A.I. その3 |  ◆ R I N G O * H A N

 ◆ R I N G O * H A N

歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

ロボットかぁ。。。ほしい?
あたしは『火の鳥』に出てくるロビタみたいな形やったらほしー


「映画は映画館で」を理想とする あたしであるが、
『A.I.』についてはTV放送で観てよかった、ような気がする。
もしかして、劇場で観ていたなら、
途中で飽き飽きしていたかも‥‥。
そのわけは映画の明度が全体的に暗く、
最初から最後まで、ずーっと夜に浸っていたような、
もう ちょっと朝日も昼の光も浴びたかったなぁ
というトーンだったため、
それを真っ暗の劇場で一気に観ると疲れそうで、だから先日の、
TVでCMを挟みながら休み休みというペースは楽しかった。
しかも「読まなくてもいい楽チンな日本語吹き替え」で
気楽に観られたこともポイントが高いかも。
というのも この映画、
けっしてエンタメ・ファンタジーではなく、
テーマが かなり重いのだ、なんちゅうても、
「人類はどこで生まれ、どこへ行くのか?」を
問いかけている壮大なストーリーなのだからして。

この映画が公開された当時、
あたしの周辺では この映画を酷評する人が目立った。
遅れて観た あたしも、その気持が なんとなく分かる、
確か、これって お正月か夏休みの映画として
公開されたように記憶してるけど、
けしてファミリー向きの内容ではない。
たとえば「夢と感動が詰まった『E.T.』第2弾」として
ウキウキして出かけたら、間違いなくガッカリするだろうし、
原案者のキューブリック色を期待すると、
甘過ぎて“異常さ”が足りず、肩透かしをくらうことになる。

ところで“異常”といえば、あたしも異常かも。
ジュード・ロウが演じたロボット・ジゴロの、
『寝技の披露』がなかったことを不服に思ってるんだから‥‥。
いやしかし、おくさん、
ロボットが どんな風に女を惑わし、
いかように“天国へ連れていく”のか、
そこらへんのテクを きっちり見せてもらわないと、
わざわざロボットをジゴロに仕立てた意味が伝わってこないし、
ロボット・ジゴロの悲哀も宙ぶらりん。
というより、そもそもスピルバーグは
ファミリー層にドッと観に来てもらうという魂胆で作ってるから、
エロエロ場面は描けないわけで‥‥、
だーかーら、そのあたりの「ヒットメーカーとしての姿勢」が、
この映画を中途半端なものにしてしまった。
そのおかげで、困ったことに、
最後の場面で泣いたりする客が出てくるねん。
いっとくけど、あそこは泣く場面と違うで~!
アメーバに似た A.I.のナレーションを聞きながら、
客はホッと安堵、拍手喝采の場面ではないか。
そうして、客は家々で考えるのだ、
『さて、人類が再生する未来はあるのか?! 』。
ああーん! この重要なメッセージが
ジュード・ロウの濡れ場がないばっかりに、
伝わりにくくなってしまったやんか! (????)
‥‥違うような気もするが‥‥たぶん、
映画全体が お涙頂戴物になってしまったせいだ、
いっそ、ジュード・ロウの方を主人公にして、
「愛のある一夜を求めてさすらうロボット物語」
にしてもよかったような気もする‥‥
な~んて、「ヒット命」のスピルバーグが、
そんなピンク崩れの色物は作らないか。
でも、この映画の空気はエロチックでなければ
まるで主題が伝わらん! と あたしは思うけど。

それに近ごろの あたしが、
スピルバーグ作品に駆り立てられなくなったのは、
そういった経営者的な制作姿勢が見えるのが原因で、
大量生産の匂いがする映画は、
なるべく安価に、出来たらタダで観たいと思ってる。
だから今公開中の映画『ターミナル』も、
「いつか観られたらいいか」ぐらいの思い入れ。
そんな状況下で観た『A.I.』は、なんと一見に値する作品で
語るべき要素が いっぱい詰まっていた。
(でも、『ターミナル』は劇場では観ない予定)
だから、あたしは こんなにも夢中で感想を書いてしまうわけで、
なかでも この映画で強く感じたのは、
ユダヤ色ということ。それはたぶん、スピルバーグが
ユダヤの血を汲んでいるせいもあろう、
以前の記事にも書いたように、
反ディズニー的な姿勢が最たるもので、
きれいごとでは終わらせないドギツイ風刺が実にユダヤっぽく、
この映画の好き嫌いを激しくしているのだろうと思う。
そして この映画の後、スピルバーグは皮肉たっぷりの
『シュレック』というCGアニメを手掛けるわけで、
ふたつの映画は一本の線で結ばれる。
ちなみに『シュレック』の原作者もユダヤ人。

また、あたしが観たスピルバーグ作品で、
いつも感じるメッセージをこの映画でも受け取った。
「たった一つしかない個性」。
だから個人の尊い命は発明や生産では
けっして生まれない
といっているわけで、
人種や肌の色を問わず、生まれたままの姿を
そのまんま受け入れてくれる相手が入れば、
その人は幸せである。だから、
受け入れられないような気色悪いロボットを発明するなと、
映画は警鐘を鳴らすわけで、だから『A.I.』の場合は
人間ではなくロボットが主役だったけれど、
だからこそ、ディズニーの『ピノキオ』のように、
主人公は別の生き物に生まれかわったりしないのだ。
映画は悲劇で終わったように捉えられがちだが、
ロボットの少年は眠りに落ちる前に、
自分が欲しがっていた別の愛をキャッチする、
映画は 個人よりも、むしろ社会へ向けて、
様々な個性を受け入れられるだけの しなやかさを持て!
そう訴えているように感じた。
★★★★★☆☆☆ 7点満点で5点
この映画で最も印象に残った言葉は、
ロボット・ジゴロが最後に残したセリフで、
「ぼくは存在していたんだー!」。   (ENDじゃ)

*******************
明日は映画は『婦人の日』である。
もしも明日、ええ天気で、
今やってる仕事にメドがついたら、
相方がムキになって薦めてる映画
『ベルヴィル・ランデブー』を観に行こうかなー。

●相方・でこのブログ