本書を書いたのは、ひとえに著者ZEEBRAという人間像を知りたいと思ったからだ
著者ZEEBRAを私が知りたいと思ったのは、①彼が横井英樹の孫であり、彼を通じて、これまであまり多くのことが語られなかった横井英樹という人物を知りたいと思ったこと、②彼が私も含めて多くのファンに愛されるDragon Ashの降谷建志を「公開処刑」でDisったことの事件を知りたかったからである。
自伝だけに、特に感想はない。ただZEEBRAのHIPHOP愛は分かったし、常にHIPHOPシーン、あるべきHIPHOPを追求するZEEBRAには、Dragon Ash及び降谷建志の音楽は「自身の猿真似」として、許せなかったのだろうと思う。
そうは言っても、個人的には「Grateful Days」は好きだし、ZEEBRAが期待するKREVAも、HIPHOPではなくて、RAPだと言う降谷建志もRIP SLYMEもKICK THE CAN KREWも好き

さて、そんなZEEBRAは最近のHIPHOPシーンについてこう語る。
「大丈夫だよ」
「心配すんな」
と歌うのは、HIPHOPじゃなくてRAP。
アメリカだと、「金がなくても、大丈夫」ではなくて、「ないなら、どうにかして、作ろう」ってことになる。コツコツ働こうっていう真面目なメッセージの歌もあれば、ドラッグでボロ儲けみたいな曲もある。
結局、どうやってサバイブしていくかという曲ばっかりなんだよね。
現実としっかり向き合っているのか、どうか。
そこが大きなポイントになってくる。
(185~188頁)
そういうZEEBRAのHIPHOPに対する価値観、信念が、Dragon Ashや、RIP SLYME、KICK THE CAN KREWとの価値観、信念との相違を生んだのだと思う。
そして、両者の違いは、同じくアメリカミュージックの影響をもろに受けている氷室京介が好きなアメリカHIPHOPを愛するZEEBRAという面から、少なくとも感覚的に理解できたと思う。