哀しみのベラドンナ |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー


『哀しみのベラドンナ』



女性なんだと思う。
今の時代に閉塞感を覚えるのは
私だけではないだろう。
切り開くのは女ではないだろうか。
私が女だから、そう思うのかもしれない。
いや、しかし、女とは♀の役割を指すのではなく、
私がいう女とは家に近い。
かといって封建時代のような家制度の番人でもなく、
家とは還れるところ、つまり生命の故郷である海。
海の豊かさを女が備えられるよう、
社会の懐が深ければ、人も世も閉塞感から脱却し、
希望をもてるのではないか。
ちなみに、男でも海のような心を持つ人はいる。
が、男はさておき、ここで女を海に例えるのは
その身体に命を宿すよう出来ているからだ。
自分以外の命を育むほどの“余裕”を、
女はそもそも持っている。

人は生きている限り、迷う。
迷った心が還りたいと思う場所は
女が持つ強い海ではなかろうか。

女は子どもを生む機械だ、と発言をした人がいる。
そんな考えを持つ人間が指揮する社会で、
女はストライキをし、
結婚も出産も拒否しているのだ、という人もいる。
まぎれもなく、閉塞感がただよう。
これでは海は枯れてしまう。

女を泣かせるようでは、未来は暗い。
子どもをも揶揄したと同じだ。
(ちなみに私は揶揄という漢字を肉筆では書けない⋯
 私を含む女も男も、馬鹿になってるなぁと思う)
なお、私は子どもを生んだことがない。でもそれは
ストライキではなく縁がなかっただけ。
ただ、女に冷淡な考え方に出くわし、
哀しくなったことはある。女にも問題はあるんだけども。

還る場所。故郷に似た場所を、
いつだって人は求めている。



【作品説明】山本暎一が単独演出した『哀しみのベラドンナ』。自身を陵辱し夫を傷つけた領主への怒りと絶望のあまり、悪魔にその肉体を売り渡して魔女となった女を描くこの作品は、正統派の「アートアニメーション」だ。日常の風景は止め絵の水彩画、悪魔がもたらす快楽の世界はセルアニメで描くというユニークな表現方法が功を奏し、「エロティック」と形容できる仕上がり。ヒロインを演じた長山藍子の声もとっても色っぽくて良い。(Amazon.jp)

★★★★★☆☆ 7点満点で5点
2006年、最後に観た映画はアニメだった。
女性崇拝、女神=悪魔が描かれ、密教、魔女狩りを思わせる。
'06年の私は知らず知らずのうちに、
宗教や神秘をテーマにした作品を観ていたみたい。
これは映画だけに限らず、本や音楽にも及ぶ。

手塚先生率いる虫プロが、
1974年に制作した大人のためのアニメーション。
ポレポレ東中野の特集上映、
『親子で見れない手塚アニメ』の1作品として公開された。
チラシに村上隆さんのコメントとして
「エロすぎて見られない、
一緒に観たおばさんがスイッチを消してしまった」
と記載されていたけど、私はエロいという軽っぽい言葉ではなく、
エロティックと きちんと言ってみたい。しかも、
家で観ていたとしても、途中でスイッチを消したりしない。

イラストレーター深井国さんの絵が たまらなく美しい。
水彩画のタッチが大画面に耐えうる素晴らしさ。
アニメ作品なのに、静止画が多い。
動かない絵だからこそ表せる神秘。動くと壊れてしまう。
拡大された耽美なタッチを じっと観賞することで、
女性の豊かさを感じることになる。
物語としては、やや物足りないけれど、
目の肥やしとしては充分な記念的アニメ作品。
デカダンな寓話はフランスのシュールな絵本を観ているよう。

制作された1970年代は
今よりもアートを自由に表現できたのだろうか。
あの時代、皆が共通の目標を持ち、
文明が発展すれば幸せになれると信じられていた。
大阪万博が終わってしばらく、まだ社会に希望があった。

ちなみにベラドンナとは毒を持つ花のことで、
イタリアでは美女を意味するらしい。

~'06年 ポレポレ東中野にて観賞~



 
*TSUBUYAKI ZOO*

●Amazon DVD『虫プロアニメラマ3本セット』哀しみのベラドンナ収録