事件番号 平成27年(ワ) 第2699号
原告 大橋孝次
被告 安立真一
平成29年 9月 17 日
名古屋地方裁判所 民事4部 イD係 御中
原告 大橋孝次
第 14 準 備 書 面
記
被告が提出した、守山荘病院が名古屋簡易裁判所に提出した医療記録の複写である証拠(乙A第1~6号証)において、著しく改ざんが認められる点は原告が改ざん前の医療記録を証拠として提出する。
1 被告には何度も家族の言い分が虚偽だと知る機会がこれ程までに繰り返し 有った事を以下に記す。
(1)乙A第1号証9項。平成3年(1991年)10月4日。
菅医師。「<本人がどうしても他所がよいというならともかく、そうでなければ、近くて家族が安心できるHp(ホスピタル、病院の略)へ入るほうがよいのでは?>」
菅医師は当初から疑問に感じている。
(2) 乙A第1号証11項。10月11日。
父と母は最初から入院を強く望んでいるが、入院が必要な症状として、「いつも悪い訳ではない。たまに昼夜逆転している」と菅医師に話し、菅医師は「<何が云いたいのか?>」と記している。以降、菅医師の診察に行った記録は無い。
(3)乙A第1号証12項。10月12日。
被告の記述「現時点ではschizoの はない。」
(4)乙A第1号証15項。11月6日。
父との不仲。母は「父親と顔を合わせたくないのがよく分かる」
家族間の不仲だと母は正直に話している。
(5)乙A第1号証16項。11月20日。
母「ここ2年くらいは家では一緒にご飯を一緒に食べなかった。姉のところでは皆と一緒に食べたとの事」
これでさらに家族間の不仲と気が付くはずである。
被告が主張する病識の無い精神分裂病の、しかも破瓜型をどうして伯母が自宅に呼んだのか。室際に被告の言うとおりならば、伯母宅につくまでに人の一人や二人を刺殺しているはずである。また薬は一切持っていった形跡はない。そもそも食事は祖母が作っていた。
(6)乙A第1号証17項。12月10日。
母「新幹線には乗れた?」と原告に聞く。原告は知的障碍者扱いされていた。
母「夫は今まではピリピリしてはいなかったが、部屋をメチャクチャにしてからピリピリしてしまった。」
完全に父と原告の関係が破綻していると知りえたはずである。
(7)乙A第1号証18項。12月25日。
母が言う、暴れて壊した云々が分からない。
母「東京に行くときに本人に5万円渡しておいた。姉に5万円渡しておいた。帰りに姉は預かったお金をPTに渡したとの事。(見せなさい。いくらあるのときいた)
姉からのお金について詳しく聞いたところ急に興奮しだした。
今までも命令的に言っていたのかもしれない」
原告としては伯母からいくら貰っていようが関係ないだろと。何故しつこく聞くのかと、今までの事も含め腹が立ち、紙幣を破いて母に投げつけた。
原告が母への軽蔑を明確に示したのは初めてかもしれない。母は初めて本気で原告に対し謝っていた。土下座までしていた。今まで自分の事で怒っているのかと思っていたことも話していた。原告としては気が付いていなかった事に驚き、母に対して、病的な人格で気の毒な人という感情が生まれる切っ掛けともなった。
(8)同上。高校に行けば母の情緒も落ち着くのかと行ってみたが、ここでまた母が学校に電話し、後に同級生から聞いたが、担任の先生が「大橋が来るから普通にしといてやってな」と言っていた。同級生は「そんな事言われるの嫌じゃない?」と。原告は高校になんら不満などない。無理やり不満を一つぐらい言えと言われれば、高校が最寄りの駅から2.2kmもあった事くらいである。
重要なのは、既に母は被告の治療を受け始めていること。母は自身の異常さに気が付いていること。被告は母の精神疾患について知りえた事である。
(9)同上。
母「火、水は休んだので教頭先生に今まで経緯を話す。」
母「ptの小学生低学年の頃、ptの事を「疲れ気味」「○(解読不可、「油」か?)切れ」と日記に書いてあった。」
これは小学三年生の初夏、担任の小林先生が連絡帳に長文を書いていた。
「体力の無さは以前から気が付いておりました」で始まる長文だった。
母は被告に、原告が子供の頃から体力が無いと指摘されていた事を伝えている。
これにより、被告は内科的要因を知りえたはずである。
入院後も原告は点滴やエンシュア・リキッド(経腸栄養剤)の処方を頼んでいる。
(10)乙A第1号証19項。平成4年(1992年)1月22日。
デパスは明らかに麻薬的な作用があり、数回飲んで止めた。
原告提出の意見書に書いたように、壁に1m四方のドラゴンボールの絵を書いた。母は「これどうやって貼ったの?」と言っていた。絵は得意なのでポスターのように書けるが、デパス服用後30分から2時間の間(つまり一時間半)の間に部屋の壁に絵を書くという行為は普段の原告にはあり得ない行為であり、上手い下手は関係ない。こういう行為を母は被告に伝えた記録が無いのは首を傾げるところである。
(11)乙A第1号証20項。2月12日。
原告はデパス、セレネース、共に飲んではいない。
登校後に音響を大きくして音楽を聴いていたとあるが、これも理解できない。
恐らく単にハードロックでも聴いていたのを、母が「イライラしている」と解釈したに他ならない。
(12)乙A第1号証21項。3月24日。
デパスは飲まない事にしている。
「2Wから3Wに一回、音楽をボリュームを上げて聞く(夜中にはしない)」
だから何?という話である。
(13)乙A第1号証21項。8月11日。
約5か月の謎の空白。
「行動面では特別な異常はないが、家族を避けたりしている」
母と兄が喧嘩をしていた。
母は怒りでも悲しみでもなく、弱い者に強く出る兄の事が情けなくて泣いていた。原告としましては、兄はまさに「子は親の鏡」の典型ある。
母は階段で声をあげて泣いていた。原告への助けのアピールだと思われるが無視した。父は1階にいてうろうろ歩いていた。
原告としては、このような異常な家族を避けるのは身の保全として当然である。
当時飼っていた犬(柴犬、雌。原告が6歳の時から飼っている)を原告が可愛がっていたのは事実であるが、それが何か問題でもあるのだろうか?
(14)乙A第1号証22項。8月26日。
「胃の薬はずっと服用している」
何の事だかさっぱり分からない。被告が処方した薬でなく市販薬の事であろうが、全く記憶に無く、なぜこのような事になっているのか不気味である。
(15)乙A第1号証23項。10月20日。
2か月空いている。被告が母に質問。
<夫の性格は>
母「呑気な方。そんなに気を使うほうでは無い」
父は実際には病的に神経質で、相手によっては人と一切話せない。挨拶すら出来ない信じがたい次元の病み方である。
(16)乙A第1号証24項。12月2日。
リボビタンDは飲んでいた。胃腸薬というのが全く分からない。
この時期には既に極度の疼痛が始まっている。それについて一切記録に無いのは、母は原告の体調など全く知らない事が原因である。
(17)乙A第1号証25項。12月9日。
「12.9心因反応の疑い」と被告が記述している。
心因反応と診断するには、明確な精神的ショックが有る事を前提とし、それにより起こる一時的な一過性の疾患である。
原告は特に事故などに遭ってはいない。これにより、被告には精神医学の知識が無いと判断する。
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以下はメモ
1 被告が診断の判断とした、家族の意見と診断の矛盾。
(1)住所、氏名、生年月日、とくに家族構成に嘘が無い事は驚きである。母は中学校(名古屋市立守山中学校)に、原告は祖父と仲が良く小学生の頃に祖父が他界して以来家族と仲が悪くなったと伝えている。実際には祖父は昭和20年5月8日にフィリピンで戦死している。母方の祖父も原告が生まれる4年前の昭和46年に他界している。
尚、伯母は原告と祖父が仲が良かった事を知っていると原告に対し話している。姉妹で同時に妄想が発生するはずもなく、口裏を合わせている。
(2)中1から登校拒否について。
12月25日には「小学校低学年の頃『疲れ気味』と書いてあった」。これは名古屋市立西城小学校の3年の初夏の、担任の小林先生との連絡簿でのやり取りである。小林先生は「体力の無さは以前から気が付いていました」で始まる長文であった。当時既に心機能の極端な弱さ、喘息などが出ていた。
原告はスポーツが好きで、負けたくなくマラソン大会のようなもので学年で3位だった事があるが、今考えるととても危険な行為である。
単に中学までは学校を休む決定権が原告に無かっただけである。
小学生の頃は家族や親戚で出かける際も、体力が無いからと置き去りにされていた。
(3)
以上