拾 | 心から

心から

その日その時に感じたままを、筆に託して表現してみます。
よろしかったら、画像をクリック、拡大して、筆勢などをご覧下さい。


心から


昨夜は、1週間伸びた四日市の花火大会。


駅から会場への通り道にある我が家は、その翌朝は、毎年ゴミ拾いから始まる。



「拾」。


「扌:手」+「合:集める」で、元は集めまとめることを表しました。


転じて、ひろいとる意。



ところが今年は道路にあまりゴミが落ちていない。


タバコの吸い殻も、ストローも、空のペットボトルも。


原因は?


日程変更によって観客が少なかったこと、涼しかったこと、


近所のイオンに寄って帰る人が増えたので帰り道として通る人が少なかったこと、


それとマナーの向上も挙げられよう。


いずれにせよ、落ちていたゴミが少なかったことは嬉しい限り。


申し訳なさそうに我が家の軒に置かれていた、


たこ焼きの空容器やジュースの紙コップ、焼き鳥の串を射れた袋を拾い、


夏の終わりをしみじみ感じた。




土曜、きっと些細なことなのだろうけど私にとっては腹立たしくて、


臍を曲げたままお尻を向けて寝た夜。


翌朝もまだ不機嫌で、


せっかくの花火の日曜が、しぼみ始めた風船のような感じで過ぎていく。


今年は日程が変わったものだから、娘もバイトのシフトが入って見に行くこともできない。


当然、娘の友達も来ない。


毎年、食べるものの用意をしたり、浴衣を何人も着せて、汗だくの花火の夜。


楽なのはいいのだけれど、やはり何だか少し淋しい。


だけど、今年こそは自分が花火を見に行ける、そう思っていたのに。


会場までは歩いて5分。


でも家から広い道に出るともう十分花火は見れるから、そこで近所の人たちと一緒に見ようか・・・


定刻、一際大きいドーンという音。


「始まったぞ、行くか?」


「うん」


それだけ言って、戸締りをしたら、もういつものような空気になっていた。


通りへ出ると、近所の人たちが並んで見てる。


「もうちょっと近くまで行きたい」


私が言うと、「やっぱり」、と背中で言って歩きはじめた主人を小走りで追った。


心から
何年ぶりかの会場は、やはりたくさんの人。


屋台を眺め、その隙間から花火を見上げ、


打ち上げる音に驚きながら、


汗を押さえるような秋の気配の少し漂う風を受け、


行く夏を感じる。
                 心から