舞台挨拶が終わった瞬間、脱力で言葉が出なくなりました。
神様が中島愛って人を、このメンバーたちとプリキュアに選んだんだろうなぁって、しみじみ感じています。
幸せってただ楽しい瞬間だけを指すんじゃなくて、辛かったり、悲しかったり、挫けそうな時、そういうものも幸せだって人間は感じられるんじゃないかなぁと。
これは想像でしかないけど、まめぐや潘さんの流した涙の中には、10年って時間の重さだったり、背負う事のプレッシャーだったりが含まれていたと思うんです。
そういう一見不幸せに見えるものを引っくるめて、あの場に立っていて、それでも幸せだって思えるような大きな愛をまめぐや潘さんは持っていると感じました。
でなければ、何度も立った舞台挨拶で涙したり、作品に携わった全ての人への感謝を素晴らしい言葉と表現で伝えられ無いと思います。
正直、舞台挨拶までは気分は最悪でした。
幼い子どもたちに素晴らしいものを伝える映画に、大人たちが鑑賞を邪魔するタイミングで入ってくる。
子どもたちが大きな何かを得られるかもしれないその瞬間を、あの場にいることでも奪っていると思うけど、感動に対する集中を奪うのは許せなかった。
だけど、そんな僕の小さな考えよりを、大きな何かで包んでくれるようなまめぐや潘さんの言葉には、強い力を感じます。
決して、はるちゃんや北川さんが一生懸命の言葉を伝えてくれなかったワケではなくて、比較論で二人の感受性とそこから発する感動の伝播は言葉にならないような、心に入ってくるものがありました。
そして、あらためてこんな素晴らしいアニメーションがある日本に生まれて良かったと思います。
主に視覚、聴覚から得られる刺激は心に刺さる事で、人の行動を変えて、より豊かに生きる為に必要な事を与えてくれるんだと再確認しました。
翻って、人に大きな感動を与えるには与える側にも其れ相応の何かが必要なんだとも感じます。
人の一挙手一投足にその人が現れると最近感じますが、今日はあらためて中島愛って人を応援して来て良かったと心から思います。
常に誰かを思って、心の隣にいてくれるような優しさを感じる度に、すごく温かい気持ちをもらえます。
日々、彼女がどんな事を感じて、考えて生きているのかを考えるだけで僕は胸がいっぱいです。
人に大きな感動をくれる反面、人の前に立つことでいろんなものを背負ってしまうんだろうなぁって想像して。
そんな彼女により活躍する機会と場所を求める反面、今はプリキュアって作品だけに力を注ぐのが、何とも彼女らしいとつくづく感じます。
取り留めの無い文章になりましたが、プリキュアっていう作品が作り上げてきたものの素晴らしさを感じて欲しいこと、そして中島愛って人をより多くの人が知り、彼女を感じて欲しいと心から願います。
はぁ、今週何度目か、わからなくなるくらいオタクは胸いっぱいです。
この胸いっぱいな状態、ハピネスチャージされてる状態が、より多くのオタクと共有出来たら幸せです。