蜂の巣の子供たち |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー


『蜂の巣の子供たち』
うーん。平凡な絵になってしもた。



小さく小さく区切られた
1Kとか1DKの単身者マンションが
都心に続々と増殖してる。
ときどき私はそれを
「蜂の巣みたい」なんて思ってた。
ちっちゃな場所にうごめいて暮らす都会人は
さながら蜂の巣にしがみついているみたい・・・。
でも映画『蜂の巣の子供たち』を観て、
単身者マンションを蜂の巣に例えるのは違うな、
と思った。なぜなら、蜂の巣にドアはなく開放され、
風も光も自由に流れるもの、
四角い建物の小部屋とはそこが違う。
閉鎖的で、風も流れやしない孤独の間取り、
なんだかな、貧しいなぁこの国は。

といってる私が住んでいる家も
1LDKの古いマンション。
築30年を超えた昭和の雰囲気が気に入り、
入居して早12年。たぶん、この城は、
昭和の建築ラッシュに乗って、
パンパンパン☆と急いで建てられたのだろう、
風の通りが悪いのなんの!
今年の夏の酷暑はつらかった~。

こんなふうに早く速くと造られた住居が
都心にはゴマンとあるわけで。
で、灼熱の太陽のもとでは
クーラー全開、空調熱放出、体感温度上昇、
地球熱沸騰に拍車をかける、
とまぁ、悪循環の一因となってしまうのねぇ。
だからといって、
「大都市を建て直す」なんて話は夢想の極地、
現存する家屋やビルを全て建替えたりできたら、
それは とんでもなく有り難いわけだけど、
女々しい戯言はフィクションで語るとして、
せめて、都市に集中する人の数をどうにか、
減少させてみてはどうだろう。
過疎と過密、このバランスが釣り合ったなら、
もうちょっと良い風を得られるものを…と、
“東京にお腹いっぱい”の愚かな私は思うのだった。

1948年に撮られた清水監督の
『蜂の巣の子供たち』を観たとき、
画面に風が行き交っているのを感じた。
風はふたつ。ひとつは
画面に広がる横向きの自然に流れる風、
ふたつは監督と子どもたちの間にそよぐ風。

ひとつ目の風についていうと、
東京の都心に吹く風は人工的なもの。
そもそも大人の自己満足で造った街だ、
自然の代弁者である子どもたちには窮屈だろうなぁ。
“親子で楽しめる空間”を汲み入れたらしい
六本木の高層エンタメビルも宜しくない。
子どもの目線で造ってないもん、大人の遊びだ、
本当に子どもたちに必要な場所は、
空き地だと私は考えているけども。
しかし、大人の介入しない、
放ったらかしの空き地を造るだけの度量が
はたしてあるかしら、ないだろうね、今の東京に。

ふたつ目の風は信頼する者同士の絆、
心をかよわせていなければ、
きっと見せてくれないだろう 子どもたちの
くったくのない笑顔がそこにあった。

この映画は「子供は自然の代弁者」が持論の私に
ならば清水監督の映画をぜひ!と薦められて観た。
薦めていただいた友人に感謝。
日本のチャップリンみたいねぇ、清水監督って。



★★★★★☆☆ 7点満点で5点
1948年作品
戦争孤児と共同生活を送り、
私財を投じて制作されたという。
ひとりの復員兵と戦争孤児たちのロードムービーで
復員兵は子どもたちと歩くことで心に変化がおとずれる。

子どもの仕草、表情、動きでつながれた物語。
演技をする子どもではなく、素顔の子どもの姿。
撮られることの歓びがそこに。

カメラの長回しというのかぃな、
子どもが自然を駆けぬける場面が随所にあり
見守るように写し取っているのがいい。
ポーズを決めるのではなく、
動作が物語を運んでいく。

作品そのもの以上に、清水監督の心の幅と豊かな感性、
気高くも優しいお人柄に触れられたようで、感動した。
同監督の『みかえりの塔』
『その後の蜂の巣の子供たち』と合わせて観たかったな。
というか、この監督の子どもの作品、全部気になる。

ラストで蜂の子のように はしゃいでいた子どもたち。
本作を観て一ヶ月以上もたつのに強く残ってる。

2007.7.15 「渋谷シネマヴェーラ」『清水宏大復活!』にて鑑賞


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