ヘアスプレー |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー


『勝利のシューッ!』
うちのママも こんなんでした



パステルを紙に擦り付け、
シコシコシコシコ、指でぼかす。
これを繰り返し、時折シュッ!
スプレー缶のフィキサチーフを振りかける。
「粉」であるパステルの性質上、
紙に定着させるために、なくてはならない作業。
そうして、またシコシコシコシコ・・・。

やがて最後の儀式。
シュワーーーーーーッ!
「強力な定着液」をスプレーする。
独特のキツイ匂いが部屋に充満し、
頭がツンとなる。「出来た!」と鼻から息をつき、
こうしてゴール!!! 一枚の絵が完成!

パステル画の最後の儀式を
誰が名付けたか「勝利のスプレー」というらしく、
たまに私は儀式を終えたとき、
1960年頃のヘアスプレーの匂いを思い出す。

当時のヘアスタイル、特に女性のヘアスタイルは、
大きくふくらませたり、
サイドをクルリとカールをさせたり、
前髪を無理矢理ウェーブさせたり、
今振り返るとカツラか! と思えるほど、
不自然でヘンテコで、だから
カチッと固めなければ、
すぐに ペチャンコになってしまう。
そこで、ヘアスプレー。
シューーッと 髪に ひと吹き、カッチカチ。
さながら手間暇かけたパステル画を保護するかのごとく。
スプレーされた液体は、
頭にツンさせるに充分な匂いを放ち、
子どもだった私は当時、
大人の世界の「刺激」をそこに感じてたかもしれない。

うん、確かに、
あの当時の異形のヘアスタイル「作品」だった。
お年頃の女性は鏡台に必ず ひとつ
ヘアスプレーを持っていて。
今の時代はヘアスプレーは王者ではなく、
ムースあり、ジェルあり、ワックスあり。
人それぞれに最後の“儀”があるわけで、
それだけ品物が豊かになったのだ。けれど、
「自分なり」を見つけるのが大変だったりもする。

ちなみに私は ときどきヘアスプレーを使うけど、
子どもの頃に覚えた頭にツンとくる刺激は
もうそこにはない。あくまで微香で柔らかく、
時代が変わったことをヤンワリと振りまくのだ。

今日、久しぶりに映画を観た。
パステル画を描き終えて、
「勝利のスプレー」を執り行うときのあの気分を
映画『ヘアスプレー』に重ねながら。

ときどき目頭が熱くなったのは、
物が溢れていることが、けして、
真の豊かではないことを知っているからだろう。



★★★★★☆☆ 7点満点で5点
1962年のアメリカ、ボルチモア。
評判通りの傑作。一見の価値、充分にあり。
ただ私がミュージカルが苦手なのと、
強烈に明るい音楽が好みではないため、
1時間でクタクタになってしまったけども…。
それでも巧い! と驚嘆したし、
「リアルストーリーでは ない」ことを貫けるなんて、
アメリカにしかできない。

「弾丸スピードの明るさ」を
堂々と王道に翳せるやり方は、とんでもなく新しい。
シニカルさをまったく汲まない、微塵も見せない、
踊って歌って、幸せを振りまいて。
背景にはきちんと「政治」が置かれているから、
これからの「政治力」は「明」で変化するんだと思いきれる。

キャスティングがズバリ!
太っちょヒロインの女の子ニッキーはハマり役過ぎて
本作の「一発屋」になりそうなのがコワイほど。
ジョン・トラボルタの特殊メイクによる母親役は
あっけにとられるプロっぷり。
名優クリストファー・ウォーケンの演技も味わい深く、
トラボルタとの「夫婦のダンス」は最高!
私の名場面として残るだろう。
いじわる母子もニッキーの仲間たちも、ええわ えええわ。

この映画が新しいと感じられたのは、
ヒロインが「世界スター」を目指すのではなく、
地元のローカルTV局の地元スターを夢見るところ。
アメリカンドリームではないのが今の時代にリンクする。
目の前にやってきた「役目」を確実にこなしていくことが、
やがて仕事になる、自分に合う「適職」を世間から探すのではなく、
今出来ることをやる、つづける、すると、
いつしか自分に相応しい仕事に就いているものよ~♪ と
映画のラストダンスは、めっぽう明るく魅せてくれる。

それにしてもトラボルタ。
各賞にノミネートされるとしたら、
彼は「女優」として、なのだろうか…?


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