続きです。
数日後の日曜の朝、父の主治医から電話がありました。
腹膜播種からきている腸閉塞について絶食をして様子をみているが、CTを撮ったところ変化がなかった。
変化がないということはよくなっておらず、色々厳しい状況で、お父さんは退院希望でしたが退院は難しいです。
腸閉塞が治らないということは飲むこと食べることが今後全く出来ず、かと言って点滴も腹水が溜まってきてしまうのであまり沢山は出来ません。
食べることが出来なくなると弱りますし、末期がんのため今後予期せぬ合併症などが起きることもあるため、連絡がいつでもつくように、そして会わせたい方がいましたら面会してくださいとのことでした。
あと、何かあった際の延命はしませんとのことでした。
先生に余命を尋ねたら、2ヶ月程度だと思いますと言いました。
ご家族には話しておいてほしいけど、本人には言わないでほしいと言われました。
長くないことはわかっていたことですが、最近の父はものわかりがよく、おとなしく治療も前向きに受けていたので、とても悲しくなりました。それを汲んで、先生もどうにか治す方法はないか模索してくれていました。
こんな状況なのに、父は入院前無理矢理仕事していたこともあったんですよ。
その日の午後、夫と面会へ行きました。
父は、「この点滴の治療が終わったらいつものように食べられるようになるだろう。蟹のお寿司や焼き鳥が食べたいなぁ。それがいまの楽しみだ」と
微笑みながら言いました。
あれからすぐ痛み止めなどの点滴をしてくれたので、数日前とは違いがんの痛みもなく、元気に見え、意識もはっきりしているので食欲はあるようです。
痛み止めを強いものに変えたと、先生が言っていました。
本人は、今までどおり退院や食事が出来ると考えているのに、今後それは二度と叶うことはないと思うと何と返したらいいかわからなくなり言葉に詰まりました。
でも、私は「そうだね、治ったら買ってくるよ。」
と言いました。
まさかこの一ヶ月後に亡くなるとは思いませんでした。
