ガーデンシネマを出てすぐの場所にあった木。
ライトのせいか、ところどころ白く見えるのがおもしろい。
ふとしたきっかけでトルコを旅行してから、
あたしはトルコのトルコ…ではなくトリコになり、
トルコの核となっているイスラム教とその文化に興味をもった。
ついにはコーランをも読んでみたけれど、その内容はかなり難解で
イスラムの教えを理解するなどという段階には まったく及ばず、
ただヤンワリと分かったことは
コーランの教えはとてつもなく厳しいということ、そして、
神さまは絶対的に人の手の届かない尊厳だということ。
ゆえにイスラム教には偶像が存在しないのだ、
つまり神という存在が人やその他の動物の形として
創られたり崇められたりすることはない。
そのうち、あたしはイスラム神秘主義といわれる
特殊な一派があることを知り、やがて
彼らが詠んだ詩の世界に憧れ、
何度も何度も繰り返し読むようになった。
彼らの詩は、日本から遠く離れたイスラムの言葉というより、
どこか懐かしく、昔から知っているような響きがある。
詩が意味するもののほとんどは、神への尊敬を詠んだもの、
人生を説いたものだったけれど、
それはどこか恋人への愛の告白のようにも思えるし、
母を慕う幼子のようでもあるし、
ときに自分の姿勢を戒めたりもする、
その世界観、あたしは ちょっと仏教に似ているように思う。
同時に、そんなふうに神を近くに感じたり
親しみを覚える行為こそ、他の宗派にとっては許せないのだ、
だから争いが耐えない、そういうことも分かってきた。
『イブラヒムおじさん~』に出てくるスーフィーと呼ばれる人たち、
彼らもそんな神秘主義に属する人たち。
白い衣装を身に付け、クルクルと体を旋回させて、
無我の境地に入ろうとする行為こそ、座禅のそれと似ている。
思うに信ずる形が違えど、人の願いはみな同じ、
幸せになりたい、愛されたい。
イブラヒムおじさんも そんなスーフィーのひとり。
この映画は宗教世界を描いたものでも、
今の世界情勢を反映したものでもなく、
イブラヒムおじさんと少年モモの間に芽生えた情緒を
できるかぎり自然に描きつつ、洒落気も注いだ物語。
おそらく、イブラヒムおじさんにとって
モモと出会ったことが、人生最大の事件で、
モモに信頼されたことが最大の喜び、そして伝えていきたい歴史。
だから全財産をはたいて赤いスポーツカーを買ったときも、
モモに自分の故郷を見せるべくビュンビュン飛ばしているときも、
助手席に座っているモモ以上に輝いていた。
イブラヒムおじさんはモモにいう、
「わたしはコーランに書いてあることしか知らないよ」
イブラヒムおじさんがモモに伝えた幸せになる方法を、
私はコーランではなく、日本という国で人と出会って覚えた。
映画の後半、イブラヒムおじさんとモモは旅の途中で、
トルコのボスフォラス海峡をのぞむ。そのときの、
幸せを絵に描いたような満ち足りたふたりの顔は、
あたしが同じ風景を見たときの感情と だぶった。
映画のラストはあっけなく、“何か”が終わってしまう。
淋しかった。ポロッと泣いてしまった。
映画は原作にそって かなり忠実に作られたそうだけど、
ふたりの旅の途中で終わってもよかったように思う。
★★★★☆☆☆ 7点満点で4点。
エンタメ系が好きな人には たいくつかも。
それから来年早々、
またまたトルコ好きには気になる映画がやってくる!
トルコが舞台のギリシャ映画『タッチ・オブ・スパイス』、
ギリシャがトルコを描くなんて、楽しみ~!
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相方・でこへのツッコミ
そろそろ年末の大わらわが相方を襲っているのであろう。
年末年始、相方は仕事に振り回されテンテコ舞い、
フラフラになるのが恒例行事となっておる。
だいたい相方が“くわい”に八つ当たりするのが第一段階、
その後、じわじわと忙しさがピークへと向かい、
最後には手の付けられない猛獣へと成りあがる。
明日あたり、おそらく相方は、
豆腐の角に自分の頭をぶつけて唸っているだろう。
あんじょうやりや~でこよ~。
●相方・でこのブログ