涙の壺 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

大粒の涙がひと粒入った素焼きの壺。
涙腺のゆるい人種が携帯するもので、他人には見えない。
一般には目と目の間にぶら下がっていて、壺に刺激が加わると
容易に涙粒が壺の底からポタリと落ちる。
壺の大きさ、形、色は人によって さまざま。
壺から零れる涙は時として激流になることもある。


涙もろいと思う。
映画館でも短い予告編で すでに泣いてしまい、
大変なことになってしまうことも。
あたしが携帯している涙の壺は
ちょっとしたことで振動し、零れ落ちる。
いったい壺は何に振動するのだろう、
あたしの場合、情景や音楽や色彩であることが多く、
どちらかというと言葉だとか
映画の場合のセリフだったりすることは滅多にない。
あたしの額に ぶら下がっている涙壺は
おそらくセピア色の記憶にリンクしてる。
映画館のスクリーンに次々と流れる場面、
そのたった1コマの記憶を壺は逃さない。
おまけに素焼きの壺は、
厚さが年々 うすくなっているらしく、
揺れたかと思うと、すぐに滲んでポタリと落ちる。

「年々」などと、年齢のせいにしてしまったけど、
実は あたしは 子どもの頃から泣き虫だった。
おもしろいほど すぐに涙が出たので、
よく大人から「泣きなさんなっ!」と叱られた。
「恥ずかしい」とぶたれたこともあるし、
自分でも「カッコ悪い」と思ってコソコソ泣いたりもした。
けど、大人が叱れば叱るほど、
自分でも「泣いたらあかん」と思えば思うほど、
それを嘲笑うかのように涙は溢れた。
だいたい「泣いたらあかん」という言葉ほど、
泣ける言葉はないはずで、そう思えば思うほど涙壺は絞られ、
やがて激流となるのだった。

あたしは働くようになって、
初めて ひとりで映画館へ行った。
「大人になったなぁ」と思い、
気楽でいいなぁとも思った。
そのうち、あたしは ひとりで映画館へ行く方が
自分にとって都合がいいことに気付いた。
あたしは暗闇の開放感を覚えたのだ、
映画館では いくら泣いたって誰からも叱られない、
暗闇がそれを許してくれる。泣き虫のあたしは
気兼ねなしに涙を流せる「泣いてもええ場所」を得て、
涙の壺も我慢することなく、
敏感に振れるようになり、今に至る。
ちなみに涙壺を携帯しているおかげで、
あたしは時折、こんな感覚を味わうことがある、
それは涙の壺を絞り切り、一旦 カスカスにしてしまうと、
額から実に壮快な気体がスーーーッと抜けるのだ、
感情を解放しきった状態で、その後は身体が軽くなる。

たぶん、思う存分泣くというのは、
スポーツをした後の、爽快感と似てる、だから
「泣ける映画!」というセールスも分からなくもないが、
でもなぁ‥‥昨日初めて公開中の
『ネバーランド』のテレビCMを見たところ、寒ぅて寒ぅて、
映画館で泣いているブサイクな女の顔を映すの止めれ!
「泣かせます!」って強気にいわれたら、
ふつー引くって、あたしのような皮肉屋は!
こんなふうに宣伝が寒かった映画で記憶に新しいのが
『セカチュー』や『いま会い』がある。
いずれもブサイクな女が泣いている映像をCMで使ってた、
おかげで あたしの涙の壺は
乾燥しきってカッチカチに硬直したっちゅうに。

ところで、涙もろくて皮肉屋のあたしは、
その反動だろうか映画では笑わない。
笑ってやるもんかと、
常に強い意思をもって客席に座ることにしている。
実に かわいげがない。だから ちょっとしたことで
ケラケラ笑ってる女のコがカワイく思えて仕方がない。
どうも涙の壺の厚みが うすくなってくると、
オッサン感覚になるらしい。そのうち髭も生えそうや。

相方の でこも笑いにうるさいらしいから、
映画でも滅多なことでは笑わへんと思われる。
思えば あたし、大笑いした映画って記憶にないねんかなぁ。
フフッか、ハハッ程度やな、
腹の底からギャハハハハ~~って笑えるのは
映画や他人の芸ではもはや不可能、
そんな中で『コマ犬・生対談』は数少ない笑える場かも。


●相方・でこのブログ