『愛されるために、突っ立っている人』
今どきケータイ持ってないなんて普通じゃない
などと、私にいう人がいるけど、
ちょっと待って。
携帯を持っていないのが普通の人間の姿では?
突っ立ってるだけじゃダメ。
自分から歩み寄らなければ。
待っているだけじゃ愛されない。
自分から愛さなければ。
そうして、誰かを愛するためには、
まず自分を愛さなければ。
『愛されるために そこにいるのではない』
という原題なのに、邦題が
『愛されるために、ここにいる』
となっている映画を観た。タイトルの意味が
まるっきり真逆になってる、ええの?
逆さは百も承知で、あえて決定したんでしょうが、
ならば『愛されるために』の後の
「、」に意味があるんでしょうかねぇ。まさか~!
うーん、ややこしい。私なら素直に
『愛するためにそこにいる』にするけれど。
そう、素直。素直が一番。
好きなものは好きと言い切った人が勝ち。
だけど、ときどき見えなくなる、
自分は何の価値があって、ここにいるのか、と。
自分を愛するためにはまず、
自分が生きているこの星を、地球を愛さなければ。
例えば、青い空、緑の山、赤い夕日、ピンクの花々⋯
地球を愛したらきっと、その一部分の自分も好きになる。
【映画のこと】愛を知らない中年男性が、ひとりの女性と出会ったことで人生の輝きを取り戻していくラブストーリー。本国フランスでは、半年もの間ロングラン上映され大ヒットした話題作。くたびれた熟年男性を演じるのは『読書する女』のパトリック・シェネ。彼と恋に落ちる、若く笑顔のチャーミングな女性を『灯台守の恋』のアンヌ・コンシニがナチュラルに演じている。登場人物の心を代弁するように流れる、美しいタンゴのメロディが胸にしみる。(シネマトゥデイ)
どう考えても『愛するために、ここにいる』の方がいいよなぁ。
好きなタイプの映画。
現在の日本の主役といえば完璧にコミック、マンガで、
映画もテレビもマンガ原作のものが大当たりするし、
演出も俳優の演技も、マンガのように大袈裟に、
「うそっぽく」表現する。
それを悪いとはいわないにしても、
同じものが氾濫すると、飽きるし、
“おくゆかしい日本人”が欲しくなってくる。
この映画は そういった目線の会話、空気を読む映画だ。
年老いた男と、婚約したばかりの女、
このいたって平凡な男女の恋愛を俳優は見事に演じる。
「平凡」を演じること、これが俳優にとっては
一番困難なことではなかろうか。
派手なドラマも、盛り上がりもない、
けれど上質のコメディーだし、
観ているうちに心が動かされる。
俳優の表情と、画の構図で心理を映し出され、
そこへタンゴの調べが効果的に絡まってくる。
フランス映画なのに、日本画を観賞した気分。
ただ、男と女の気持が高まり、
想いを確認し合うタンゴ・ショーの場面は
もう少し“ドラマ”を盛り込んでもよかったかもしれないし、
あと15分、長くてもよかったな。
美しい場面を ほんの少し観たいと私が思うのは、
一重に映画のテーマが“恋”だから。
一緒に観た女友だちも私も、
観終わった後、うっすらと涙ぐんでいて、
その顔のまま渋谷のラブホ街を通り抜けたのが、
今振り返ると笑える。
~ユーロスペースにて '06年12月に観賞~
●映画『愛されるために、ここにいる』サイト