マリー・アントワネット |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー


『頭上が重い貴婦人』


小学校の低学年時代に
図書室にあった『悲しみの王妃』を読んで以来ずっと、
マリー・アントワネットは私にとって
気になる女性のひとりとなった。
とうぜん『ベルばら』も読破したし、数々の舞台も観たし、
本だって けっこう読んだし、近いところでは、
先週放送になった『世界ふしぎ発見!』の、
『マリー・アントワネット』の回だって観た、
番組のクイズは、当然全問正解、
黒柳徹子さんには遠く及ばないとはいえ、
けっこうなアントワネット・フェティストだ。

アントワネットに傾倒したのは、
幼い頃に なんの刷り込みもなしに読んだ
小説『悲しみの王妃』にえらい感動したせいで、
こんな女性が実在していたのか⋯という驚きと、
本に描かれていた美しい挿し絵に惹かれたこと、
それから、お話がハッピー・エンドだから。
断頭台の露と消えた王妃であったが、
幽閉されてからのアントワネットは
初めて社会に自立し、
毅然として自分の人生に幕を下ろした。
物語の結末は悲劇として綴られてはいても、
立派に信念を貫ぬき、揺るぎない王妃となったのだ、
マリー・アントワネットは幸福を受けとめた人であり、
人生に感謝し、短い生涯を終えた。
社会への自立、人間としての意思、王族としての美学、
死を受け入れた彼女の精神は どれもが気高い。
彼女は歴史上の人物で、
私が初めて出会った“筋を通した女性”であり、
男性のそれ以上のインパクトを持って私の心に刻まれ、
その想いは今もなお変わることはない。

実際、幽閉されたアントワネットに関わった人々は
彼女の魅力に魅せられ、心から慕っていたときく。
人を惹き付ける能力と直感に優れていたアントワネットは
天性の愛らしさと、魅力に溢れる人物であり、
それゆえ憎悪の対象にもなり、孤立をよぎなくされた。
私は思う、孤立の中からしか芽生えない意思がある、と。
歴史の変革の象徴として生き抜くことを
彼女は自分の意思で選択したのだ。

彼女はたったの14歳で、
祖国を離れ、たったひとりで歴史のために嫁いだ。
マリー・アントワネットの悲しみの果てに、
今の私は“自由”を手にしている。


【映画】解説: 有名な悲劇の王妃マリー・アントワネットの物語を、1人の女性の成長期としてとらえた宮廷絵巻。幼くして故郷を離れ、異郷フランスの王室で必死に生きた女性の激動の人生を丁寧に物語る。監督は『ロスト・イン・トランスレーション』のソフィア・コッポラ。『スパイダーマン』シリーズのキルステン・ダンストが孤独を抱えて生きる女性を愛くるしく演じている。実際のヴェルサイユ宮殿で撮影された豪華な調度品や衣装の数々は必見。(シネマトゥデイ)

★★★★★★☆ 7点満点で6点
いや、素晴らしい。強烈な個性だ。
ソフィア・コッポラにしか作れない映画であり、
彼女にしか描けないマリー・アントワネットだ。
ここまで自我を貫ける人を私は尊敬するし、憧れる。
歴史巨編だとか、フランス革命の何たるかを想像して観ると、
間違いなく肩透かしに合う。逆に、私は
前作『ロスト・イン・トランスレーション』と
まったく同じだろうと ほとんど期待していなかったのが、
憶測は まったく裏切られた。誰がなんと言おうと傑作だと思う。

この映画は現代劇であり、ヒロイン・アントワネットは
現代の若きトレンド・リーダーとして捉えるのが正しい。
だいいち映画の中に可愛いフランス菓子が次々に差し出されるが、
どれも現代のショーウィンドウで売っているものばかり。
衣装にしても同じで、パステル調の色合いは現在のセンスだ。

この映画は衣装の変化でアントワネットの心理を読むもの。
ヴィスコンティが正確に貴族社会を描いたリアリズムなら、
ソフィアは歴史を現代感覚で映し出す。
これはコッポラ一族という恵まれた環境に生まれ育ち、
思う存分、才能を開花することができたソフィアにしか出来ない。
一人称映画というか、私小説に似た作品で、
豪華絢爛な本物に囲まれた女性の孤独を美的かつ個人的に紡ぐ。
私小説は日本人の十八番だと思っていたが、
ソフィアは欧米人ならではの音楽と映像とファッションで表現する。

音楽のセンスは私の大のお気に入りの、
'80代後半のUKロック・ニューウェーブ・ダーク編。
ニュー・オーダー、ザ・キュアーなどなど、
ちょっと危うく、不安定で暗い、疾走感を含んだサウンド、
これが好きだという人は、けっこう限られるはず⋯。
『人と違うロック感、疎外感』を持つ人間はここに行き着くし
何かが大きく変わるだろう終末感がサウンドに漂う。
アントワネットが浪費に走った時代と
先進諸国が浪費に走った'80年代後半のダークサウンドは
どこかでリンクするのではないか。
ソフィア自身も恵まれた家庭ゆえの、虚無感を味わったろうし、
アメリカ人っぽくない感覚を持っている。
14歳でフランスへ嫁いだオーストリア人アントワネットと
ソフィアは あまりにも似ている。
ただし、ややサウンドに頼り過ぎの感有り、特に舞踏会ではね⋯。

この映画のアントワネットはファッション感覚を磨くことで
自分の内面を成長させ、自分と向き合う。
私に置き返るのは あまりに無謀と承知の上で言ってしまうと、
私も絵を通じて自分を磨き、鍛練してきたからこそ分かる部分。

アントワネットを演じたキルティング・ダンストの肌の色は
私が思い描いていた王妃のそれと同じ。それもそのはず、
キルティング・ダンストはドイツ人の血を引いているとか。
ドイツ人の肌は抜けるような白さ、という偏見を私はもっている。

しかし、英語を話すフランス王妃だなんて
フランス人なら許せないだろうし、
特にあの時代はイギリスとの権力争いが激しかったのだから、
ソフィア・ファンの私も違和感を覚えたことは確か。
昨年のカンヌでブーイングが起ったというのも
映画の結末を観れば納得できる。
が、これを現代劇だと捉えると、映画の幕切れはあそこしかない。
アントワネットがベルサイユのカゴの鳥だった頃、
彼女は自分の人生を受け身で捉えていたが、
革命の火が燃えあがったのを機に、
自分の意思で王妃であろうと決心する。
このとき、アントワネットは少女ではなくなり、大人になる。
だからベルサイユ以降の物語は、ここでは必要ない。
映画は「フランス革命とは何か」を問うものではなく、
「不変の女の子」をアントワネットに代弁させるのが狙いだから。

台詞が極端に少ない米国の「私小説映画」は
目と音感と動作で味わうオリジナリティに溢れる。
ソフィア・コッポラは間違いなく現代アーティスト。
それは14歳でアントワネットがフランスへ嫁いでいく場面を
気品溢れるアーティストとして描いているところにも
それは如実に表れていると感じる。
実際のアントワネット自身にも作家性は大いにあった、
そんなふうに私は想像しているので。
馬鹿みたいなタワーヘアーを楽しんだあと、
彼女は「お姫さまのお遊び」程度とはいえ、自然回帰をする。
こんな王妃に和の心を見る私って、単に安直なだけかなぁ。

ブーイングの後、カンヌでは大喝采だったとか。
その情景がこの映画の真っ当な評価だと思う。
一日本人の私は最初から大喝采だったけれど。

~新宿東亜興行にて観賞~


*TSUBUYAKI ZOO*



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↑私は安い輸入版を買った。2枚組。