ククーシュカ ラップランドの妖精 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

アンニ
kukushka


“おとぎの国ロシア”から届いた、
小さな木箱に入った贈り物。
中に入っていたのは手のひらに のるほどの
小さな絵本でした。
ゆっくり めくると、そこは北の国フィンランド、
空気が蒼く澄みわたり、
背の低い木々が並びますそこへ
戦闘機がブーンブンと視界を遮る。
耳が割れそうな爆音、
このとき世界は戦争に明け暮れて・・・
どうやら ロシアから届いた絵本は
音声付きの動く絵本のようだ、
ゆっくりゆっくりお話はつづく・・・。

『リクーシュカ ラップランドの妖精』は、
“おとぎのくに” by パルナスに 恥じない
ゆめが広がるメルヘンチックな作品。
といっても、そこはパルナスの歌に代表されるように、
“ロシアのおとぎ”には 悲哀が伴うものだ。
映画の舞台となっている
フィンランドのラップランドは最北の地、
それも冬になる前ということで、
常に曇り空だ、海の色もくもってる。
しかも、登場人物の三人は、
それぞれ話す言語が違うときた。
三人の言語はフィンランド語、ロシア語、
そしてラップランドの妖精はなんとサ-ミ語!
サ-ミ語って? フィンランドをはじめとする
ロシア、ノルウェー、スウェーデンなどの
寒い国に住んでいるサ-ミ人の言語で、
トナカイの放牧が暮らしの中心だそう。
私ときたら、またまた学びました、
サーミと呼ばれている民族のことを
この映画で始めて知った、ホントに世界は広い。

そうだ世界は無限。だけど。
話す言語が違うために、ときに殴り合い、言い争い、
誤解や侮蔑を招いたとしても、
大地や海や空の、地球の音に耳を傾けていれば、
人間はみな同じ心を持っているのだから
やがて和解できる。妖精もあらわれ、
互いに満たされる。人類の ゆめ、これこそ。

この映画の三人は、べつべつの言語を話すため、
お互いが何を言っているか、
チンプンカンプンのまま、物語は精々と進んでいく。
よって“会話”で話が展開する映画ではなく、
映像で進行していき、そこには笑いが生まれる。
ただし映画の三人は、その笑いの外にいる。
意志の疎通がうまくいってないことを、
観客だけが知っている。
ことばによる説明がないので、
想像力と洞察力が必要だ。
それは絵画を説くのと似た感覚で、
ゆったりとした“間合い”にゆだねられたら⋯
この映画の妖精と会話ができる。
逆にアップテンポを望むのなら、
最北のメルヘンが少々たいくつに映るかも。
色使いも鮮やかではなく、押さえた地味な世界。

玄人好みの映画だ。
違う言語と異なる歴史を持った三人が
共に暮らしたら⋯。結末は想像するに容易いので、
「どう魅せるか」がカギ。
三人の中のひとりが、もし私だったら⋯?
観終わったとき私の中の、ささやかな探究心が
拍手喝采していた。
平和を望む人がつくった“動く絵本”に。

しあわせを味わうには、手荷物は少なく。
とりわけ知識は重すぎる。


★★★★★☆☆ 7点満点で5点
映画の前半で鎖に繋がれたひとりの男の描写が、
ゆっくりゆっくりつづく。
このとき男は自然の声をきき、そして再生される。
長いと感じるかもしれないけれど、
この映画を感じるためには重要な場面。
全編を通して、このトーンで進行する。

タイトルのクク-シュカは
ロシア語でカッコ-という意味だけど、
もうひとつ意味があって、
これは映画の最後に分かる。


※ なんと この映画の話は明日に つづく~



●ククーシュカ ラップランドの妖精