フィル・マロイ『破壊の発明』 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

スーパー人類


フィル・マロイが描く生命体を
あたしのタッチで。
強烈な誠のメッセージを どうぞ受け取って。


海外へ出かけると、
思ってもみなかった価値観にふれ、
日本では常識とされることが非常識へすり変わり、
それまで後生大事にしていた価値観が
ガラガラと音をたてて崩れ、
これまで なんと些細な枠組みに とらわれていたかと
愕然としてしまうことがある。
逆に、日本人特有の島国根性とか
独自の風習だと思っていたことが、意外や意外、
遠く異国の地でも同じように捉えられていて、
何となく安堵することもある。こんなふうに、
異国とか、異文化などの“異なもの”に接することで、
人は物事の善悪について、
客観的に見つめ直すことができる。

たとえば、日本の社会で暮らす人は、
いつの間にか決めつけていないだろうか、
夕食は家族全員が揃って食べるのが一番だとか、
痩せている方が絶対に美しいだとか、
子どもは学校へ必ず行くものだとか、
昨日の話のように「携帯電話は持って当たり前」などと、
頭ごなしに決めつけたり、縛ったりしていないだろうか。

それらの決めつけは、
世間で噂されている常識という枠に
むりやり個人を当てはめた思考であって、
本来は その逆。 個人に似合う思考や形態を、
個人が社会から自由に選択するべきで、
その結果、個人が輝いていれば素敵だし、
それが民主主義というものではなかろうか。
ただし罪を犯すだとか、自己中心が過ぎても困りもの、
「譲り譲られ」の協調性は あってしかるべき。

あたしは ときどき哀しいことを思う。
日本には民主主義という自由に生きられるシステムが、
今も まったく根付いてないんじゃないか、と。

自由に生きたいのなら、
他人の自由も認めなければならない、
他人の嗜好を力づくで踏みにじるようなことも
けっして あってはならない。

そんな気持をワッと抱かせてくれたのが、
ゴールデンウィークに開催された、
『イメージフォーラムフェスティバル2005』のプログラムで、
フィル・マロイの短編アニメ特集『破壊の発明』。

それまでアート雑誌などで
名前をよく見かけたフィル・マロイの作品を
ようやく、この目で観ることができた。
うわさ通り、かなり過激で、暴力的で下品で残虐で、
でも愛にあふれてた。

フィル・マロイは泣いてる。
泣きながら、彼は
現代社会が とらわれている宗教やら
政治やら戦争やら
経済やら、そして 価値観やらを
ことごとく破壊する。

もしも この星に、顔が下半身にあって、
性器が頭にある、そんな男性がいたら?

もしも、ふたつの乳房が肩の上にあって、
その間から陰毛が伸びている女性がいたなら、
常識はずれだといって、
男は女を抹殺するのだろうか、また、
そんな男女が幸せに暮らす小さな国があったとして、
よその大きな国々は“異なもの”として、
その国を抹殺してしまうのだろうか。


マロイは確か、イギリス生まれで、年齢は50代のはず。
オッサンだけど感覚はおそろしく若い。
だから絵にも“えぐみ”があって、
繊細な人は受け入れられない描き殴った黒い世界。

イギリスといえばビートルズが生まれ、
パンクが成熟した国、そして、
現在のイラク戦争に深く深くかかわっている国、
何だか、とてつもないものを産み出すパワーをひめた国。

そんな国でクリエーターとして活躍するマロイの作品は
DVDやビデオや一般の映画館では
滅多にみられない。けど、
いつかどこかで出会えるかもしれない、
だから名前を覚えていて、
フィル・マロイ。

★★★★★★☆ 7点満点で6点
7分の作品『椅子の性生活』なんか、
めっちゃアホ臭くて 思わず吹き出したけど、
現在の人間像と ぴったり重なって、ウ~ンと唸った。

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コマ犬の片われ・でこを叱咤するスペース
フィル・マロイは 今度の日曜日 15日に、
京都のドイツ文化センターでも上映されるし、
本当なら でこ君には 這ってでも観に行ってほしかったのに、
残念やわぁ~~二の腕の損傷がまだ癒えへんらしいし、
またいつか。にしても残念やぁ。はよ、怪我が治るよう、
3日間ぐらい ずっと寝とけーっ!

●何かにたたられているB型の相方・でこのブログ