人生が変わるキッカケ…、それはJW(エホバの証人)の訪問かもしれません。
僕は、否定もしませんが、肯定もしません。(*゚ー゚)ゞ


エホバの信者になって良かった!という方もいますし、逆に無駄な時間を浪費したとか言う人もいます。
人によって違うと思いますが…、僕の場合は『心の平穏』に主眼をおいています。

(僕はエホバの証人組織に神をみることはありませんでした。むしろ、閉鎖的な環境と、周囲の監視の眼にさらされて、心の平穏が得られない感想をもちました。)(。・ε・。)




では、どうして人生が変わるほどの影響があるのでしょうか?



エホバの証人になるためには、あなたがお住まいの地域の会衆という単位のなかに在籍して、聖書研究をおこなって、段階を踏んで、エホバの証人(JW)になるときの過程にあります。
普通の人格が、エホバの証人の思考に変化します。
そういった中で、周囲の人や家族と不協和音がでてくる可能性があります。


エホバの証人のルールがありますから、それを守ると…という理由が大きいです。
しかも、なによりも優先しますから、問題が起きる可能性があります。

(勿論、ものみの塔はそういったことを薦めませんが、JWとしての思考の中でそうなってしまうのでしょうか?先日の離婚の話題にしても、そういった感が強いです。)




エホバの証人になって、幸せだと思う人もいます。
ですから、個人的な感想であることにはかわりありません。

次回は、家庭聖書研究を始めて何が変わるか?書いてみたいと思います。
宗教をしてみることで幸せになれるのでしょうか?
この事を考えてみたいと思います!



以前、職場で知り合った方に偶然出くわした時のことでした。

職場の人「お茶しませんか?」
(気軽に声をかけられる。)

・・・・・・

(結局、仏教系の宗教の勧誘だった。)


・・・・・・
僕「僕は聖書を学んでいますから、宗教のことは遠慮します。」と答えたら・・・、

職場の人「だから、不幸せなんですよ!聖書なんか捨ててしまいなさい!」

(随分おうへいな言い方ではないか!?)ヾ(。`Д´。)ノ



こういった事でまたJWを思い出しました。
集会では、兄弟姉妹のJWになってよかった事をよく聞きますが、
同時に、悲劇的な事も覚えているんです。

噂では聞いていましたが、
実際に離婚話を耳にしたときは驚きでした。




僕も単身赴任をしていた時に、
偶然、帰ってきた時に、JWの訪問を受けていました。
あわてて、NETにて調べてみたら…、
JWになることで、夫婦間が危機的な状況になりやすいことがわかりました。

今日は眠くなったので、続きはまた次回に書きますが、
結論から言うなら、
聖書は離婚を勧めていませんから、
あきらかにおかしいです!

宗教を始めて、離婚という状況におちいることは避けたいところです。
(注意:ものみの塔は、勿論そういった事は教えてはいません。)

そうです!
事の良し悪しは別にしても、人生が大きく変わるキッカケになるかしれません。

このブログは、元研究生としての僕が感じた感想です。

聖書は本来どういったものなのか、
初心者の僕には理解ができませんが、
未来のためになるのかどうか・・・。

『エホバの証人』は僕にとっては、
窮屈な組織でした。
聖書を学ぶつもりが『教理の学習』になっていたのです。
(聖書はほとんどが、ものみの塔誌などの書籍の注解の根拠として引用されます。)



このブログは、これから『エホバの証人』になる、または、知りたい人のために読んでもらいたいと思います。『エホバの証人』になるということは、、全く『別の人格』を身につけるということです。
足を踏み入れて、看過されたなら、もう戻れないかもしれません。

僕が知ったこと、聴いたこと・・・、あるいは感想を書いていきます。