ALWAYS 三丁目の夕日 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

昭和っ子

集英社の少女マンガ雑誌「りぼん」を
自分のおこずかいをためて、
初めて買ったときの私。当時は、
「マンガなんて読んだらアホになるでっ!」
と大人たちは子どもを叱ったものでした。
昭和47年頃のお話です。


この映画の舞台となっている
昭和33年という時代に、私はまだ生まれていない。
けれど、私は知っている、
力道山、三種の神器、町内で見るTVなどなど、
おそらく私の両親が喜々とした昭和30年前半の映像を、
私はTVで見て知り、強く記憶に残っている。
人と人、家と家が情で繋がり、
みんなでひとつの喜びを分かち合った時代を、
私は「いいな。楽しそうだな」
と羨ましく見たものだ。

けれど、そもそもという話をすると、
私が生まれたのは昭和37年で、
映画の背景となった東京タワー建設の年の4年後だ、
なのに、私の最古の記憶である3歳当時の京都の風景と、
この映画の街並はどこか似ているからして、
なつかしさのあまり、胸が熱くなる。
背の低い建物、オート三輪、路面電車、物売りの声。
TVはもう家の中にはあったけれど、まだ白黒で、
思えば“あの頃”はまだ時代の移り行きは
おっとりとしたものだった。
時代進行がテンポアップしたのは、
TVが一家に一台普及するようになってから⋯
ではなかろうか。今となっては、
ネットや携帯電話は当たり前の時代、
もっともっと時代はスピードアップし、
そこに情緒を求めている場合ではなく、
そんな者はおいていかれる(私か?)。
「こんなはずでは⋯」という予想外の虚しさを
どこかで現代人は抱えて生きているのではないかしら。

『~三丁目の夕日』は、そんな侘しさを大事にしている、
私と同世代の人間が作ったファンタジーだと思う。
それはまだ、アニメが
“テレビマンガ”と呼ばれた時代、
TVというものを楽しみ、
夢を持ち、影響された世代の理想像で、
特にテレビの実写ヒーロー物にハマった経験のある者は、
この映画には泣かされる、はず。
あたしも そのひとりで、ドドッと目の幅で涙が沸いて出た。
だからといって、これが好きな映画かというとそうではなく、
この映画、少し綺麗すぎるのだ。
あの時代に生きた人間が作ったなら、
もっと悲愴感が漂ったと思うし、
戦争の影ももっと感じられるだろう。

とはいえ、
この映画は懐かしさを売り物にしている懐古物ではなく、
あくまでも21世紀の人間が主役で、
理想の人付き合いが描かれているのだから。いわば、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー@昭和33年』
だと あたしゃ見た。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、
主人公の青年が母親の娘時代にいってしまったけど、
『~三丁目の夕日』は観客を昭和33年へと連れていく。
だから、映画に登場するツツミさんもヤクシマルさんも、
売れない小説家にしては清潔なヨシオカくんも、
手足が あの時代にしては長過ぎるコユキさんも、
“あの時代の人間”を再現するために登場するのではなく、
観客である私たちの分身だと思った。
ただ、私はその設定自体には共感できるのだけど、
この映画は映画的ではなく、
テレビマンガもしくはテレビヒーロー物を
4週分まとめて見たような、
そんな印象なのが物足りない。
たぶん、背景や通行人が、
CGだとハッキリ分かってしまう程度で
その易さがテレビ的に思えたのかもしれない。
ただ それが本作の良さでもあるのだけど。

もしも時代を復元するという目論みなら、
私はそこに技術の慢心を感じ、嫌悪するだろう。

もうひとつ。この映画は
地方出身者が見るのと、そうではないのでは、
感じ方はまったく違うはず。
地方出身者で東京に暮らす私は、
東京タワーと ふいに目が合っただけで
目頭が熱くなるのだからして、
それが この映画では希望の象徴として描かれるのだから、
涙腺はたまったもんじゃなかった。
でも、私なら・・・
私なら昭和33年の四季物語のつなぎとして、
東京タワーが出来上がっていく様子を
映像として もっと入れるのになぁ、
なぜ、もっと東京タワーを使わなかったか。
それは作った人が5*SEASONじゃないから、ハイ。


★★★★★☆☆ 7点満点で5点
よく出来てるけど好みのタイプではなく、
特に音楽が好きじゃない。どこか、
『蒲田行進曲』がヒットしたときの、
あの盛り上がりと今の世間の讃辞が似てる気がする。
↑私のイラストみたいなマンガ少年がでてきて、
この子がすっごく良い。

●『ALWAYS 三丁目の夕日』公式サイト

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