【書評】川上弘美『センセイの鞄』 | うんちくコラムニストシリウスのブログ

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「育てるから、育つんだよ」


大事な恋愛ならば、手をつくすことが肝腎。
そうでない恋愛ならば、適当に手を抜いて立ち枯れさせることが安心。
(224頁)


一番気に入った一節を一番最初に持ってきて、書評開始♪


同作品は、完璧に「恋愛小説」のジャンルに分類される作品でありながら、文壇最高峰の第37回谷崎潤一郎賞を受賞した作品である[m:66]

ところで、「良い作品」と世間的に評価されて、なおかつ売れる恋愛小説とは、およそ次の魅力を有している作品だと筆者は思う。


①面白くて、おちゃめな作品
→無論、これは、恋愛小説のみならず、現代のベストセラー作品にとってほぼ不可欠な要素であるが、恋愛小説にとっては最も重要視されるべき要素であると思う。


②or③
②温かくほのぼのと主人公が結ばれる作品
③ちょっぴり切なく静かに恋が終わる作品


もっとも、この分類だけで全ての恋愛小説を語り尽くすことなどおよそ不可能で、作者の文章表現力や場面ごとに現れる素材、適切に紡ぎ出された言葉の数々によって、作品の本質的価値は上がりもするし、下がりもする。

その上で同作品を上記の要素と比較すれば、同作品が全ての要素を兼ね備えた作品であることは明白である。


・①について
 普段しかめっ面ばかりしている私が感じたところを順に挙げれば、まず読者は、前半の巨人阪神戦をめぐる主人公ツキコとセンセイのやり取りに、思わず笑みを浮かべているのではあるまいか(40-44頁)。事実、私は電車の中でこらえようもない笑みを必死に隠していた。


 そして、次に出てくるのがおちゃめなピアスの一幕(109-111頁)に、石野先生に対するツキコの嫉妬(151頁)。極めつけは、くそじじい(187頁)に、指を口に入れてくる話とくるのである。特にこの極めつけが実に秀逸で、ともすれば見逃すかもしれないところに配置されているのである。例えば、指を口に入れてくる話などは


「不安?」
「その、長年、ご婦人と実際にはいたしませんでしたので」
あ、とわたしは口を半開きにした。センセイに指を入れられないよう気をつけながら。
(261頁)


とセンセイがセックスの不安を話した後、すぐに指の話を持ってくるのである。


・②と③について
 ②については、主人公ツキコとセンセイの恋が無論そうなのであるが、その前に、主人公ツキコに想いを寄せる小島孝の恋の話から始めたい。


「だめか」小島孝が、わざとらしいため息をつきながら、言った。
「だめみたい」
「しまったなあ、やっぱり俺、デートとか下手なんだなあ」そう言いながら、小島孝は笑った。わたしも一緒に、笑った。
「下手じゃないよ。ワインのくるくる、教えてもらったし」
「そういうのが、いかんのだよねえ、きっと」
小島孝が月の光に照らされている。わたしは小島孝をつくづくと眺めた。
「いい男?」見つめるわたしに向かって、小島孝は言った。
「いい男だわよ、ほんとに」わたしは力をこめて答えた。小島孝はわたしの手をひっぱりあげて立たせた。
「いい男なのに、だめ?」
「高校生だから、わたし」
 高校生なんかじゃないくせに、と小島孝は言って、くちびるをとがらせた。そういう顔をすると、小島孝も高校生みたいに見えた。ワインのくるくるなどまったく知らない十代の若者に見えた。

(140-141頁)


 実はこの一幕こそ、私が同作品で一番好きなシーンである。というのも、私は、この小島孝という男性に、とてつもない親近感を、戦場で闘っている戦士たちが味わう独特の連帯感を憶えたからである。


絶対に届かない愛に諦観しながらも近付こうとする不器用な男。


 それは、小島孝に、自らを貶めるためだけのうんちくを吐き散らしながらも、人に愛されたい、人を愛したいと思っているのに、今日も宿命が如くつまらない書評を書いている不器用な私を、私自身が重ね合わせて、己れの傷を癒していたからである。


 さて、そうした小島のツキコに対する想いは絶対に届かないわけだが、そうした恋愛について、作者はこの世で最もシンプルかつ適切な言葉で表現するのである。


小島孝とは旅行に行きたくない。わたしははっきりと思った。畳の目を頬にくっきりとつけたまま、小島孝と会っているときの「かすかな違和感」、しかし「消しようのない違和感」を、思った。
(169頁)


 さて、小島のツキコに対する恋愛とは異なり、ツキコとセンセイの恋愛は「届いていないようで、届いている恋愛」と言える。作者は、この恋愛を、ツキコとセンセイという年の離れた者同士の恋愛という状況もこれまた実に秀逸に活用して、「子供(ツキコ)と大人(小島)」という言葉を使うことで、両者の恋愛の違いを浮き彫りにするのである。


「ききわけのないことを言うんじゃありません」
「ききわけなんかぜんぜんないです。だってわたしセンセイが好きなんだもの」
言ったとたんに、腹のあたりがかあっと熱くなった。
 失敗した。大人は、人を困惑させる言葉を口にしてはいけない。次の朝に笑ってあいさつしあえなくなるような言葉を、平気で口に出してはいけない。
 しかしもう言ってしまった。なぜならば、わたしは大人ではないのだから。小島孝のようには、一生なれない。センセイが好きなんだもん。わたしはだめ押しのようにもう一回くり返した。
(171頁)


 ③については、本書の最大の魅力でもあるので、あえて今回は②で字幅もとったし、やめておきます。


●最後に
 改めて、本作品は文壇最高峰の第37回谷崎潤一郎賞受賞作品であるわけですが、本書が谷崎潤一郎賞を確実に射止めたのは、「干潟―夢」の章が醸し出すどこか神秘的な、かつ哀愁漂う空間が造り出されていたことも大きいと私は思います[m:66]
 もっとも、それがなくとも、同作品は谷崎賞に相応しい作品だと私は思います[m:66]


●余談
「袖すり(振り)合うも多生(他生)の縁」のうんちくは大変勉強になりました(^^)笑