雑感『特別展 磯江毅=グスタボ・イソエ』 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

◆ cinemazoo-イソエ
何を見つめているのでしょう?
ちなみにこれは絵ですから。
写真ではありませんことよ~。


奈良県立美術館で開催中の
『磯江毅=グスタボ・イソエ』展、
もうご覧になりましたか?
美術館スタッフが総力を挙げた本展、
ハズレなしと思いますので、ぜひご高覧くださいませ。
絵が持つ奥深さと重さをしみじみ味わえることでしょう。
ワタクシ、美術館の許可を得て、
展覧会の様子を撮影
してまいりました。
ガラスが反射して、
かなりお見苦しい写真ではありますが、
ぜひともご覧くださいませ。

磯江毅=グスタボ・イソエ

スライドショーはこちらから


金曜と土曜の夜は開館時間が延長となり、
午後7時までとなります。
ただし入館は6時半まで。

また、11月19日(土)と20日(日)の
関西文化の日は観覧料が無料となります。


クローバー 奈良県立美術館サイト 特別展『磯江毅=ブスタボ・イソエ』
~マドリード・リアリズムの異才~


----以下は私の雑感です
ご用とお急ぎでない方のみお目通しくださいませ------

イソエ(磯江毅)は2000年に
やはり奈良県立美術館で開催された
『写実・レアリズム絵画の現在』に出展していました。
が、なんと、その時は酷評だったとか。
なぜ…?

当時はレアリズム・写実表現を、
低く見る傾向だったのですね。
写真があるのに何故ゆえリアリズムなのか、とか、
CG表現が華々しかったから、とか
理由はそんなところでしょうか。
それが、今年の没後初の回顧展では、絶賛の嵐。

現在は手描きの素晴らしさが
今一度、見直されているってことでしょうか。
そう、写真では表現できないものがあるからこそ、
イソエはリアリズムを追求したのでしょうし、
本人自身も「写真があるのに、
なぜ、絵で捉える必要があるのか」
自問自答を繰り返したことでしょう。
そのなぜに対する答えを今、
展覧会で目にすることができます。

イソエの展を見て思うこと、それは絵というものは、
目に映るものを可能な限り忠実に再現する、
そんなテクニック以上に、
本来なら目には見えないものを表すのだと。
そう、写真は“一瞬”を切り取り、
過去を映すことなどは稀ですが
(過去を感じる写真はあると思う)、
絵は時間の経過や未来までも描くことが可能です。
また、臭いや味までも描くことができる。

キャンバスや紙の前で、画家は神なんですね。
つまり、自由。何でも描ける。
そしてそれは、孤独とイコールです。

大阪に生まれたイソエは
若干 二十歳で絵を学ぶべく単身スペインへ渡ります。
若きイソエを突き動かしたものは何だったのでしょうか?
それは昭和47年のこと、
当時の自画像を本展で鑑賞することができます。
意思の強そうな、そしてどこか寂しそうな、
孤独を帯びた目を持つ青年の絵。
スペインでの暮らしは孤独との闘いだったと、
想像するに容易く、おそらく、
壮絶な孤独がイソエを包んだことでしょう。
けれどもまた、イソエは孤独を愛する人でもありましょう。
イソエは孤独を受け入れたのではないでしょうか。
スペインの地で異邦人である自分、
東洋の果ての日本人である自分。

イソエ絵画には、どれにも
命あるものには必ず来る“死"が描かれています。
とりわけ、日本では一般に、
静物画と称されるジャンルを
イソエは多数描いていますが、厳密にいうと
それらを欧州においては『厨房画』とか
『台所絵画』と呼ばれている“別のもの"であり、
スペインではボデゴンと言われています。

ボデゴンが静物画と一線を画すのは、
人の営みが表されることでしょうか。
たとえばイソエの代表的ボデゴンでは、
「絞めた後のウズラ」が描かれています。
一見すると奇妙で気味の悪い絵なんですが、
それって、人の暮らしでは必然の“食"のあり方です。
野菜や果物、瓶、台所用品などを
棚や皿に配置したイソエのボデゴンには、
けして逃れられない“死臭”が感じられます。

「命をいただく」。それは人としての宿命、
やがては自らも朽ち果てること、
“死”からは逃れないこと…
イソエは単身修行の地・スペインで受け入れたのではないか
私がイソエ・ボデゴンから感じたことです。

やがて40代になったイソエは、
日本にもアトリエを持つことになります。
イソエ独自のボデゴンが完成に至ったのは、
母国だったのではないでしょうか。
2007年、イソエは53歳で急逝しますが、
同年に描いた『鰯(イワシ)』は
その頂点といえる傑作だと私は思っています。

展覧会の後半では、
未完成の大作『横たわる女』を観ることができます。
完成に至らなかったのは、
当然ながらイソエが急逝したためで、
展覧会を訪れた人々からは
悔やむ声が少なくないとか。
「もっとイソエの芸術を観たかった」
が、県立美術館の学芸員・Nさんのお話はこうです。
「画家としては、一番良いときに逝った」

私も似たようなことを考えているんですね。
享年53歳は、画家としては早いと言えるでしょうが、
たとえば画家の平均寿命が80歳として、あと30年、
イソエがあの密度と濃度で描くなんて嘘だろう、
出来っこないだろう、と。
それほどイソエは凄まじいわけで。

学芸員のNさんはこうも。
「イソエは純粋だった。どこまでも純粋だった」
若干20歳でスペインへ渡ったから、そう仰るNさん。

たぶん、異国でイソエが抱えた孤独が
途方もないものだった、彼は孤立していた、
だから純粋なのだ、そういう意味かと思いますが、
逆に、だからこそ、
イソエの“イソエらしさ”を開眼させたとも思えます。
言い換えると、理想や信念を曲げることすら許されなかった、
そんな逆境に居た、と。

そして、そんな者にしかたどり着けないであろう、
リアリズムの異才世界がイソエなんです。
純粋とは、混じりけのないこと、ひたむきなこと、
偶然ではなく、すべては必然とすること。
イソエの純粋は気高さそのもの。

偶然に美あり、感動あり、
などと思う私とはあべこべですな。

また、押さえられない激情すらも、
イソエは合わせ持っていたのでしょう。
イソエがテレビ出演した様子を
館内で視聴することができますが、実に熱い。
思いの丈を語りたい、そんな風に見えました。
が、再びNさんのお話を借りると、
「あの映像の彼は、彼の一面に過ぎない」とのこと。

Nさんのお話をもう少し。
2000年に奈良県立美術館で
数点の自身の作品が展示されたことを、
イソエはことのほか喜んでいた、とのこと。
1階展示室では2000年開催の
展覧会資料も観ることができます。
奈良にはたびたび足を運び、
無邪気に展望を語っていたイソエですが、
あるとき「具合が悪いので検査する」
そう言って別れたのが最後になった、と。
「やはり、もう少し生きたかったろう、彼自身は」
Nさんの視線が遠いところにありましたから、
在りし日のイソエのことを想っておられたのでしょう。

この度のイソエ没後初の大回顧展は
県立美術館としては念願の開催であり、
実に3年の月日を費やし、
ようやく開催できたと聞いています。
「何度でも観てほしい」
イソエさんの才能を早くから見出されたNさんの言葉。
仰るとおり、観るたびに驚きがあるでしょう。

あ~イソエの裸婦のことや、
丸いものをよく対象に描いていることにも触れたかったのですが、
ちと長くなったので、このへんで。
でもまた続きを書くかもしれない☆

ともかく、付箋を貼って残したい想いが
たくさん込み上げてくる展覧会なんです、
『磯江毅=グスタボ・イソエ』。
作品『バニータスⅡ 闘病』』には、
イソエ自身とドクロやクロスが共に描かれており、
彼の葛藤を感じ取ることができます。


クローバー 奈良県立美術館サイト 特別展『磯江毅=ブスタボ・イソエ』
~マドリード・リアリズムの異才~


クローバー 練馬区美術館『磯江毅=グスタボ・イソエ』展
練馬区立美術館で開催された様子が動画で御覧いただけます。
間近でリアル表現を観られたのがいいですね。

5* 小さなギャラリー「五想庵」のご案内
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やぎ座5*SEASON's サイト
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