いぬのえいが-2 作文 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

ちびいぬ


失敗失敗! えいがの一場面をパッパッと描いたら、
何犬なのか分からなくなってしもた~。パグのようでも、
チンのようでもあるなぁ。そーいえば、チンは
最近見かけなくなった。スピッツも。


もう大人なんだし‥‥と、
自分を たしなめて生きるようになって、
もう ずいぶんになるけど、いまだに あたしは
自分のことを“大きな人”だとは思えない、
心掛けは まだまだ ちっちゃい ちっちゃい。
だから あたしは大人なのに ときどき
「よしよし」と 誰かに なぐさめてもらいたくなる。
でも、そんなふうに甘えたいときにかぎって、
みんな忙しそうだったり、側に誰も いなかったりする。
だから、たまにジャストのタイミングで なぐめてもらえたら、
あたしは犬コロみたいに
「クイ~ン」とシッポを振ってデレデレになってしまう。
だからといって、あたしは姿かたちが大人だから、
“なぐさめてほしい光線”を出すのはカッコ悪いし、
あんまり自分の弱さを見せたくはない。
見せたら負けてしまう、
他の誰かに負けるなんて、絶対にイヤッ!

ところがどうだろう
アイツときたら‥‥。

あたしが家に帰ってきたら、
猛ダッシュで玄関まで出迎えてくれるし
「待て!」と言ったら、それこそ一生
その場所で そのポーズで固まっていそうだし
叱られたら「ユルシテ~ゴメンナサイ~」って
目を潤ませて あたしを見る、しかも恐ろしいことに
「あなたが好きですー!」って
びっくりするほど素直、いえ露骨に感情を見せる。
けど、そんなアイツに あたしは何度もなぐさめられ、
「こいつは絶対にあたしを裏切らない」、
と すっかり心を許してしまった、
でも弱味を見せたという感じではなかったし、
そういう関係をカッコ悪いとも 全く思わなかった。
相手は言葉を交わせない犬なのに。

“変わらない愛情”を
しっかりと形にして見せてくれる犬。
犬と人間だからできる交流があって、
あたしのような見栄っ張りには なかなか出来ないことを
犬は平然とやってのける。そんな犬は かっこいい。
だから犬と一緒に暮らせば、
「好きです光線」を毎日毎日浴び、
いつしか自分を露にすることが喜びに変わる。
反対に犬と暮らすと、つらいことも ちゃんとあって、
無邪気に甘えてくる犬のことを
「まとわりつかれるのはご免」と
うっとうしく思ったこともあるし、
散歩が面倒だったこともあるし、いつか必ず、
お別れしなくちゃいけないし、永遠の‥‥。

映画『いぬのえいが』がタイトルを、
漢字の「犬」にしなかったのは、
犬という動物に限定したくなかったからだと、
あたしは思う。その理由は、
あたしは ときどき こんなことを思ったから。

「こんなにつらい想いをするぐらいなら、
 出逢わなければよかった」
これは誰かと喧嘩したときや別れたとき。
「一生懸命に努力したのに、
 その結果『まるで駄目です』って
 ボロクソに否定され傷ついた、いっそ何もせず、
 “ゆめ”なんて追わなければよかった」
と、自信をなくしたこともあったし、さらに
「何のために生まれてきたのか
 生まれてこなければ よかった」
なんて、自分そのものを後悔したこともある、
けど、いろんな出来事と関わって、いつしか励まされ、
なぐさめられてきた。おそらく これからも。

『いぬのえいが』の おしまいには「ねぇマリモ」という、
詩の朗読のような映像が組まれていて、
それは犬のごとくストレートに観る者へ語り、
“いぬとの暮らし”を なぐさめてくれる。
あまりのストレートさゆえ、
カンにさわる場合もありましょうが、
この映画は最近のペットブームを
しっかり嘲笑っているところもあり、
いろんな意味で深みのあるプログラムになってる。
今日のところは あたしも映画に倣って、
犬へ敬意を表すためにも、
『犬への想い』を素直に作文にしてみました。
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相方のでこへの ひつもん
その後、怖いぐらいの若作りのシンイチ・モリさんに
ファッションの変動は見られるのかね?
夫婦の危機が伝えられておるが、
テレビがないあたしには
シンイチの変化がわからぬのだ。

●あたしの芸能情報源・相方でこのブログ
ブサイクな人を描かせたら3分でアップ!