【雑感】中村文則『何もかも憂鬱な夜に』 | うんちくコラムニストシリウスのブログ

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芸人きっての読書王ピース又吉が絶賛してたので読んでみた。

「山井が死刑なのは、時代だよ」

と、死刑制度や生命の重さ、なぜ人は殺人を犯すのかといった事が主題なのだが…

正直、法学部生かつ本格小説好きの私としては、物足りなさだけが残った小説でした。

ぶっちゃけ「だから何?それで?」みたいな物足りなさ。

小説に限らず、死刑制度をめぐっては昔から同作品が訴えるような主題が話にのぼるだけに、いかんせん使い古された主題の感が否めなかった。

訴えかける主題はそれはそれで大切な事だけれど、現代の「死刑小説」を書くにおいては、それだけじゃダメだと私は思う。

最後は気に入った一節からぴかぴか(新しい)

 全体の傾向は、やはり拡大だ。拡大には、積み上げていく「善」だけでなく、無駄を破壊する「悪」がいる。この二つがバランス良く並び、拡大が進む。

 犯罪的な人間は、その「悪」が変形し、捻じ曲がってしまった 亜種ではないだろうか。DNAの意志は「善」だけではない。原人の遺跡から見つかったように、人間が人間を手斧で殺して火を殺して以来、どれだけ非難されても、殺人はずっとある。いわば伝統的な、人間の傾向の一つだ。拡大の目的の「悪」が変形し、そういう亜種となり、無意味として、無意味なことを行ってしまう。形あるものにひっついた、余分な欠片となってしまう。だがそれも、生物の、人間の根本的な構造から生じてしまったのではないだろうか。この根本の、軌道修正は可能か。

 しかし包丁も、他人のつくったものだ。他人のつくったものに内面が具体化されるとは、たまらない。
(104-105頁)