ウソの世界を楽しむ人 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

「よ! まってました!」
金曜日に行った横浜日劇にて。
やるね~ひばりちゃん、つよぃ! キン兄!
やんややんやと見せ場で拍手。
お芝居に近い映画が そうさせる。
さて、あたしはどこにいるでしょう。


映画だけじゃなく、
一年の間に あたしは生のお芝居もけっこう観る。
お芝居だけじゃなく、
ダンスやバレエ、音楽ライブなども含めると、
あたしは“演じる人”に憧れ、
たぶん それは、創作すること全般を意味してる。
小説も、絵も、唄も、踊りも、
人間にしかできない、無から生まれる形ある感動。
毎日の食事、料理だって無から始まる。

金曜日に観た二本の映画は
『沓掛時次郎~』も『おしどり喧嘩笠』も
スターを目当てに観たくなる映画で、
監督の創作性云々を語るような芸術品でも伝統芸能でもない。
そこには時代の寵児というべき花形スターがいて、
キン兄にしても、ひばりちゃんにしても、鶴田の兄貴にしても、
お目当てのスターが いよいよ登場! となると、
「まってました!」と合いの手が入る。
お芝居という世界がもっているニッポン独特の名調子で
この延長線上で創ったのが 金曜日に観た二本で、
それは出し物というべき映画。
出し物は、たいてい一幕二幕と分かれていて、
幕開けには必ず見せ場があり、
山場にはスターの花道もちゃんと用意されている。
それらがスターの腕の見せ所であり、
客はスターの「お決まり芸」と
「呼び物芸」を楽しみに劇場へ向かう。
歌舞伎なんかも同じで、話の筋は決まっているから
どう演じるか、どう描くかが要点。
話の筋は とうに分かっているから、
少々の雑音も気にならないわけで、
お腹が減ったら幕の内弁当を広げたり、
アンパンにパクついたり。
客はスターが演じる真っ赤なウソの世界を
お腹を抱えて笑ったり、唸ったり、手拍子 足拍子(?)
出し物に、ちゃんと客が参加できる間合いが、
用意されているからできること。

金曜日にあたしが観た二本。
なぜだろう、絵に描いてみたい場面が
二本共にない。唯一、描くとしたら、
『沓掛時二郎~』に出てくる、
母子と股旅者が三人で歩く夕焼けの場面だけど、
どうしても、あたし流の絵に置き換えることができない。
あの場面を絵にするとしたら、
かなり試行錯誤する必要があり、
一枚として完成するには時間がかかりそう。
けれど、今もなお強く印象に残っている場面はある。
ただ それは映画の中ではなく、
あの日 映画を観ていたお客さんの笑い声や拍手や、
映画が終わった後の表情。そして映画館の従業員。
あたしの記憶が うすれたときも思い出せるよう
それらは絵という形にして留めておきたい。

今はもう、いかなる娯楽映画が公開されたとしても、
手拍子や合いの手を入れるお客なんぞは いないし、
そういったお約束ごとを心得ているお客もいない。
それに映画の方だって、
お客が参加できる間合いを汲んでいることもないし、
だいいち、国民的花形スターが映画界にいないもの。
スターは究極のウソの世界で、
上手にウソをつくために存在し、
そこで芸を極めた芸人が客をわかせる。
芸を磨くため人前に立ち、ウソに興じ、客の呼吸を感じる、
これが演じることの「始まり」であり原点で、
ウソの世界を受け入れるための「あうんの呼吸」が、
お客の方に薄くなった今、花形スターも艶のある芸も
映画館では生まれまい、育つまい。

ただいまの あたしは
どうやら娯楽を求めて映画館へは行かなくなった。
だからだろう、「金曜日に観た二本」がどこか遠くにあり、
あたしの身近な客席にこそ、
とんでもなく胸打たれるシーンがあったのだ。

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ツッコミ本日ぶん
相方の でこが、親不知を抱えたまま
流行のインフルエンザに倒れ、
復帰の見込みがたたない日曜日、
久しぶりに 影うすいワッシーに ふってみよう。
今年になってワッシーが観た映画は23本。
先週は『銀座の恋の物語』を観たらしい。
確かに、浅丘のルリちゃんは、スター光線バリバリ、
ものすごいオーラが出てる特殊な作りもの。
ウソの世界で生まれ、そこでこそ光を放つ御方で、
今後、あんな女優は現れるのは難しいはず。

●無口で影うすい ワッシーの映画採点
●インフルエンザで撃沈中の相方・でこのブログ