【書評】村上春樹、河合隼雄に会いにいく | うんちくコラムニストシリウスのブログ

うんちくコラムニストシリウスのブログ

ブログの説明を入力します。

日本を代表する小説家村上春樹氏と、日本を代表する心理学者である河合隼雄氏の対談ですぴかぴか(新しい)

お二方とも「対談の名手」と言えますぴかぴか(新しい)

この本の書評に入る前に、個人的な経歴を一つ。

●経歴1
まず、私は、村上春樹氏の小説をあまり読んでおりません。

読んだものを挙げると、「1Q84」、「風の歌を聴け」、「スプートニクの恋人」です。

だから、村上氏の名作と名高い『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(第21回谷崎潤一郎賞受賞)や、『ノルウェイの森』は読んでいません。。。

なぜ、私が読んでいないのかと言うと、理由はただ一つ。

「どちらも上下巻本だから」w

実は、私は「上下巻小説は読まない」主義なのです。

その理由はただ一つ。

「長くて面倒くさく、金が余分にかかるから」w


したがって、私の経歴のなかで、「村上春樹」さんの小説と出逢う機会というのは、あまりない訳であります。
(ちなみに、この私の主義の関係で、私は、日本を代表する社会派小説を世に送り出してきた山崎豊子氏の小説も、ドラマは見ますけどほとんど読んだことがありませんw)

そして、私自身、村上作品があまり好きではない人のようです。

たとえば、最新の「1Q84」については、彼が「book4」を出せるかどうかにもよりますが(出せれば絶対読みます)、もし「book3」で物語を終わるとしたら、失礼な言い方かもしれませんが、

『隠喩的表現や文章表現はとかくすばらしい。が、表現したい主題である「若者の社会へのもがき」はありきたりの感あり。なぜ、そのような主題を伝える物語をあそこまで分厚くして、しかも三巻までにして出す必要があるのか。ただただ冗長である。これぞ商業主義の現れか。』

というような感想を、この本を読むまで持っていました。

●経歴2
次に、河合隼雄氏については、端的に言えば、お名前と心理学者という経歴しか知りませんでした(笑)。

なにせ、この方、現代文入試、常連の方ですからねw

そして、私は、世の中で唯一「心理学」という学問についてはまったく人と議論できる素養がありませんw

基本的に、現実主義かつ新自由主義大好き人間なので、「言葉をオブラートに包む」「相手の考えや行動を常に否定しない」ことばかりを重視してそうなこの学問が、得てして私の肌に合わない訳であります。

●書評
さて、そんな場違いな私が読んだわけです、この本をw

ところが、この本、実に良かった!

以下では、あえてざっくりこの本を説明します。

(i)実に同意したところ
村上:小説を書くということ=自己治療的な行為

村上:「その人にとってものすごく大事なことを生きねばならない、表現するか、生き抜く過程のなかに個性が顕在化する」

村上:「現実」をそのまま語るのが「物語」ではなく、「物語」を展開させる「装置」が「現実」なのである。

河合:因果的に説明可能な小説というのは空想科学小説にすぎない。

(ii)興味深かったところ
村上:長くしないと、物語というのはぼくにとって成立しない。
→私:なるほどね(^^)

「自」と「他」の区別が曖昧である「私小説」という日本文学の特徴について
→村上:作品は、その「人」をどこかで超えていないといけない
*村上さんは、旧来の「私小説的日本文学」ではない形で、小説を書こうと思ったという自らの文学的姿勢を話されている。
→私:まだ漠然な理解でしかないが、言いたいことは分かる。

「殺すことによって癒される人」における河合氏の見解
→私:この言葉自体が今までに自分の語彙力になかったので、新たな想像と思案の入口が開いた。

(iii)雑感
以前、私は「風の歌を聴け」自体はあまり評価しなかったのですが(ただ、あれはあくまで「単体」批評で、後に「1973年のピンボール」書いてるから、あの批評自体にまったく意味はありませんw)、村上さんによると、彼の真骨頂が発揮されたのは「ねじまき鳥クロニクル」なのだそうです。

でも、あれやっぱり三部じゃん(笑)w

村上文学を少し近付けたのかなぁと思う一方で、長い作品は嫌だなぁと思う相変わらずの私(:.:)


これからも格闘は続く。