私がこのブログを始めたきっかけは以前お話した通りですが、そもそもなぜこのような境地に至りそれを綴ろうと思ったのか。これには生きてきた環境が大きく影響しているのは言うまでもないのですが、殊更身近な人との関わりの中で考えさせられることが多かったからかもしれません。そして、これを綴ろうと思ったことは自分自身全く想像していませんでした。しかし、こんな考えが誰かの何かの役に立ったり、少しでも助けになったりしないだろうか、こう考えるようになったのはある出来事がきっかけでした。


紆余曲折を経てまだ悩みの渦中にいたとき、一人の友人が漠然とした人生の迷いを会話の中で打ち明けたことがありました。相談として話したわけではなかったけれど、彼女が悩んでいることを感じなぜか私の中で「助けたい」という気持ちが沸き起こりました。自分も悩みの渦中にあり、自信を持って人生を生きて行くなんて状態ではなかったのですが、友人の人生の悩みが自分の経験したことに似ているならば何かの助けになるかもしれないと思ったのでした。そこから、メッセージとしてどう伝えたらいいのか、何とかして伝わらないかな、とあれこれ考えをまとめる作業を繰り返し、なかなかうまく伝わらない経験もし、重要なエッセンスだけをうまく取り出して、その人に合った形で伝えることはできないだろうか、と考えるようになりました。お料理のレシピを作るように、その人に合う形でメッセージを作ることができればステキだなと考えるようになったのです。


その友人は今も迷いながらそれでも目の前のことを一所懸命にやっています。受け入れる心をもって真剣に悩んでいるので、きっときっと時間とともに解決していくんだろうと思っています。相談されたらいつでもメッセージを送ってあげられるように、私自信も心の状態をメンテナンスして万全の態勢でいようと思っています。全力で応援して、そうすることで私自身も日々心新たにそして成長させてもらっている、そんな気がしています。本当にありがとう、感謝の気持ちを込めて。



さあ、みなさんも一緒に今日も素敵な力を磨いていきましょうね。


以前ブログで友人から「心で感じることができない」と相談され、

そのとき私が送ったメッセージの中に「我慢・忍耐」というのがあり、ブログの中でこれについて言及した箇所がありました。


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<受け入れる心=大前提>

  ↓
<いっぱい考えて悩むこと=ここで我慢・忍耐がいる>
  ↓
<自分が納得する何か(答え)に辿り着く=気付けばそこにいるイメージ>


「自分で考える」ことが大切であり、たとえ辛くてもシンドくても崩れそうになっても、やっぱり自分自身で考え悩み抜くことに意味があります。答えがすぐに見つからなくても自暴自棄になるのではなく、その答えの見つからない状況を我慢と忍耐で乗り切ってほしいと思うのです。一歩一歩確実に答えに近づいているのですから。

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答えが見つからない状況を我慢と忍耐で乗り切る、とありますが、

これは、ツライツライと思いながら我慢するのではなく、

「信じて待つこと」=「信じて今を一所懸命に生きること」です。


「受け入れる準備ができる」=「心をフラットな状態に持っていく」という第一関門をクリアして、

「考えて悩む」という一番ツライ期間がやってきます。

でも、ここが踏ん張りどころです。

ここで「出し切る」「やり切る」ことが大切です。

そうすれば、次の「自分が納得する何かに辿り着く」=「心で感じることができる」状態が作られやすくなるからです。

この「心で感じる」状態は、これからの人生を生き抜く糧となります。生きる力そのものです。

そして、ここでも重要なのは、「何が大切か」を常に意識することです。自分が楽しく人生を生き抜くために必要だと感じるものはなにか。生きて行く上での信条を日々持ち続ける(意識する)ということは、想像する以上にパワーを発揮します。

そして、その時沸き起こる感情にそっと耳を澄ませてください。


ありがとう、という感謝の気持ち

幸せだと感じる気持ち

うれしいと感じる気持ち

生きていることに感謝する気持ち

自分を信じようと思う気持ち

あきらめないで頑張ろうと思う気持ち etc


いろんな感情があると思います。たとえそれがささやかなものであっても、その小さな感情を大切にしてください。手放さないように大切に育ててあげて欲しいと思うのです。


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私もいろいろな経験をして自暴自棄にもなり、どん底まで落ちたことがありました。人生なんて意味がないと毎日絶望と共に目覚めていました。そこからのスタートはまさに「心で感じる」ための自分との闘いでした。まずは「受け入れること」から始まったのです。しかし、何年経ってもどれだけアドバイスされてもあの手この手でもがき続けても、どうしようもないくらいどうにもならない日々の連続でした。沸き起こる感情といえば、「もうだめだ。」「私には無理だ。」「あきらめよう。」これしかなく、闘いながら諦めながらを繰り返す本当に辛く苦しい毎日が続きました。

そして、社会でいろいろな人に出会い、自分が「心で感じる」ことができないうしろめたさを感じながらも、本当は「楽しく幸せに生きたい」と心のどこかでそう思っていました。自分ととことん向き合う日々の連続です。「引きこもるよりもまずは行動」とよく言われますが、これは本当だと思います。実際に行動に起こすこと(アクションを起こすこと)は勿論、人間の脳は物理的にも体の動きに多分に影響を受けます。運動も含めて体を動かして脳を刺激することは、手っ取り早い方法と言っても過言ではありません。

私も自分が心地よいと感じることを少しずつ行動に起こしてみることにしました。すると「受け入れる状態」が作られやすくなり、プラスの感情が少しずつ沸き起こり、やみくもに悩むのではなく、受け入れる状態を作ってから思いっきり悩むことになったのです。


<受け入れる心=大前提>

  ↓
<いっぱい考えて悩むこと=ここで我慢・忍耐がいる>
  ↓
<自分が納得する何か(答え)に辿り着く=気付けばそこにいるイメージ>

最初の「受け入れる心」が大前提と書いてあるように、これがポイントです。心が凝り固まった状態で何も受け入れることができなければ、そこから先へ進むことができません。

何かをしようとするとき、誰かを助けようとするときも、まずは「give」であり「手放すこと」が大切です。そうしてフラットな状態を作り出すことが最初の一歩だと思います。

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最初に戻りましたが、<受け入れる=フラットな心の状態>でこそ、<悩み考えること>に意味が出てくる。そのときに<我慢・忍耐=信じて今を一所懸命に生きる>ことで、<自分が納得する何かに辿り着く=心で感じることができる>のだと思います。

恐れずに、自分を信じる勇気を持って、もう一度聞いてみてください。

「あなたにとって人生で大切なものは何ですか?」

この答えを自分のものにするために、一歩を踏み出しましょう。

きっとあなたの人生そのものになるはずです。


さあ、今日も素敵な力を磨きましょう。










これは本当はメッセージボードに載せるはずだったのですが、

オペミスで消えてしまったため、本日のブログとして記載します。

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人生で一番大切なことはなんでしょう?

それは、人生を楽しむことです。幸せに生きることです。


では、そのためには何が必要でしょう?

人生を楽しく生きる力が必要です。


ではその力はどうやって手に入れるのでしょう?

ただひとつの答えはありません。人の数だけたくさんの方法があります。

確実に言えることは、

情熱を持って本気で生きること、

積極的に人生を生きること、

決して人生をあきらめないこと、が重要です。


では、そのために必要なことはなんでしょう?

モチベーションを維持することです。

維持できる状態を知って、いつでもそこにスイッチできるようにする訓練が必要です。


しかし、モチベーションを維持するのは大変難しいですよね。

迷ったときには「何が大切か」という信条に立ち帰ることが重要です。


人生ってなに?生きるってどういうこと?というギモンにぶつかったとき、

このブログを思い出していただけると幸いです。


さあ、一緒に生きる力を磨きましょう。



毎年元旦に目標宣言をしてきたのですが、2010年の目標宣言をブログにあげていなかったので、改めて。

2010年の目標はひとつだけ、ひとことだけ。

「2010年は動く」です。

実際に行動に移す年にしたいという思いを込めて。

ここ3年散々悩みまくって迷いまくって、ようやくこのときが来ました。

OUTPUTのタイミングです。


以前友人から受けた相談に「頭ではわかってるけど心で感じることができない。」というものがありました。

そのときに私が友人に返したメッセージはこうでした。

---START-------------------------->

<受け入れる心=大前提>
  ↓
<いっぱい考えて悩むこと=ここで我慢・忍耐がいる>
  ↓
<自分が納得する何か(答え)に辿り着く=気付けばそこにいるイメージ>

いっぱい考えて悩むことって辛いしシンドイけど、絶対後につながるし考えた分だけ答え(納得する何か)に辿り着けるし、自分が気付かないうちに自然にそうなってることもあるし。考えて悩んでる間にいろいろ変化しちゃってるんじゃないかな。
何でも言えるのは「何かを考える」のはその人自身だからそれが大切だなって。それでも崩れそうなときは私は「迷ったら信条に立ち帰る」を意識してるよ。何を大切にしたいかっていう自分だけのルール。
<-----------------------------END----

私が友人にこのメッセージを送れたのは、自分が同じように悩んだ経験があったということが大きなポイントでした。そしてメッセージにもあるように、自分が納得する何かに辿り着くということは、生きるための糧を手に入れることになり、これこそまさに生きる力が磨かれていることに他なりません。だからこそ「自分で考える」ことが大切であり、たとえ辛くてもシンドくても崩れそうになっても、やっぱり自分自身で考え悩み抜くことに意味があります。答えがすぐに見つからなくても自暴自棄になるのではなく、その答えの見つからない状況を我慢と忍耐で乗り切ってほしいと思うのです。一歩一歩確実に答えに近づいているのですから。(もちろんその状況をも楽しめる武器を持てれば尚いいですね。)

メッセージの中では、我慢と忍耐で乗り切った先のことは書かれていませんが、自分の納得する何か(答え)に辿りついたなら、いよいよOUTPUTの開始です。生きる力を磨き生きるヒント(コツ)をGETしたのですから、今度はこれを武器に能動的に人生を生きる番です。悩み苦しんでいたときには見えなかったものが見えてきたり、大切なものがわかったのですから、より積極的に人生を生きる意味があります。
そして、この経験を生かすこと=積極的に人生を生きること=OUTPUTすることで、誰かの役に立つのなら本当にうれしく思います。

さぁ、今日も生きる力を磨きましょう!

このブログを始めるにあたってのテーマが、「生きる力を磨く」でした。

結局毎日に飲み込まれて更新できず思いを全てまとめることはできていないけれど、これから少しずつ時間をとって思いを綴りたいと思い、改めてこのブログを開設したきっかけを思い起こしてみました。


今から3年前にはじめたこのブログ。その更に半年前から何か形にして残したいと思うようになり、ブログを意識し始めました。それまで紙媒体(日記帳のようなノートやメモ)は残っていたけど、自分でも整理が追いつかなくなってしまったこともあり、まずは電子媒体で残すことを考えはじめました。でも、本を書くわけでもなく、資料としてのプレゼン性もいらないし、まとめているうちに「この作業が終わったら一体どうするのか?!」っという当てもないギモンが浮かんできたのです。おそらく一生?飽きるまで?どんどん追加していくだけだろうと・・。その時点で書き溜めたものは自分以外の誰が読むわけでもなく、元々の性分として頭の中が「整理」されている状態でないと「混乱する」という面倒臭い性質だったので、よく書くことで解消してきました。「自己満足度99%」の作業でした。


しかーし、このまま一生を終えて行くのも空しい気がしてきたのです。だって今やインターネットで何だって情報が手に入る時代。しかも迅速に。大量に。そしてブログやmixi、Skype、ツイッターなどなど、あらゆる手段で人々は交流しているではないですか。そしてブログはその名の通りみなさん自分の日記帳以上に事細かく日常の出来事や自分の考えを自由に綴っているのが当たり前の世界。そしてこういう時代が到来したのをイヤだとは思わない私もいて。今まで紙媒体の日記帳というとちょっと「秘密」要素が含まれていて、誰にも見せない、言えないことを綴るイメージでしたが、ブログではあることないこと(?)むしろ赤裸々にいろんなことが綴られているのが現状です。


そこでそこで、ついにようやくブログを開設。

ブログのタイトル:ナックルグラッバーの『継続は力なり!』

これは自分がなかなか達成できないことをそのままタイトルにしてみました。おそらく一生の目標になるだろう。

サブタイトル:続けることに意味がある。実践することで見えるものがある。さあ、生きる力を磨きましょう。

私の人生のテーマであり私の人生そのもの。「生きる力を磨く」こと。継続すること、実践することは私にとって生きる力を磨き続けるということであり、生きる力を磨くことは継続すること、実践することで磨かれる。その思いをサブタイトルにしました。


3年前の開設当時も今もその気持ちは変わっていません。


しかし、ブログ開設直後、あらゆる生活環境の変化にすっかりのみ込まれ、心身共にどん底まで落ちてしまった私は、見えない何かが凍結されたかのように生きる気力をすっかり失ってしまったのでした。その間は自分との闘いであり、生きる意味を本当に心で感じることができずにいました。でもどうにかわかろう、わかりたいと必死にもがき、その間も頭では理解して心ではやっぱりわかっていないことを再認識する日々。ツライという感情だけが強烈にありました。(今思えば、自らでは決して選ぶことのなかったであろう(追い込まれたからこその)闘いだったので、その意味では貴重な経験となりました。)


そしてそれを乗り越えて見えてきたものは、自分に対する答えでした。


自分が何をしたいか?人生ってなに?っというところに行き着いたとき、今は、「幸せに楽しく生きること」と自信を持って言えます。今まではこの言葉にうしろめたさがありました。本当に心の底からそう思えていない自分を感じていたからです。だから、人生のモットーを大きな声で今は言える。「幸せに楽しく生きること」。


では、乗り越えられたきっかけ、理由はなにか。

これには具体的な答えがありません。強いていうと「生きてきた時間」そのもの、言い換えると「経験」でした。

これは私の場合です。私の場合は、もともと「経験からしか学べない、ものを言えない」という性質があります。

本当はこういう体験のエッセンスだけをうまく取り出し、考え方や教訓みたいなものを他に取り入れたり応用したり、人に伝えたりできればいいのだけど・・。そこはいつも悩みどころです。でも逆にいうと、経験して感じたことならば人に確実に伝えられるし自信を持って話せる。それで少しでも誰かの役に立てたり助けになったりすれば、これ以上の喜びはありません。


なので、私は経験からものを言います。そしてそこから学んだこと、わかったこと、感じたこと、それに自分の考えや思い、希望、その他にも自分が混乱していること、まだわからないこと、そういったいろんなことを綴っていきたいと思うのです。

そして、本来のこのブログの目的でもある、積極的に本気で生きること、生きる力を磨くこと、をこのブログを通して実践、継続して、シェアしていけたらなと思います。


3年越しの再スタートですが、よろしくお願いします。

さあ、みんなで生きる力を磨きましょう!