
楷書の基本である「温彦博碑」を倣い、
引き締まった線を意識し、きっちりと書いてみました。
この作品は、初唐の三大家と呼ばれる欧陽詢のもので、「おんげんばくひ」と読みます。
読み方にちょっと自信が無かったので、念のために調べました。
最近は、机の前に辞書や参考となりそうな本が並び、
頻繁に調べる習慣がついてきたので、調べることは苦ではなくなってきました。
少し前までは、確かめる、ということが面倒で、
あやふやなまま過ごすことが多かったように思います。
筆を持つこと、調べること、この2つが習慣になってきたことは
自分でも嬉しいこと。
他のことは、大体がいい加減で大雑把な性格なので、
この習慣だけは続けたい!
さて、この「意」、「音」と「心」から成り立ちます。
『説文』には、「言を察して意を知るなり」とありますが、
「言」=「音」、「察」=「心」、そのままですね。
『漢字源』には、「音:口の中に物を含むさま」+「心」で、
心中に考えを巡らし、思いを胸中に含んで外に出さないことを示す、とあります。
外に出さないこと、という説明は、ちょっと以外な気もしましたが、
内に秘めたるためにこそ、思いが確かなものになるのかもしれません。
漢文の野村茂夫先生は『千字文を読み解く』の中で、
「意」は、『説文』では「志なり」とあり、「志」をみると「意なり」とそている。
このような説明を互訓(ごくん)という。
つまり「意」も「志」も、自分の気持ちの向かうところ、「意志」である。
とされており、この字にもっと強い意味を持たせてみえるようです。
あやふやな思いでなく、確たる思い。
そういう思いを「意」と呼びたいと思いました。