
「波」は「氵」+「皮」で、
その「皮」は、頭の付いた動物の皮 + 手からなり、獣皮を手ではがしている形。
そこに「氵」が加わり、うねうねと続くものや、水面が斜めにかぶさる波を表します。
また、書を習う人は、必ず「永字八法」を学びますが、
その第八法は右払いのことで、「磔(たく)」or「波磔」といいます。
筆をひいて、波勢をなすわけですね。
本日は、荒々しいものではなく、穏やかで心地よい波を表現してみたいと、
終画は、筆の勢いだけでサラッと書いてみました。
穏やかな海で波の音を聞いていると、
それも永い時間聞いていると、
いつの間にか、海のうねりが自分の呼吸と重なった覚えがあります。
寄せては返し、ひいては寄せる波。
太古から、何度それが繰り返されたのでしょう。
時に荒ぶれ、牙をむき出して打ちつけた波も、
いつかまた、穏やかなリズムを刻む波となる。
誰かが悲しみにひしがれているときも、それは繰り返され、
喜びで駆けあがるときも、知らんぷりして繰り返し波打つ。
潮が満ち、潮が引き、それでも変わりはない。
何があっても、それは続く。
そのうねりと重なる自分の、何と小さなことか。
人生の数十年は、海と比べて何と短いことか。
自分の置かれた境遇に逆らっても歯が立たない。
ならば、そのうねりの中に身を委ねよう。
波の合間に身を浮かべ、彷徨っていれば、いつかたどり着く。
たどり着くべきところにたどり着く。
もしかしたら、また出会えるかもしれない。
その日のために、見送ろう。