春夏秋冬そして春 -その3 |  ◆ R I N G O * H A N

 ◆ R I N G O * H A N

歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー





カエルの裏側が むしょうに描きたくなったので描いてみた

昨日で『春夏秋冬~』の感想は締めたはずなのに、
どうしてもカエル白い腹側が描きたくなって、
くどくどと「その3」と相成った。

年が新しくなっても、相変わらず今は戦火の時代。
もう うんざり。争って傷つけ合ったところで、
恨みや憎しみが残るだけで、なんの解決にはならないものを、
ほんまに人って愚かな生き物だ、自分自身も含めて。
ときどき人間がこの世に存在すること自体が罪悪で、
人類誕生の瞬間から数千年を経て
この星は破滅へと向かっているのかもしれない、
なんてことを思う。
地球規模で書いてしまうと大袈裟で分かりにくいけれど、
たとえば、あたし自身の生い立ちを振り返ってみても
同じことだと思う。
あたしってヤツは生まれながらにして
罪をおかしているんじゃないか…?

『春夏秋冬~』の一番最初の「春の章」で、
幼い少年が無邪気に生き物へ悪戯をして、
カエル以外の生き物を殺生してしまうシーンを見たとき、
あたしも あの時分に同じような悪戯を
身近にいた生き物にしては喜んでいたことを思い出した。
おたまじゃくしに紐をくくり付けて動けなくしたり、
カエルを日干しにしてカラカラにしたり、
おそろしいことに生き物が苦しんでうごめくのが可笑しかった。
映画の少年が和尚に忌ましめられ初めて、
自分が生き物から命を奪ってしまったことを知ったように、
あたしも あるとき大人に叱られて知った、
もう二度と動かないということ、それが“死ぬ”ということで、
そこへ追いやったのは自分だと‥‥。
そのとき、「他者のすべてを奪う」ことの怖さと、
人間には小さな命を簡単に奪うことができる能力が
ふつうに備わっている強い生き物なのだと思い知った。
そうして大きくなるにつれ、生きていれば無意識のうちに
誰かを傷つけてしまうものだと気付く。
それは罪か、業か‥‥?

映画は、最後の章で再び
「春の章」がめぐってきたところで、終わる。
きっと、人の罪は同じように繰り返されるだろう、
けれどそれが始まりであり、
春なのだと監督は訴えているように思う。
人間という生き物に失望するのは容易だが、
まだまだ先送りでいい。

********************
どこよ~。いつの間にか、
プロフィールに写真を入れられるようになってるねんで~。
さっそく、でこ画伯のなつかしのイラストを入れてみた。

●相方・でこのブログ