コロナの影響で、全国様々なところで、学校の卒業式に影響が出ているようですね。。
 

中止になったところもあれば、在校生が不在の中であったり、

全員マスク着用の義務があったりと、

異例なかたちでの実施となったりしているということで、

「当事者の人たちはどんな思いなのだろう」と

なんとも気持ちが揺さぶられます。
 

卒業でなく、転校というかたちでのお別れもあったことと思います。
 

これを受けて、私がやっぱり思い出すのは、東日本大震災のときのことです。
 

もれなく、私もちょうど大学を卒業するタイミングであったため、

卒業式が中止になったことを覚えています。
 

私はそれほどダメージを受けなかったのですが、

知人が「卒業式がなかったことは、自分にとってでかかった…」と、

大きなダメージを負っていたことを、

ずいぶん時間が経ってから教えてくれたことが思い出されています。

 

卒業式は

「自分たちがここで学び、育ち、そしてそれを終える」

という証を刻むものなのかなと、

そのことを公に承認してもらうものなのかなと思います。

 

「卒業式がなくてよかった」という人ももしかしたらいるのかもとは思いますが、

その証を刻む瞬間、

認めてもらう瞬間がなくなったことで、

ガクンと足を踏み外す感じというか、

心にぽっかり穴があく感じというか、

そういう感覚になっている人たちが多くいらっしゃるのではないかなと思います。

 

みんなとの思い出を安心してゆっくり語りたかった人もいたでしょう。

サプライズを用意していた人もいたかもしれません。

 

「小学校から中学校へ」というかたちであれば、

みんなが再会できる確率が高いのかもしれませんが(低く見ているわけではない)、

「中学校から高校へ」、あるいは、「高校から大学へ」というかたちなどは、

みんなでまた集まることも難しくなるため、

最後のみんなとの時間がこのようなかたちになってしまい、

深く悲しむ人もいるのではないでしょうか。

 

詳細は忘れてしまいましたが、

学生の頃にある講義で

「私たちには、なぜか節目(区切りだったかも)というものが大事なようなのです。

今日も明日も同じ一日なのに、

なぜか、お正月とか卒業式とか、

そういう節目があり、

それをちゃんと経験するということが大事なのです。」

というような話を聞いたことがあるように記憶しています。

 

私たちはもしかしたらそんなに強くないのかもしれません。

 

だから、私たちがそれぞれを支え合って生きていくために、

こういった節目(区切り)を昔から作り、

ともに祝い、ともに泣き、ということを繰り返してきたのかもしれません。

 

それができなかったみなさんに、

かけてあげられる言葉は見つかりませんが、

どうやら、悲しんでいてもいいようです。

もしかしたら、心なく「卒業式くらいで」と言われてしまう人もいるかもしれませんが、

どうやら、そんなことないようです。

 

私も卒業式ができなかった身として、

あまりにもちっぽけですが、陰ながら祝いたいと思います。


 

責任を持って言うことはできないけれど、

このような苦虫を噛みつぶすような思いを経たことの後にはきっと、

いいことが待っていると思っています。
 

みなさんの今後がよりよいものとなることを心から願いたいと思います。

卒業、おめでとうございます。