検 | 心から

心から

その日その時に感じたままを、筆に託して表現してみます。
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$心から


父方祖父母は老衰で天寿を全うしているし、

母方の祖母は100を目前の日に、惜しくも息絶えた。

父は体が丈夫な方ではなかったが それでも普通に生活し、

亡くなる前の1年は認知症で家族を困惑させたけど、最後まで自宅で介護、見送った。

母は今でも車を運転するスーパー元気お婆ちゃん。

実はその運転、そろそろ免許証を返上した方がいいかもしれないと、

ある日 主人がコッソリ後ろからついて行って、人様にご迷惑をかけていないか確認したが、

帰ってくるなり私に向かって一言、「お前より安心だ!」

それならもう少し、父のお墓と病院だけは自分で行ってもらうことにいたしましょう、と。

その血筋を受け継いだのか、私も今迄健康には恵まれていて大きな病気もしたことはない。

が、しかし、健康というものは過信してはいけない。

私のいとこが2人、相次いで癌に。

不幸中の幸い、早期発見で今も元気に暮らしているが、

それ以後やはり検査だけは受けなくてはと、毎年健康診断だけは受けるようにしている。

本日はその中から、たった今、乳がん検診と子宮頸がん検診を受けてきた。


「検」。

旧体は「檢」。

「僉」の金文は、鎖を二筋垂らし それに○型の枠をはめて締めたさまを表します。

篆文は「人」の下に「一」を加えた形(集める意)+「口」×2+「人」×2の会意文字で、

多くのものや人を引き締めてまとめることを表します。

「檢」は「木」+「僉」で、木簡を集めてまとめ封印すること。

そこから、集めて締める、枠を外れないように取り締まる意。

さらに、良し悪しを調べる意となりました。


こればかりは主人と一緒に行くことはできないから、
$心から

毎年 市の検診を利用している。

両方の検査が巡回バスの中で行われ、

子宮頸がんの検診は、バスの中では

まるでベルトコンベアーに乗せられているように淡々と進んでいく。

その流れ作業的な所作が気に入って

この受診を選んでいるのだけど。

が、何度受けても乳がんのマンモグラフィー検査は痛くて嫌だ。

3人の子どもたちを全て母乳で育てた我が乳房は

哀しいことに無残な姿を呈しており、(本日 画像はありません)

片方ずつおっぱいを板の間に挟むには適しているように思えるのだけど、そう甘くはない。

が、痛いと言ってもその間2,3分。

それで何かがわかるとあらば、自分のためというよりも家族のためと受診する。

結果が届くまでにはしばらくの間を要するのだけれど、

今迄は、そのころにはもう受診したことさえ忘れている始末。

今年もそうであってほしいと願いながら、

次は内科検診、一番嫌いな体重測定をどう乗り切るかが目下最大の関心事。