【書評】城山三郎『そうか、もう君はいないのか』 | うんちくコラムニストシリウスのブログ

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昭和が誇る名作家城山三郎さんの遺作

そして、最後のあとがき(解説)を書いているのは、昭和が誇る名俳優児玉清さんキラキラ

作品の内容は、城山三郎と妻容子さんの出逢いに始まり、別れに終わる。


まず、出逢いが運命的

2人は、城山が大学生(旧東京商科大学、現在の一橋大学)、妻容子さんが高校生の時、城山が帰省した際に訪れた図書館で偶然出逢う。

(一瞬、城山さんうらやましすぎー(*´∀`*)と思ったのはさておき笑)

そして、そのまま2人は映画館でのデートをして、住所と電話番号を聞いて別れる。

このまま結ばれれば、それは運命的とはいえ、一種ベタな恋愛なのだが…


二回目の再会で、城山は、当時高校生だった容子さんのお父さんを通じて、彼女に「もう会えません」と言われて、2人の関係はそこで一旦途切れてしまう。


だが、その後、2人は大学教員として実家名古屋で仕事を始めた城山が、これまた偶然ダンスホールに行き、容子さんと再会したことを期に結ばれる。




改めてこれぞ運命ヽ(´▽`)/ドキドキ






ところで、本書では、妻容子さんとの話だけでなく、「作家城山三郎」の人生観も垣間見ることができる。


まず、城山を小説の道に進ませたのは「敗戦」であった。

戦前に「大志」を「忠君愛国」「大義」に置き換え、海軍に志願し、戦後になって、批判された若き日の城山青年は、自分自身を立ち直らせるために、「小説」を書くことを思い立つ。
(21~23頁)


その後、城山は『輸出』で直木賞を受賞するものの、今度は、大江健三郎、開高健ら新進気鋭の小説家の活躍の中で、苦しみながらも『総会屋綿城』、『乗取り』、『落日燃ゆ』、『官僚たちの夏』等を世に送り出し、小説家として評価されていく。


そうした城山先生の小説家としての活躍の裏には、常に「妻容子さん」という存在、本書で言えば、チャーミングな妖精ニコニコがいたこと、そして、そんな奥様との別れを迎える城山さんの想いが、本書のタイトル「そうか、もう君はいないのか」となって現れる。


四歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。

もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。

容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。
(134、135頁)



そして、夫城山三郎は妻容子さんとの別れのシーンを思い出し、最後にこう記す。


そのシーンを思い出す度に、私は声も出なくなる。いや、声なき声で、つぶやきたくなる。

「生涯、私を楽しませ続けてくれた君にふさわしいフィナーレだった」、と。






最後に、本書は全国の城山三郎ファンにとっては結構物足りなく感じてしまう作品なのかもしれない。


少なくとも、最初私はそう感じた


内容が淡々としたものであり、城山三郎らしい精緻な、読者を何度も読み止まらせる心情の記述がない。いや、できていないと。



そうした読者の懸念を打ち払うかのように書かれているのが、城山三郎ファンであった故児玉清さんの解説である。

児玉さんはこう述べる。

このように冒頭から本書にぐいぐいと引き込まれたのだが、一方で、僕は妙な違和感といったものも感じたのだが、皆さんはどうだろうか。

それは、率直に言えば、城山さんらしくない、なんとも生々しい、表現は当たってないかもしれないが、剥き出しの心を見せられた思いがしたからだ。

言葉を替えれば、城山さんの筆致の特徴である、抑制された表現とは違った溌剌さと活発さに戸惑った、というべきか。

もっと言ってしまえば、手放しとも思える妻への熱き愛情物語の底抜けの率直さに目が眩ゆくぱちぱちとしてしまったものだ。

冷静沈着、もの静かでふだんあまり感情を表に出さずに、鋭い眼差しで真実を見抜き、すべての物事に対処する。
いつしか城山さんの数々の作品を通じて心の中に出来上がっていたそうしたイメージが読み進むほどに激しく初めのうちは揺らいだからた。





しかし、そうした最初の驚きが、やがて爆発的な喜びへと変わっていった。

つまりは、城山さんの赤裸々ともいうべき心情の吐露は、最愛の妻、ベストパートナー、共に人生を分かち合ってきた戦友ともいえる伴侶を失ったことに誘発された心底からの愛惜の叫びなのだ。

その結果、本書は容子さんへのオマージュであると同時に作家城山三郎が初めて自ら本心を明かした得難き貴重な自分史、つまり自伝の書でもあることがわかったからだ。
(167、168頁)



そして、児玉さんは本書の価値を、城山氏の著書『小説日本銀行』の一文を挙げて、次のように記す。


夫婦愛という言葉が薄れていく現代、お金がすべてに先行する今日、熟年離婚が当たり前のこととなりつつある中で、人を愛することの豊かさ、素晴らしさ、そして深い喜びをさり気なく真摯に教えてくれる城山文学の最終章をぜひ心で受け止めてもらいたいものだ。


仕事と伴侶。その二つだけ好きになれば人生は幸福だという…。







私自身、かくも素晴らしき幸福な人生を送りたいキラキラ