
そして、「田宮裕」という人は、間違いなく日本刑事訴訟法学が生み出した屈指の天才だと思う

私は何時もこの人があと10年生きていたらと思う。
そして、今回は、私も尊敬する田宮裕先生の人柄・業績を、秀逸に過分なく表現した前田雅英先生(日本刑法学では知らない人はいない)の「追想」から引用することで、田宮先生の素晴らしさを知って頂ければ幸いである

「颯爽として」前田雅英
田宮先生は、いつも「意外」な面を見せて下さっていたように思う。その意味で「ミステリアス」な先生だった。一定のイメージで捉えようとする と、そこからスルリと抜けて出て、「ここにいるよ」と離れたところで手招きをしている。いつも「颯爽とした牛若丸」であった。常に、よい意味で「変化」さ れておられた。時代を切り開いてこられた。もう、かなり古い話になるが、藤木先生(日本刑法学の天才と言われた学者,若くして病死)が本郷の喫茶店で、田 宮先生を特にその時代感覚の鋭さという点について繰り返し誉めておられたことを思い出す。常に新しい時代の先端を目指しておられた藤木先生が、である。
私はある時期から、刑事法の考え方を「実質的」な方向に展開していこうと思うようになった。その基礎に、田宮先生の「刑事法理論・学説」の考え 方の影響があることは間違いない。ただ、何時までも「実質的刑事法理論」等といっていると、またスルリと飛んで「いつまでそんなところにいるんだい」と、 にこにこと笑われるようにも思われる。私は、このところ肉体的にも身が軽くないので、しばらくここに止まらざるを得ないのかもしれない。ただ、少し反応は 鈍いが、流れについていきたいとは思っている。未来の変化へのアンテナだけはしっかり張っておこうと思っている。
田宮先生は「リアリティー」を重んじられたように思う。理論優先に見える先生の、ある意味で最も大きな意外性の部分である。先生からは、当たり 前すぎることなのであろうが、「手続きの中で生きている法」をありのままに捉えなければならないということが、どれだけ実践できているのか。私も訴訟法の 講義をするようになって初めて見えてきた刑法の世界がかなりある。「刑法ではこうあるはずだ」といくら力んでみても意味がないのである。刑法理論で、まだ 何ヶ所か、「理論はそうかもしれませんが、現実はまるで違いますからね」と、実務家に跳ね返されてしまう部分がある。それは多くの場合、前提・基礎となる 事実が、現場で見るのと遠くから眺めるのとで非常に異なっている場合なのである。その辺の事情を最も深く理解されて刑法を論じておられたのが田宮先生なの だと思う。そして、刑事訴訟法の世界の内でも、実は「リアリティー」を大切にされておられたのだと思う。
先生のおしゃれは有名であるが、私も助手時代に見た、学会での先生のカラーワイシャツの色を鮮烈に覚えている。世の中一般でも「白」しかなかっ た時代でもある。まして学会の場でもあるから、目立つといえば目立つのであるが、そうではないのである。センスが目立つのである。それも、単に色彩感覚が 優れているというより、「颯爽」として、まさに田宮先生なのである。先生が、私の教科書の表紙の色と版組みを「颯爽としている」とほめて下さった時は、実 は本当に嬉しかった。
二年ぐらい前になるであろうか、雑誌の編集の方と文京区内のある病院の側の蕎麦屋でそばを食べた。いわゆるそば通の好みそうな本格的な感じの店 であった。「先日、田宮先生ご夫妻とこの店でお会いしたんですよ」と編集の方がちらっと言っていた。「先生はおそばが好きなのです」。なるほど、先生らし い店なのだなあと思い、店がより一層「本格的だなあ」と思えてきた。ただ同じ編集者から「田宮先生は本当にそばがお好きで、東大前の蕎麦屋でもよくお見か けするんですよ」と聞いて、ほっとしたのである。本郷通りから、ほんのわずか入った古くからの店である。ただごくごく普通の蕎麦屋なのである。そば粉 100%手打ちでそれも打ちたてがよいという面もあるが、「そういう蕎麦でなければ蕎麦ではない」といってしまうと、やはり本当の蕎麦好きではないのでは ないかという気もする。「はば」「奥行き」がないと疲れてしまう。もちろん、学問の世界はそういう「疲れる専門家」でいなければいけない面が強い。田宮先 生は、まさに颯爽と専門家をこなしてこられた。ただ、実は先生には大きな「はば」があった。だから、常に颯爽としておられたのだと、勝手に思っているので ある。
(631-634頁)
改めて、田宮先生のご冥福をお祈りします
