イブラヒムおじさんとコーランの花たち -その2 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

ガーデンシネマを出てすぐの場所にあった木。
ライトのせいか、ところどころ白く見えるのがおもしろい。


ふとしたきっかけでトルコを旅行してから、
あたしはトルコのトルコ…ではなくトリコになり、
トルコの核となっているイスラム教とその文化に興味をもった。
ついにはコーランをも読んでみたけれど、その内容はかなり難解で
イスラムの教えを理解するなどという段階には まったく及ばず、
ただヤンワリと分かったことは
コーランの教えはとてつもなく厳しいということ、そして、
神さまは絶対的に人の手の届かない尊厳だということ。
ゆえにイスラム教には偶像が存在しないのだ、
つまり神という存在が人やその他の動物の形として
創られたり崇められたりすることはない。

そのうち、あたしはイスラム神秘主義といわれる
特殊な一派があることを知り、やがて
彼らが詠んだ詩の世界に憧れ、
何度も何度も繰り返し読むようになった。
彼らの詩は、日本から遠く離れたイスラムの言葉というより、
どこか懐かしく、昔から知っているような響きがある。
詩が意味するもののほとんどは、神への尊敬を詠んだもの、
人生を説いたものだったけれど、
それはどこか恋人への愛の告白のようにも思えるし、
母を慕う幼子のようでもあるし、
ときに自分の姿勢を戒めたりもする、
その世界観、あたしは ちょっと仏教に似ているように思う。
同時に、そんなふうに神を近くに感じたり
親しみを覚える行為こそ、他の宗派にとっては許せないのだ、
だから争いが耐えない、そういうことも分かってきた。
『イブラヒムおじさん~』に出てくるスーフィーと呼ばれる人たち、
彼らもそんな神秘主義に属する人たち。
白い衣装を身に付け、クルクルと体を旋回させて、
無我の境地に入ろうとする行為こそ、座禅のそれと似ている。
思うに信ずる形が違えど、人の願いはみな同じ、
幸せになりたい、愛されたい。
イブラヒムおじさんも そんなスーフィーのひとり。

この映画は宗教世界を描いたものでも、
今の世界情勢を反映したものでもなく、
イブラヒムおじさんと少年モモの間に芽生えた情緒を
できるかぎり自然に描きつつ、洒落気も注いだ物語。
おそらく、イブラヒムおじさんにとって
モモと出会ったことが、人生最大の事件で、
モモに信頼されたことが最大の喜び、そして伝えていきたい歴史。
だから全財産をはたいて赤いスポーツカーを買ったときも、
モモに自分の故郷を見せるべくビュンビュン飛ばしているときも、
助手席に座っているモモ以上に輝いていた。
イブラヒムおじさんはモモにいう、
「わたしはコーランに書いてあることしか知らないよ」
イブラヒムおじさんがモモに伝えた幸せになる方法を、
私はコーランではなく、日本という国で人と出会って覚えた。
映画の後半、イブラヒムおじさんとモモは旅の途中で、
トルコのボスフォラス海峡をのぞむ。そのときの、
幸せを絵に描いたような満ち足りたふたりの顔は、
あたしが同じ風景を見たときの感情と だぶった。

映画のラストはあっけなく、“何か”が終わってしまう。
淋しかった。ポロッと泣いてしまった。
映画は原作にそって かなり忠実に作られたそうだけど、
ふたりの旅の途中で終わってもよかったように思う。

★★★★☆☆☆ 7点満点で4点。
エンタメ系が好きな人には たいくつかも。
それから来年早々、
またまたトルコ好きには気になる映画がやってくる!
トルコが舞台のギリシャ映画『タッチ・オブ・スパイス』、
ギリシャがトルコを描くなんて、楽しみ~!

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相方・でこへのツッコミ
そろそろ年末の大わらわが相方を襲っているのであろう。
年末年始、相方は仕事に振り回されテンテコ舞い、
フラフラになるのが恒例行事となっておる。
だいたい相方が“くわい”に八つ当たりするのが第一段階、
その後、じわじわと忙しさがピークへと向かい、
最後には手の付けられない猛獣へと成りあがる。
明日あたり、おそらく相方は、
豆腐の角に自分の頭をぶつけて唸っているだろう。
あんじょうやりや~でこよ~。

●相方・でこのブログ