一つ前のブログです。
続きです。
数日後の日曜の朝方4時半頃、
父の病院から電話がありました。
血圧が低い(上が60程度)ので、急変する可能性があると。
すぐ来るかはお任せしますと言われましたが、すぐ
病院へ行くことにしました。
車は別だけど夫も来てくれました。
目や口は昨日から開いたままで、たまに寝るけど手や足がずっとそわそわ動いていました。
看護師さんに昼夜逆転してるかなとは言われました。
朝の9時頃血圧を計ると上がっていたので血圧は大丈夫と言われました。
この日、同時期に入院していた義母の退院日だったので、夫は退院の手続きへ義母が入院している病院へ向かいました。
お昼頃、父は天井の隅を指差し何かいるとジェスチャーし、こわがりました。
せん妄の幻覚です。
手を握り「みんないるから大丈夫だよ」と伝えると、うんと、うなずきました。
天井の辺りから手招きされてるというジェスチャーだったので、お迎え現象というものだったかもしれません。
とてもこわがり、手を握ってほしいという動きをしていたため、母が手を握っていました。
部屋に来た清掃の方にもジェスチャーで伝えていましたが、父以外には見えるわけもなくスルーされていました。
昨日から口が開いたままでした。
腸閉塞で一ヶ月以上食べてないのと、肺炎で痩せてしまい、父は骨だけになっていました。
体力がないのと、声は出ないので、せん妄が出ても暴れたり怒鳴ったりは全くなかったです。
筆談かジェスチャーで、「体を起こして」「こわい」「ここから出して」と伝えてきました。
母が手を握ってあげると、安心しました。
母が父に、「最近は夜こんな風に目が開いたままで寝てないのか」ときくと、父は、「うん」とうなずきました。
ただ、母はこの日連日の面会と仕事で、疲れていたのか病院にいる中でもため息をついたり少しイライラはしていました。
あとで気がついたのですが、話せなくなり、せん妄が出て体がそわそわ動くようになってからは亡くなるまで数日であっという間でした。
この日気になったことは、父が明らかに水すら飲めなくなって体も動けず何日も経っているのにこんな状態なのに食事が出ていたこと。
びっくりして確認したら、下げてくれて食事もストップしてくれましたが、食べられないのにいつから毎日出ていたのか、不安に思いました。
人手不足と、本人が意思疎通が出来なくなるとこういうのがこわいなと思いました。
食べているかどうかの確認もしないんだなと、思いました。
結果、全く食べていない期間の食事代もそのまま請求されました。
この日は、父の様子がおかしかったのに、私も母も疲れていて、血圧が安定したので午後早めに帰ってしまい、あとで後悔しました。
