを拡大したり縮小したりしていくわけです。
では、今の状況を考えてみましょう。
今の状況は、残念ながら、外の世界を安心と思いにくい状況かもしれません。。
外に出ると、例のになってしまうかもしれないし、
うつしてしまうかもしれない。
どこにその菌がいるかわからないから過敏になります。
自粛ムードでみんながピリピリと気を使い合っている感じもあるし、
外出に不安や冷たい視線などがつきまとう状況のように思います。
それは先ほどの理論で言えば、安心のエリアが狭まっている状況であり、
冒険・探索がしにくい状況と言うことができそうです。
これは冒頭でも書いたように、災害後の地域と似た状況と言えます。
災害後、地域は被災した痕跡が目立ち、釘が落ちていたり、不衛生なものがあったりなどなど、
物理的にケガなどをするリスクが高くなります。
支援のためなどで、地域にたくさんの知らない人たちが入ってくることで治安も悪化します。
そもそも“怖いことが起こった地域”だということで、出歩きたくなくなるかもしれませんし、
大型トラックが通るなど、工事も多く行われ、
物理的な「立ち入り禁止」エリアが広がったりもします。
子どもたちに関して言えば、
「安心」できるはずの、
公園や学校のグラウンドなどは、被災物の集積所になったり、
仮設住宅などが建てられたりして、物理的にも、「安心」できる場所という感覚も失われます。
そのような状況になると、
保護者は安心していられませんし、子どもたちを安心して外に出せませんよね。
「安心のエリア」が狭まり、「冒険・探索」をさせてあげにくくなっています。
そういうとき、あなたが保護者であれば、子どもたちに対してどのような行動を取るでしょうか?
保護者はきっと、
子どもたちを、家などの「安心できるエリアにいてもらいたい」と行動すると思います。
「あっちの方には行っちゃだめ、危ないから」と行動を抑止することが増えると思います。
当然ですよね。
子どもも、「怖い」という気持ちなどから出歩かなくなったり、
家で保護者と一緒にいた方が安心ということで、
べたっとくっつくようになったりするかもしれません。
それも自然なことですよね。
【安心>冒険・探索】という状況になると言えそうです。
これを悪いというわけでは決してないのですが(自然なことですし)、
ただ、もし【このバランス】が過度になるとどんなことが起こりそうでしょうか?
「安心」にいることはできても、
「外」に出て、人とコミュニケーションを取る機会が減ったり、
「外」の世界に信頼を築くことがうまくできないということが起こるかもしれません。
保護者という「安心」から離れられなくなったり、
自分の気持ちを「外」に表現することがうまくできなかったりすることで、
過度なストレスを「外」に出たときに感じるようになる、ということもあるかもしれません。
「社会に適応できる=いいこと」とは全く思っていませんが、
人はきっと「冒険・探索」も求めている生き物なはずなので、
バランスが上手に取れないことによって
そのようになるのだとしたら、できれば避けたい案件というように私は思います。
今回の例の件でも、
「外」に出るということが過剰に抑止されてしまい、
「安心」と「冒険・探索」の「出し入れ」がうまくできない事態が生じる、生じているかもしれません。
例のにかからないよう対策をすることは無論重要ですが、
しっかり手洗いをするなどの対策をして、
また、社会の体制も整えられ、
少しでも、子どもたちが自然な形で「外」を経験できるといいなと思います。
外に出られない理由が目に見えないものなので、
余計な不安や恐怖、人間不信を生み出すこともあるかもしれず、
それは人によっては、長期的なダメージをもたらすかもしれません。
タイミング(時期)や状況を見極めつつ、
国・社会単位、自治体単位、そして家族単位で
子どものそういうバランスについても目を向けられる余裕があるといいなと思います。
ただし、これはあくまで理論のため、
現場に則さないことも全然あります。
そのため、過剰な心配はしないでもらえたらと思いますが、
ひとりひとりができることを考え(電車内で大人が余計な口論をしないとかいうレベルもそう…)
何か、参考になればと思います。