道端の純愛
ときどき、ほんとにときどきだけど、
凡な私にも「ヒラメキの神様」や
「絵の神様」が頭上におりてくださる。
もはや描いているというより、
描かされているという状態で、
私の意思とは違うところで、勝手に手が動いている。
こんなファンタジックなこと 滅多にあるもんじゃない。
描けないときは、目を皿にしたって斜めにしたって、
描きたい素材すらが見つからないというのに、
「某の神様」がいらっしゃるときは
「素材」が向うから歩いてくる。
神様付き、とまではいかなくとも、
素敵な何かが生まれる ときって、
作り手の意思以前に、自然の摂理に乗っ取って、
必要なものが勝手に揃うような気がする。
しかも渦中の本人は、リアルタイムでは気付かず、
事を成し遂げた後、客観的に自作を目にしたとき、
なんとな~く気が付くものじゃないだろうか、
「あのときの めぐり合わせはツイてたんだ」って。
幸運とか、良縁といった不確かなのに欲しいものは、
本人の努力以外の「ツキ」に左右される。
必死に立ち回っている場合より、むしろ肩の力が抜けたとき
「めぐり合わせの神様」が
おいでくださる場合が多いように感じてる。
肩に力が入らず、リラックスすることが要わなけで、
なんせ私ってヤツは、自動車免許のペーパー試験を
3度目にして ようやくパスしたという経験の持ち主。
頭が痛いことに、そもそも本番に弱い体質なのだ⋯。
知らぬうちに冷静でいる、
こんなときほど、良い結果を生むのだとしたら、
身の回りの小さな変化と兆しを
敏感にキャッチできるようでいたい⋯と思う。
幸運の予兆は一瞬にして走り去るもの、
鈍感だと見逃してしまう。
その点、敬愛なる故・増村保造センセは
冷静に、常に感受性豊かである、と
『曽根崎心中』を観てつくづく感心する私。
映画『曽根崎心中』の主役のキャスティングは
センセの手によるものではなく、なんと映画会社の方から
「宇崎竜童さんで何かひとつ、お願いします」
という依頼により企画されたとか。
映画主演は初めてだった宇崎竜童さんとの顔合わせ後、
センセと宇崎さんは1年もの間、共に食事をするなど、
打ち合わせを数回重ねられ、そうして
大傑作・増村版『曽根崎心中』は生まれた。
センセは人の長所を汲み上げるのがお得意な人ですね。
たとえムチを持ったとしても憎めない、
周りに慕われる良きリーダーだと思うのです、アタシ。
【曽根崎心中】製作年度 1978年 監督 増村保造
出演/ 梶芽衣子 、宇崎竜童 、井川比佐志 、左幸子 、橋本功 、木村元
残念ですがDVDは未発売みたい。
記念すべき増村センセ作品観賞10本目にして、
「マイ増村センセ・ベスト作」に出会ったかも、と思わずにいられない。
満点じゃないのは、上映ミスがあったことと、欠点が見えた方が
私は人間的で好きだ、ということ。とにかく本作は、
私が知る中ではセンセにしか創れない『曽根崎心中』だし、
もっともセンセらしい感性が迸っていると思う。
低予算での撮影という悪環境が、むしろ
俳優陣やスタッフの志気を高めたかもしれない。
映画初出演の宇崎竜童さんは、素人臭さが功を奏し、
少年から脱していない大の男の清らかさと、
ダメさ加減を見事に演じ切っておられる。
プロの演技で、あのような素朴でお人好しな天然は表せない。
また、女の底意地の強さを、映画という限られた時間で表すには、
熟練した演技より、対照的に ひた向きな「初出演」がいい。
しかも宇崎さんは音楽の人だから、
周りの俳優陣とも呼吸があってるし、関西弁も上手い。
相手役の梶芽衣子さんの演技は気迫の一言。
彼女の目には始終、恋しい男・宇崎さんの姿が映っていて、
眼の光線というか「目の力」というか、
「ミラクル・ビーム」が一直線に放たれている。
彼女が口にする台詞は、もはや台詞であって台詞でなく、
もう演技を超えた「女の本音」を振り絞っているように見えた。
衝撃だったのは橋本功さんの悪人っぷり!!!
あの悪っぷりは凄すぎる!!!瞳孔 開き切ってたかもしれん!
あの怪演を目撃したことは大事件だ、
「私の映画事件簿ベスト3」に堂々のランクイン!
え、あとの2つは何なのかは不祥である⋯。
音楽。ロック。心中街道をひた走る男女には
かつて「不良音楽」のレッテルを貼られたロックが相応しい。
公開当時は「近松物に何故、ロックなのか」と不評だったらしいが、
今となっては普通の表現。つくづく、センセは早すぎたのねぇ⋯。
ちなみに宇崎さんはこの後、『文楽・曽根崎心中 ROCK』を制作。
妻である阿木燿子さんは舞台で『フラメンコ・曽根崎心中』を発表と、
ご夫婦で『曽根崎心中』と関わっておられる、これもセンセの縁?
井川比佐志さん、左幸子 さんもエネルギッシュ!
出演者全員が熱く、その熱さに観ている方も引っぱられていくが
“文楽らしさ”を映画に加味すると、
演技がエネルギッシュになるのかもしれない。
ようするにセンセお得意の、フィクション性の強調かな。
美術が素晴らしい。家屋の色・質共に絵画のよう。
映像も美しい。低予算のせいか
TVサイズに似たスタンダードサイズだけど、
かえって特異な閉塞感が漂って面白い。
映画の冒頭と終末では、荘厳な寺の装飾や
地蔵さんが短いカットで映される。
宗教的な意図ではなく、ここでは寓話性をかもし出し、
ジブリ作品のソレらの扱いと似てるな、と思ったりする。
ラストは心中を遂げた男女の姿。
一気に走り抜けた意地の結晶に あふれる涙・・・
安らかな男女の姿に、いつの間にか手を合わせていた。
タイトルとラストの文字が血糊で表われる。
「心中」は愚かだ。そうさせたのは誰???
現代のいじめにも通ずる深く、重大なテーマだ。
うーん、もういっぺん劇場で観たいっ。
最後のタイトルロールもちゃんと!
06年 シネマアートン下北沢にて観賞
*TSBUYAKI ZOO*
■私の増村センセへの熱き想い
増村保造センセ その3
↑『曽根崎心中』を観た日の記事
「関西気質と増村センセとイタリー気質」について
■増村保造センセ その1
■増村保造センセ その2
■ Amazon co.jp『映画監督 増村保造の世界
「映像のマエストロ」映画との格闘の記録1947‐1986 (単行本) 』
■Amazon DVD 『文楽人形 曽根崎心中 ROCK』