フォロンの庭園 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

ゆりかご
Like a Folon


人は失って初めて、
無くしたものの本当の価値を知る。
このことばの意味と、重みを
私はフォロンを失って改めて、
グッと噛み締めることと相成った。

ただいま当方、せっせせっせと年賀状ならぬ、
5*SEASONならではの「春賀状」を制作中。
そのプリントの合間合間に、
日本で開催された二度のフォロン展の図録を
パラリパラリとめくってみる。
目にしみる、フォロンの色、
胸に食い込む、フォロンのことば。
ゆっくりゆっくりと、
おまじないを なぞるように読む。

京都の庭の静けさ、それは けっして忘れることのできない想い出です。1970年のある日、私は長いこと それに見入っていました。山の頂きは砂利の雲の中で そそり立っていました。毎朝 熊手で描かれる渦巻きの中に、神秘的な島が現れたり消えたり。線で描かれた波が島を囲うのですが、その動きは止まったまま。京都の庭は私に制止した時間のことを教えてくれたのでした。以来、私は美術の歴史を別の角度から見るようになりました。つまり、すべての文化の中の すべての図像が静寂の庭園と化したのです。今回こうして日本を訪れて、昔出会ったものと再会し、耳を傾け、見入りたいと思います。その美しさ、その魔力、その静けさは、私の記憶の庭園で、また育っていくのです。
       
1994年10月        フォロン



ああフォロン、
個人授業をお願いしたかった⋯!
師亡き今、拙者は「フォロン庭園」に揺られ
讃美するだけの愚者。
が、見入ることで、
静寂はまた育つのでしょう。
ああ、春よ、春、春。