一つ前のブログです。
午後に病院から帰宅し、疲れていたので私は昼寝をしました。
その日の夜11時頃就寝しましたが、夜中1時過ぎに母から電話があり、病院からすぐ来てくださいと電話があったとのこと。
すぐ病院へ向かいました。
この時の父は、手首の脈がなく、すでに下顎呼吸(かがくこきゅう)をしていて心電図の数値が200でした。
私と母で、父の手を握り
「色んなところに連れて行ってくれて今までありがとう」
「大丈夫だよ」
「お家に帰ろうね」と繰り返し伝えました。
手首の脈がなくなるのは、危ないサインと知っていました。
末期癌の最期に出るといわれる下顎呼吸が詳しくはわからなかったので、目や口が大きく開いたままでの激しい呼吸は、父の面影がなく今思い出してもかなりショッキングで目に焼き付いています。
あの時、父は苦しくなかったのか?
苦しかったのではないかと、脳裏に焼き付いて離れませんでしたが、
後に調べたら下顎呼吸はほぼ意識はなく、苦しくはないようです。
手を握り「大丈夫だよ、ありがとうね」と繰り返し伝えました。
私は下顎呼吸が始まったら1、2時間で亡くなることをその時に知らなかったので、途中トイレに行ってしまったのですが、病院についてから30分もしないうちに、父の激しい下顎呼吸は目や口の開いたまま、電池が切れたようにピタッと止まりました。
まるで電池が切れたお人形のようでした。
母は、手を握ったまま「父ちゃん頑張ってよ」と言っていました。
ドラマのように静かにそっと、ではありませんでした。
しばらくして看護師さんから全ての数値が停止しました。先生を呼びますねと言われました。
しばらくしてから先生が来て診断のあとに、◯時◯分ご臨終ですと言われました。
その後は、1時間程度で葬儀やさんに迎えに来てもらい、来るまでに看護師さんに死に化粧をしてもらったり、私は手続きや荷物の整理をしました。
支払いは、後日です。
そのまま夜中の実家に父を安置し、夜が明け私は自分の家に帰り、起きてきた夫に「父ちゃん死んじゃったんだ」と伝えました。
夫と再び実家へ向かい、昼間は来客対応や火葬などの打ち合わせをしました。
夜になり、夫の運転する車で帰宅中、夫が「大変だったね」、と私に言うと、緊張の糸が切れたのか、亡くなった時に遺体袋に入れられた父を思い出し、わんわん泣いてしまいました。
ずっと泣かないから心配していたと言われました。
お父さんも◯◯(私)も頑張ったよ、と。
最近の父は、「疲れちゃうから(もう帰って)大丈夫だよ」「来てくれてありがとうね」と毎回言っていました。
声が出なくなりせん妄が出てからは、筆談やジェスチャーで、「ここはこわい」「何かが手招きしている」「家に帰りたい」「退院させて」など何かにすごくこわがっていたんです。
家に帰りたいとずっと言っていたのに、病院の中で死なせてしまったと思い、泣いてしまいました。
