「隠」。
旧体は「隱」で。
右側上部は、「爪:手」+「エ」+「ヨ:手」の会意文字で、
エ型の物を上下の手で覆い隠すさまを表します。
「阝」は、壁を表し、
「隱」で、壁で隠して見えなくすることを表します。
隠すということは、非常に魅力的。
隠れているものの魅力は、計り知れない。
人は隠されたものが何であるか、
大いに関心を持ち、そして想像する。
露(あらわ)になったものよりも、気になって仕方ない。
隠れているものが自分の好みのものであるように、
隠されている部分が美しいものであるように、
それが願いでもあるように想像する。
その音「イン」も、何処となく秘密めいたニュアンスを伴い、
自分だけの密かな楽しみに繋がっていく。
子どものころ、駄菓子屋さんでクジを引くのが好きだった。
小さな紙片に書かれている数字が何か、
賞品を見ながら、欲しい数字が隠れた紙を探した。
見えるはずのない数字を、想像する楽しみ。
大抵は、期待に反してハズレだったのだけど、
でも今日は当たるかもしれないと、毎日期待は小さくしぼみはしなかった。
今は、そうだなぁ、ブログ記事の中の写真に書き込まれたマークで隠された顔。
この人は女優さんなら誰?なんて想像が膨らむ。
他には・・・活字の中に隠されたものを想像するのが好き。
文字で表現された風景を想像するのは、何て楽しい!
その想像は、遥かかなたの記憶と何処か繋がって、いつも懐かしい。
行間の、というには大げさだけど、
登場人物の心情も、行動の中に隠れている部分を見つけるのが面白い。
隠れた部分、
私の想像をどんどん掻き立てて欲しい。
