偽映画『蒼い嘘』 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

真っ赤な嘘だなんていうけれど、
嘘にも いろんな色がある。
たとえば蒼い嘘。


そういえば・・・
タイトルに“嘘”が しっかり付いてる映画があった、
『金色の嘘』、『やさしい嘘』、
あたしは両方とも観てないけど、
想像するにそれは
「誰かをシアワセにするための嘘」で、
罪深いものではなく、良き嘘なのだろう。おそらく
子どもの頃に大人から躾けられた、
「嘘をつくな!」とは逆のもので、
きっと「嘘も方便」という ことわざがあるように、
バカ正直なだけが人生じゃぁない。

誰かを想いやり、守るための嘘は許される、
嘘は真っ赤な嘘だけでなく、
映画のタイトルのように、金色に輝くことも、
やわらかな桃色になることもあるだろう、
そうして、あるときは優しく、あるときは恐ろしく、
とかく嘘と鋏は使いよう。

嘘も色々かぁ。
「では」、と あたしは自分に問う。

自分に嘘をつくな、と人はいうけれど
もしも、自分を偽ったなら、そのとき、
嘘は いったい何色なのだろう。

「それは」、とあたしは応える。

嘘は蒼い。

ときどきあたしという人間は あたしに対し、
ものわかりのいい大人のふりをして、
こんなことを説いて生きている。

 思うがままの人生を歩もう、
 人生は一度っきり、悔いのないよう、
 自分の気持に嘘をつかず、
 正直に、あたしらしく生きよ、と。

けど、そればっかりだと きつくて、顔が青くなる。

例え話をすると
胸が苦しいぐらい“何か”を好きになって、
自分で自分の気持が止められなくなる、
やがて、その気持が、
体の内側で手が付けられないほど飛び回り、
そのうち、何かの拍子で外側へ飛び出して、
他の誰かを傷つけてしまう恐れがあるのなら、
進むべき道は ふたつに分かれる。
自分の気持に嘘をつくか、つかないか。
つまり“何か”を諦めるか、諦めないか、どちらか。

例え話をあなたは「大志」と捉えますか。
それとも「横恋慕」と捉えますか。
実は このふたつ、言葉は違えど同じこと。
人って、年齢や経験という時間旅行の中で、
「自分を偽る」ことが何度か あって、ないほうが変で、
ただし、それが「良い嘘」なのかどうかは、
嘘が おとなしく じっと、
止まり木にとまってくれるようになってから、
ようやく判別できる。それまでは、
刹那の嵐が吹き荒れ、苦しいったらありゃしない。
そのとき、嘘は瞳に映る どの青よりも
青くて蒼い‥‥。

結局は、自分に優しくできるかどうか、
これにつきるわけで、今日、大嘘つきのあたしが、
こんなにも嘘について真面目に語ったのは、
今朝、起きたとき、
窓辺に一羽の青い鳥のようなものがいたから。
「のようなもの」というのは、
よーく見たら、それは人の顔をしていたので、
これはもしかしたらもしかして、
誰かの胸から飛び出した蒼い嘘なんじゃないか、
そんなふうに思ったわけで、今日もどこかで、
誰かが自分に嘘をついてるんでしょう。
そういえば、「しあわせの青い鳥」。実はこれも、
「蒼い嘘」をさすのだと、昔 何かの本で読みました。

            実話『蒼い嘘』 <完>

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でこのための背開きのおしえ
関東では鰻は背開きやねんて。
腹開きは武士文化でいう切腹を思い出させるので、
縁起が悪いということで、避けられてるそうじゃ。
しかも関東は開いたうなぎを、
一度蒸してから焼くんやて。関西は腹をさいたあと、
蒸さずに いきなりアミでジューするやん。
浜松でうなぎを食べるとしたら
(もう10万は もらったつもりでいるのがコワイ)、
たぶん背開きやと思うけど、堪忍してや~。

●親不知をぬいた次の日 オタフクみたいな顔になってたのに、
その顔で映画を観に行ったという でこのブログ