2024秋アニメ 10月6日視聴分 | アニメ視聴日記

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日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年秋アニメのうち、10月5日深夜に録画して10月6日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

 

 

チ。 -地球の運動について-

第1話、第2話を観ました。

この作品は青年漫画が原作で、15世紀のヨーロッパを舞台にして、異端として禁じられている「地動説」を命がけで研究する人々の生き様を描いた物語みたいですね。原作は完結済であり単行本で全8巻なので、もしかしたら1クールで完結まで描かれるのかもしれないですね。今回は第1話と第2話が連続放送で、物語の導入なのか、それとももう本格的に始まってるのかよく分からないが、とにかく重厚な作品っぽさがムンムンしていて個人的にかなり好みの作風です。ただ、意外と笑えたのも意外性があって良かったです。主人公のラファウがなんかコミカルで面白い。全体的に怖くてグロい場面が多いのだが、地動説に関する場面はワクワク感がハンパ無いし、ラファウはちょっと滑稽で面白いし、中世ヨーロッパの宗教観なんかに関わる場面は歴史ドラマとしてかなり興味深い。

最初、いきなり舌が引っこ抜かれてるような拷問の絵から始まってイタイタしくてインパクト絶大。その後、また今度は爪を剥がす拷問の場面で、これがまたイタかった。とりあえずツダケンさん演じる異端審問官のノヴァクが怖すぎです。ムチャクチャ怖いんだけど、変に気さくで人間臭くて、それがまた余計に怖い。もう爪の話は二度と聞きたくないと思った。

そして学校の授業の場面で主人公ラファウが登場し、元は孤児だったが教師のポトツキに養子として拾われて優秀な彼は今度12歳で大学に入学して神学を学ぶのだという。ラファウは謙虚で素直な優等生を演じているが内心では世の中を舐めており、ひたすら合理的に生きることを信条としている。愛などという感情的なものに流されることなく、ひたすら打算的に相手に好意を抱かれるように上手く世渡りしていけば安泰だという考え方なのだが、ラファウの場合はほとんどはそれは小ズルい打算でしかないのだが、根底には「合理的なものは美しい」という美学があるようです。

彼は「神の愛」などという曖昧なものは信じておらず、大学で神学を学ぶと言っているのも、それが最も世間ウケが良いからなのだが、根底には「神学」が「聖書の言葉を論理的に読み解く学問」だから素晴らしいと思っているからでもある。ラファウにとっては「論理的である」ということは美しいことであり大事なことなのです。感情や欲望は無駄なのです。

しかし実際のところ「神学」というものはラファルの理想とするような「合理的」なものではない。中世における神学とは「神」と「人間」を絶対的に分け隔てるものであり、そこに法則性などはない。絶対的だからです。人間はどうしたって神にはなれないし、神の御業は人間には理解不能とされる。理解不能であることを理解するのが「神学」であった。そんなものは合理的ではない。ただ神学を学ぶことで世間を上手く渡っていけるという合理性があるだけでした。

一方でラファルは実は「天文」を趣味で学んでいた。星を観察して記録を付けて軌道計算などをしていたのです。ラファルが天文に興味を持ったきっかけは、空の星が規則正しく動いているのを見て、そこに「合理的な美しさ」があるのではないかと思って惹かれたのです。だが「天文」もまたラファルを失望させていた。観測を本格的に始めてみると分かったのだが、規則的に動いていない星々があり、それらは複雑怪奇な軌道計算を生み出しており、そんなものには「合理的な美しさ」は感じられなかった。それでラファルは「天文」に幻滅しかけていたところに、養父のポトツキから大学に入学するのだから今後は「天文」は止めて「神学」だけに打ち込むようにと言われてしまう。そもそも「神学」と違って「天文」など学んだところで世間ウケが良くなるワケでもなく、そういう点でも「天文」をやる合理性など無かった。それに空の星など「神」と同じで人間の手の届くものではない。だからラファルは「天文」は止めようと決めた。

しかし、ラファルはポトツキの代理で身柄を引き取りに行ったポトツキの友人のフベルトに出会ってしまう。フベルトは異端の学問に手を出したという罪で投獄されていたが改心したというので釈放されて、ポトツキが自分の別宅で引き取って住まわせてやるのだという。そうして釈放されたフベルトと会って別宅まで案内する途中でフベルトはラファルの持ち物から彼が天文をやっていることに気付き、星の観測記録を見せるようにと言ってくる。

それを見たフベルトは「素晴らしい」と褒めてくれますが、いきなり自分が改心したというのは嘘だと告白して、これからも異端の研究を続けると言い、それを手伝うようにとラファルに刃物を突き付けて脅迫してくる。「自分はやり残したことがあるから嘘をついてまで戻ってきたのであり、そのためならどんなことでもする」と本気で脅迫してくるフベルトに恐れをなしてラファルは仕方なく手伝うと答えます。ラファルはフベルトと別れると、すぐに通報しようとしますが、別れ際にフベルトが「もっと良い星の観測地を教えてやる」と言ったのが耳に残り、興味を惹かれてしまい結局は通報出来ず、フベルトと共に星の観測に出かけてしまいます。

そこは星がよく見える素晴らしい観測地で、ラファルは感動してしまう。そこでラファルは目の弱ってしまったフベルトの代わりに星の観測記録をつける。そうした作業の中、ラファルはフベルトのやっている「禁断の研究」とは何なのかと質問する。それに対してフベルトは逆にラファルに対して世間の常識とされている「天動説」は美しいと思うかどうかと質問を返す。ラファルは変な質問だとバカにして答えないが、それは答えを避けているからであり、本当は美しくないと思っているのだろうと指摘されてしまい、確かに天動説の規則性の無い軌道計算は「合理的」ではないので美しくはないとラファルは答えます。

しかし「美しくない」のは仕方ないことだと言い、大した問題ではないと言うラファルに対して、フベルトは美しくないのは問題だと言い、自分は星や太陽が動いているのではなく地球が動いているのだと考えていると言う。地球が自分の軸を中心にして回る「自転」や、太陽の周りを回る「公転」をしていると考えると、全ての星々の動きは規則性を持ち美しくなり、この宇宙も美しいものとなるのだというフベルトの持論にラファルは惹きつけられてしまう。そして、その自分の持論をフベルトが「地動説」と名付けたところで第1話は終わります。

そして続く第2話ではまずラファルがそのフベルトの地動説に対して反論します。そんなものは根拠の乏しい直感であり、そんな直感のために命を張るのは愚かだとフベルトに忠告する。だがフベルトは「私は命を張る場面でこそ直感を信じる」と言い返す。何故なら「不正解は無意味を意味しないから」だそうです。

ラファルにはフベルトの言葉は意味が分からなかったが、その後1人で帰宅する途中で山道で転んだことがきっかけで「観測者が動くなら静止している観察対象は動いて見える」ということに気付き、星が動いて見えるのは地球が回っているからなのではないかと気付く。それで「自転」はあり得るのかもしれないと思うが、それでも「公転」はさすがにあり得ないと思い、家に戻ってから不規則な軌道を描く星々の観測記録をその「公転」の定義に当てはめて計算し直したところ、それらの星々もまた地球と共に太陽の周りを公転しているのだと考えると複雑な軌道が全て規則性をもって合理的に説明がつきそうだということにも気付いた。そして、それを「美しい」と思ってしまった。

後日、また同じ観測地でラファルはフベルトにどうしてこんな研究をしているのかと問う。神を否定したいのかとも問う。するとフベルトは「神を信じているからだ」と答えます。中世のキリスト教では「この世は汚く醜い世界」と言われ、「あの世は美しい神の世界」だとされる。だからこの世では教会のもと信仰を固く信じて、そうすれば死後は美しいあの世に行けるというのが基本的な中世のキリスト教の教義でした。つまりそうして教会に隷従する仕組みを作っていたわけです。

しかしフベルトは「神が作ったこの世が醜いはずがない」と言う。この世界は美しい秩序によって作られている。それこそが神の御業なのです。フベルトは神の偉業を証明するためにこそ地動説を証明しようとしているのです。しかし、こういう考え方は教会から見れば危険思想です。教会は人々が住むこの世界を「美しくない」と定義して、自分たちだけがその入り口の鍵を握る「あの世」だけを「美しい世界」と定義することによって特権を維持しているからです。勝手にこの世の美しさを証明されてしまうと、彼らの支配の正当性が崩れてしまう。だから教会は「異端審問」の名のもとに地動説や自然科学を弾圧する。

だからラファルはフベルトに「そんな人生、怖くはないのですか?」と質問する。するとフベルトは「怖い」と答えつつ「だが怖くない人生など、その本質を欠く」とも言う。そしてフベルトは唐突に2人でやる観測は今日で終わりだと言う。そしてラファルに「自分のために天文をやれ」と伝えて帰っていく。その後、ラファルが家に戻ると、そこにノヴァクが来ていてフベルトの更生具合を見に来たのだと言い、ラファルの部屋から見つけた公転計算をした時のメモを取り出して「これは何?」と聞いてくる。このままではラファルも異端の研究をしていたということになり拷問されてしまうところであったが、そこに現れたフベルトがそれは自分の書いたメモであり、ラファルの部屋に隠したのだと嘘をつく。

「やり残したことがあるから、そのためなら何でもする」と言っていたフベルトがこんなことで自ら死を選ぶとは予想外であったが、フベルトはそのまま連行されて火刑で死んだ。だがラファルは連行される前にフベルトに「やり残したことは?」と問うと「たった今やった」と言われ、その直前にフベルトから渡された木彫りのペンダントの3つの穴がオリオン座の三ツ星と似ていることに気付き、例の観測場所でフベルトがそこから見える3つの山の頂をオリオン座の3つ星に喩えていたことを思い出し、ペンダントの3つの穴の真ん中だけが黒く塗ってあったことから、真ん中の山の頂に何かがあると考えて山に登る。

すると、そこにはフベルトの地動説の研究データが隠してあり、手紙を添えてあった。それによると、フベルトは地動説は証明不可能だと判断し、この研究データを燃やしてほしいとのことだった。それなら自分で燃やせば良さそうなものだが、フベルトは自分では燃やす踏ん切りがつかなかったようです。だから自分よりも優れていると認めた者の手によって燃やしてほしいと願い、自分が認めた相手にペンダントを渡したのだという。その相手がラファルだったわけですが、その一方でフベルトはラファルに天文を続けるようにとも言い残している。つまりフベルトはラファルを自分の地動説を更に超えていく者だと認めて、あとの判断を託したのです。そうしてラファルは一旦はフベルトの研究データに火を点けるが、自分は地動説が正しいという「直感」を信じたいと思い直し、火を踏み消してフベルトの研究を秘かに引き継いだ。そして大学に行ったら神学ではなく天文をやると宣言し、養父のポトツキを困らせ、ポトツキに発言を撤回するよう迫られてしまい、仕方なく今だけ形だけ発言を撤回して大学に入ってしまってから天文をやろうと考える。しかし、よく考えたら、あれほど天文を毛嫌いしているポトツキの家にどうして多くの天文の資料があるのだろうかとラファルが疑問を覚えたところで今回は終わり次回に続きます。

 

 

君は冥土様。

第1話を観ました。

この作品は漫画原作のアクションラブコメ作品らしい。高校生の横谷人好が親が夏休みで居なくて1人で暮らしている家にいきなりメイドさんがやって来て雇ってほしいと言ってくる。何でも一応は横谷家と関係のある人からの紹介だと言うが、聞いてみるとほぼ他人みたいだった。しかもこのメイドさんは前職は殺し屋だそうだ。なんでメイドをやってるのか全く謎だが、それで人好も呆れてメイドさんに帰ってもらいますが、メイドさんはなんか凄く落ち込んでる様子なので、とりあえず部屋の掃除をしてもらったりして家に住まわせてあげることにします。しかし家事が出来るのかというと壊滅的に出来ない。一体何なんだコレは。どうもこのメイドさんは家族の温かみみたいなものに憧れている様子。あとトンカツソースに夢中になってしまった模様。メイドさんには名前があるらしいがどうも人好に冷たい女だと思われてしまうのが嫌みたいで名乗ろうとしない。人好の方もなんか母親絡みで悪夢を見るようなトラウマがあるっぽい。とりあえずメイドさんがボケて人好がツッコむみたいなギャグが多いが、あんまり面白くは感じていない。どうやらヒューマンドラマっぽい。とりあえず様子見ですね。

 

 

パーティーから追放されたその治癒師、実は最強につき

第1話を観ました。

この作品はなろう系ラノベ原作の異世界ファンタジーみたいです。冒険者ギルドに所属してる治癒師のラウストは簡単な治癒魔法しか使えないので無能扱いされていて、他のパーティーを追放されて今はフリーであったが、新米冒険者で武道家のナルセーナという女の子がラウストとパーティーを組みたいと言ってくる。周囲はラウストなんかと組むのは止めた方がいいと忠告しますが、ナルセーナはどうしてもラウストと一緒にパーティーを組みたいと前から決めていたのだと言う。とりあえず2人で一緒に迷宮に潜ってナルセーナの腕前を見ますが、ゴブリン相手に無双するぐらいには強かった。ただ経験が浅いので危なっかしいのだが、ラウストは長く冒険者をやっているので迷宮内に詳しくて意外と戦いも出来た。オークを倒したりして、ちょっと治癒師としては不自然な強さです。ナルセーナもお金持ちのお嬢様っぽいんですが、どうやらラウストと過去に接点があった模様。子供の頃にラウストに助けてもらったので自分が冒険者になってラウストを助けたいようですが、髪色が違っていたりしてラウストは気付いてない様子。またナルセーナのことを知っているっぽい冒険者ギルドの上司も気になる。とりあえず大して面白いわけじゃないんですが、ナルセーナが可愛くてアクションもしっかり描かれてるので視聴継続してる感じ。