2024夏アニメ 9月6日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年夏アニメのうち、9月5日深夜に録画して9月6日に視聴した作品は以下の4タイトルでした。

 

 

義妹生活

第10話を観ました。

今回も含めて残り3話となります。悠太と沙季がそれぞれが自分の相手への恋愛感情を自覚しながら、それを抑え込んで義兄妹として生活していこうと決意した夏休みの日が終わり、二学期が始まりました。学校では文化祭の準備が始まったり、進路を見据えての三者面談を控えていたり、また沙季のことを意識しているクラスメイトの男子が出てきたりと、ちょっと慌ただしさも感じられる日々ですが、学校では悠太と沙季はクラスも別々だし体育の授業以外では特に接点も無い。学校では2人が親の再婚で義兄妹となり同居しているということは沙季の親友の真綾しか知らない。

一方、自宅では髪を短くカットした沙季は悠太のことを「兄さん」と呼ぶようになり、悠太は相変わらず「綾瀬さん」と呼んでいる。沙季は「兄さん」と呼ぶことで悠太への想いを抑え込もうとしているのだが、モノローグでは「浅村くん」と呼び続けている。当初、沙季が悠太のことを「浅村くん」と呼んでいたのは「義兄妹はどこまでいっても他人だから」という想いからであった。そんな沙季が「兄さん」と呼ぶようになったのは、そう呼ぶことで悠太への恋心を抑え込もうとしたというのも確かにあるが、沙季が悠太への恋心を抑えようと思ったそもそもの理由が「両親が自分たちが家族になることを望んでいる」と感じたからでした。つまり、もともとは沙季は「本当の家族にはなれない」と諦めての「浅村くん」呼びだったのですが、今は「本当の家族になりたい」「本当の家族になれる」と思って「兄さん」と呼んでいるのです。

しかし、それは「両親が自分と悠太が本当の兄妹となることを望んでいるから」「悠太も自分と本当の兄妹になろうと努めてくれているから」と沙季が思っており、そうした両親や悠太の想いに応えたいから、悠太のことを「兄さん」と呼び「本当の家族になろう」と思っているに過ぎない。沙季の本心はそうではないということは、モノローグで相変わらず悠太のことを「浅村くん」と呼んでいるということに表われている。では、沙季は本心では以前と同じように「義兄妹はどこまでいっても他人だ」と醒めた気持ちで「浅村くん」と呼んでいるのかというと、それは全く違っていて、むしろ現在の沙季は悠太と「家族以上に深い関係になりたい」という想いを込めて「浅村くん」と心の中で呼び続けている。現実には家の中ではすっかり「兄さん」呼びが定着しているというのに心の中では「浅村くん」と呼ぶことに執着し続けるのは、沙季がやっぱり悠太への恋愛感情を諦めきれずに引きずっているからなのです。

一方で悠太の方が相変わらず「綾瀬さん」呼びであるのは、やはり悠太も「沙季と本当の家族になろう」と思っているからです。何だか矛盾した行動のようですが、これは仕方がない。悠太も当初は沙季のことを「綾瀬さん」呼びであったのは「義兄妹はどこまでいっても他人」という醒めた想いからでした。しかし沙季と同じように今は両親や沙季のために「本当の家族になろうと努めたい」と思っている。ところがその場合に「兄さん」という便利な呼び方のある沙季とは違い、まさか「妹よ」なんて間抜けな呼び方をするわけにもいかないので通常の兄妹なら「沙季」と名前呼びをすることになってしまう。しかし今や沙季を好きになってしまい、必死で沙季への恋心を抑え込もうとしている悠太にとって「沙季」呼びは刺激が強すぎる。むしろ親密さが増してしまい、その親密さが「兄妹の間の親密さ」ではなく「恋人同士のような親密さ」と混同してしまいそうになる。そういう事態を避けるために悠太は以前と変わらず「綾瀬さん」呼びを続けているのです。つまり、悠太が沙季を「綾瀬さん」と呼び続けているのは、「家族になりたい」という気持ちの表れであると同時に、「沙季への恋愛感情を諦めきれず引きずっている」ということの裏返しでもある。

ただ、そんな悠太の複雑な心情は、「悠太が実は沙季に恋愛感情を抱いている」という悠太が他人に絶対に知られたくない事実に気付いていない者には理解されることはない。それは悠太と沙季の両親も同様であり、悠太の父親も、沙季の母親も、そして沙季本人も、沙季が「兄さん」と呼んでいるというのに悠太がずっと「綾瀬さん」と呼び続けることは「まだ沙季のことを本当の家族と認めていない」態度であると受け取ってしまう。そして、それは「沙季の母親のこともまだ悠太は自分の母親として受け入れていない」という印象にも繋がる。沙季の母親の亜季子も、悠太の父親の太一もそのことを気にしており、自分たちの再婚のせいで悠太が嫌な想いをしているのではないかと気に病む。そういう誤解が生じてしまう。

そうした中、太一の仕事が多忙なので亜季子が沙季と悠太の両者の三者面談に行きたいと言い出す。それは太一の多忙という理由もあったが「悠太に母親として認めてもらいたい」という想いも含まれての申し出でした。沙季からその話を聞いた悠太は、亜季子を母親として拒絶する気持ちなどあるわけではないし、両親の気持ちを想うとその申し出を拒むという選択肢など無かった。ただ、亜季子が悠太と沙季の両者の三者面談に行けば、2人が義兄妹であるということは学校で周知のこととなってしまう。しかし具体的にそれによって何か不都合が生じるということもなく、これまで悠太が沙季と義兄妹であることを隠してきたのも何となく気分的な理由によるものに過ぎなかった。だから、そんな自分の気分の問題を理由に亜季子や太一や沙季が自分と家族になりたいと思ってくれる気持ちを無碍にすることは出来ないと思い、悠太は亜季子の申し出を了承します。そして、それは沙季も同感であった。

ただ、悠太がこれまで沙季と義兄妹であることを学校で皆に知られたくないと思っていた理由は、当初は単に悠太自身が沙季と義兄妹であるという事実を受け入れられていなかったからであったが、今は学校で沙季と義兄妹であると知られて完全に2人が兄妹として公認されてしまうことで沙季と結ばれる可能性が完全に無くなってしまうことに抵抗があるからだった。そういう点もまた沙季も同感であったのであり、実は亜季子の申し出を了承することは2人にとって辛い決断であった。だが、そんな自分の「妹に懸想する感情」「兄に懸想する感情」を相手に抱くのは自分を家族だと思って信頼してくれている相手に対して失礼極まりないことだと2人ともそれぞれ思っていることなので、そんな想いを表に出すことも出来ず、当然のことのように亜季子の申し出を受け入れるしかなかった。そして、これを機会に相手に対する恋愛感情を完全に捨てて、完全に家族になる良い機会にすればいいと思った。だがやはりそれでも2人ともモヤモヤした感情は残る。

特に沙季は自分の母親の気持ちに寄り添って面倒なことを受け入れてくれた悠太の姿を見て、ますます悠太のことが好きになってしまい、せっかく悠太への恋心を上手く抑え込めていたのに、また不安定な気持ちになり辛くなってしまう。そうして三者面談の日が迫る中、学校では悠太は親友の丸に沙季と義兄妹であったことを打ち明け、沙季は真綾の家にクラスの男子たちと一緒に勉強会に行くことを決めたり、バイト先では悠太に女子との出会いがあったり、それぞれ新たな一歩を踏み出そうとする。だが、沙季は悠太への想いに蓋をするためにいっそ自宅でも悠太と距離を置くべきではないかと考えたりして、それは辛すぎて出来ないと思って悶々としたりしているというのが描かれて今回は終わり次回に続きます。

これで残りは2話であり、原作となっている小説版は完結していないのでアニメ版の最終話も物語の途中で終わるのだろうとは思う。ただ小説版も大元のYoutube版も未読なのでよく知らないが、例えば小説版は悠太の一人称で描かれているらしいが、アニメ版は悠太の視点や沙季の視点で描き分けられていたりして、小説版をそのままアニメ化しているわけでもないようです。だからアニメオリジナルの結末が描かれ可能性もゼロではないのだろうと思う。

 

 

俺は全てを【パリイ】する ~逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい~

第10話を観ました。

今回を含めて残り3話となります。今回はまずノールが前回の話で魔導皇国の軍勢をパリイで殲滅した場面をノール視点で振り返り、その後に六聖やイネス達がやってきて後始末をしてくれて、最後に逃げた皇帝を追うためにドラゴンを治療して、皆でその背に乗って飛び、皇帝に追いついたところまでが描かれました。このぶんでいくと次回は魔導皇国との決着が描かれて、それがもしかしたら最終話まで引っ張ることになるか、もしそうでなければ最終話は後日談的なエピソードで締めるのかもしれませんね。原作はまだ続いてますから物語は最終話でも完結はしませんがキリの良い終わり方にはなりそうです。

まずノール視点での皇国の軍勢を殲滅した話ですが、ノールはとにかく軍勢とまともに戦っては自分のような弱者は瞬殺されてしまいリーン達が逃げる時間を稼ぐことは出来ないだろうと思い、ひたすら軍勢の中を走り回り続けて兵士たちの剣や盾をパリイし続けて兵士たちを丸腰の状態にし続けることに専念していました。その間にリーン達が逃げることが出来て、自分も逃げ足には自信があったので逃げるチャンスは掴めると思っていたのです。しかし予想以上に大軍勢で、キリが無くなってしまい、もうワケが分かんなくなって剣や盾だけでなく、そこらにある大型攻撃兵器みたいなものも全部パリイし続ける羽目となり、もはや「パリイ」の概念までパリイしてしまい、ノールは息も絶え絶えとなってしまう。

そんな必死の奔走の中でノールは何度も謎の老人とすれ違い「どうしてこんな戦場にただの老人がいるのだろう?」と不思議に思い、しかもその老人が全身金色の鎧を着ていたので趣味の悪さにも驚く。そのノールが「ただの老人」と思った相手は魔導皇国の皇帝だったのだが、ノールみたいな阿呆にそんなことが分かるわけがない。とりあえず弱そうだったのでパリイする必要は無いと思い放置していたが、ノールがあらかた軍勢をパリイして遂に息切れを起こして動きを止めた際にもその老人の前に居て、ノールはその老人がやたら怯えているのを見て「俺が命を奪いに来たと勘違いしているのだな」と思い、誤解を解こうと思ったが息切れが酷くて喋れなかったので精一杯の笑顔を見せるのだが、疲労困憊で引きつった笑顔になってしまい、それを自分を殺しに来たワケの分からない男の不敵な笑みと見た皇帝は小便を漏らして馬に跨り逃げていった。

まぁそういう感じでノール視点で戦いの終わりまでが描かれ、力尽きたノールが敵兵の残党に囲まれてしまったところで六聖やシエルやリーンが駆けつけてノールは危機を脱し、かつての訓練所の教官であった六聖たちとも再会します。六聖たちはノールによって壊滅させられていた皇国の軍勢にトドメを刺したり拘束していっただけでしたが、ノールは自分が軍勢を壊滅させたなどとは思っていないので全部教官たちがやったことなのだと思い「やっぱり教官たちは凄い」とか感心したりします。てゆーかノールって国王のことは「どっかの金持ちのオッサン」としか思ってないし、たぶん六聖のこともよく知らず「ただの教官」としか思ってないんだろうな。一方で六聖たちは訓練所時代からノールが異常な才能の持ち主だということは分かっていたのですが、「最弱スキルだけが異常にハイレベルで他は全くダメ」というのがちょっと理解不能すぎて育てる自信が無かったので放置していたのですが、そのノールがこんなふうに成長して戻ってくるとは予想もしておらず驚く。

それで皇帝が逃げたと知って教官たちが残念がっているのを見て、ノールはドラゴンを治癒して再び飛べるようにすればマー族のロロであればドラゴンに命令して教官たちを背中に乗せて運んでくれてあの老人にも追いつけるのではないかと提案します。とにかくノールは「ロロは凄いんだ」とやたらと教官たちにロロを推しますが、ロロはドラゴンを操れる自信など全く無い。だが治癒したドラゴンが「主(ノール)に自分を撃った敵への復讐を命じてほしい」とノリノリだったので、ロロなノールからの指示を伝えてドラゴンは皆を背中に乗せて運んでくれることになった。

ノールは「やっぱりロロは凄いな」と感心しますが、ロロが乗っていくとなればリーンもイネスもロロの護衛としてついていくと言い出し、リーンは「もちろん先生も乗りますよね」と当然のことのように言ってくる。リーン達はドラゴンがノールの命令に従っているということが分かっていますから、当然ノールも同行すると思っている。ノールの方はなんで自分まで行くのだろうかと驚き、行きたくないと思う。実はノールは高所恐怖症なのでドラゴンの背に乗って飛ぶなど嫌なのです。しかし自分が提案してロロを巻き込んでしまった手前、自分だけ乗って行かないというのは確かに筋が通らないと思い、リーンに筋が通らない姿を見せるわけにはいかないと思い、しぶしぶ了承する。そうしてドラゴンに六聖たちとロロひゃリーンやイネス、交渉役としてのレイン王子、そして高所恐怖症のため白目を剥いて座り込むノールを乗せたドラゴンが国境手前で逃げる皇帝に追いついたところで今回は終わり次回に続きます。

 

 

女神のカフェテラス(第2期)

第22話を観ました。

今回も含めて残り3話となり、今回は千代田食堂を舞台にしてファミリアメンバーと千代田食堂メンバー合同のクリスマスパーティーが開かれることになり、その準備の場面から始まります。隼はこのところ紅葉や流星に恋愛沙汰で振り回されがちで疲れていたので、恋愛沙汰抜きで大勢で盛り上がれるクリスマスパーティーを楽しみにしていました。しかし流星と紅葉と白菊はこのパーティーを隼との距離を縮める絶好の機会と見て虎視耽々としていた。

もともとは3人とも割と呑気にクリスマスパーティーに臨もうとしていたのだが、流星を応援する莉々歌や野次馬スケベの舞乙が流星を焚き付けて、桜花から紅葉の隼へのプロポーズが本気だったことを聞いて危機感を募らせた流星は俄然やる気になってしまう。一方、ラノベオタクの碧流は負けヒロイン気質の紅葉を同情して応援し始め、紅葉はその天然で失礼な物言いにムカつきながらも、そういえばプロポーズの返事をはぐらかされたままだと気付き、本当に自分は負けヒロインなのではないかと危機感を覚える。更に白菊は一緒に料理の仕込みをしていたはんなりキャラの萌美に紅葉や流星みたいに隼にあまりアプローチしていない余裕の態度を褒められるのだが、それで自分だけ何もせず出遅れていることを自覚して焦ってしまう。そういうわけで3人ともかなり前のめりでクリスマスパーティーに臨み、隼と同じテーブルに座り距離を詰めようとしてくる。

そこでまず流星は白菊を脱落させようとして、シャンメリーと偽ってシャンパンを呑ませようとする。白菊はアルコールを摂取すると淫乱魔人になってしまうので隼にマトモなアプローチをすることは出来なくなってしまうのだ。但し白菊本人には淫乱魔人になっている間の記憶は無く、自分は酒を飲むとすぐに寝てしまうのだと思い込んでおり、今日は隼にアプローチすると心に決めているので酒は飲もうとしていなかった。それで流星はノンアルコールのシャンメリーと偽ってシャンパンを呑ませて白菊を脱落させようとしたのだが、猫の幸子に邪魔されて失敗してしまう。そこで流星は紅葉にターゲットを変更し、このあたりが墓地だったとか出鱈目を言って怖がりの紅葉を脱落させようとするのだが、紅葉はビビって隼にしがみついてしまい流星の作戦はまたも失敗する。

そんな不毛な時間を過ごしているうちにプレゼント交換が始まり、舞乙の用意してきたプレゼントが電動コケシであったり、それが当たってしまったのが隼で碧流が腐った発想で興奮したり、また秋水とティナがトルネードスピンで店中をビショビショにして全員下着姿になったり、ドタバタでパーティーは終わり、特に恋愛面の進展は無く終わってしまいました。しかし、隼と2人で店内の片付けをしていた際に白菊は思い切って隼にファーストキスを捧げます。

ところが隼はてっきり白菊がいつものように酒を口にして淫乱魔人になってキスしてきたのだろうと思っており「よくあること」と軽く流していた。むしろ普段よりも行動が普通だと思っていたぐらいで、どうせ覚えていないのだろうと思って白菊に対しても翌日も普通に接した。そんな隼の態度に白菊は戸惑い、自分とキスしたことなど隼は何とも思っていないのだろうかと思って落ち込む。それで翌日に堤防で釣りをしている隼のもとに行き、自分がキスしたことをどう思っているのか問い詰めると、隼が「よくあること」だとか平然としているので白菊は隼が流星や紅葉ともキスしまくっていたのだと誤解してショックを受ける。

それで隼は白菊がキスのことを覚えていることに気付き、あれは本気のキスだったのだと気付く。それで「よくあること」だと言ったことや平然と無視していたことを弁解しなければいけないと思い、白菊が酔うと淫乱になるのだという事実を白菊に教えるのだが白菊は信じようとしない。それで秋水がいつも撮っている白菊淫乱化時の証拠映像を見せると、白菊はショックで倒れてしまいます。だが隼も初めてのキスだったことや、隼も白菊にキスされて嫌ではなかったと聞き、白菊は少し立ち直る。

そうして白菊はこれまで自分が酔って迷惑をかけていたことを流星や紅葉にも謝るが、ついでに隼にキスしたことも打ち明ける。最初は淫乱化してキスした話だと思って気軽に流していた流星と紅葉であったが、本気でキスをしたのだと知って焦る。それでその話を舞乙たちにしたところ、面白がった舞乙たちによって白菊による「春日部隼クチビル強奪事件」を裁く法廷ごっこが始まってしまう。

裁判長は舞乙、陪審員が秋水とティナ、被害者席には流星と紅葉が座り、検察官が莉々歌と碧流、そして被告人は白菊で弁護人は萌美が務める。ちなみに桜花は傍聴人で、隼は「盗品」として証拠品扱い。萌美は白菊が純粋に隼のことが好きでキスしただけだと主張して無罪を求めますが、碧流はエリンギを証拠品として提出して白菊が隼の股間のイツモツに並々ならぬ執着を示していたと主張し、不純な気持ちがあったと言い、萌美の弁護を崩そうとする。結局下ネタなんやね。それに対して萌美は流星と紅葉も温泉旅行の際に同様の行動をとっていたと主張し、被害者の2人にも下ネタが飛び火、更に桜花まで飛び火してしまい、何故か桜花がティナに死刑判決されてしまう。隼は自分の恥ずかしい話が暴露されまくることに腹を立て、まず自分の人権を尊重するよう求めるが舞乙は「男に人権は無い」と理不尽なことを言う。

そんなバカバカしい裁判に飽きた流星と紅葉がもう早く終わらせようと言い、抜け駆けしようとしていたのは自分たちも同罪であり、白菊は自分でキスしたことを打ち明けてくれたので寛大な判決をしてくれるよう舞乙に頼む。それを承けて、舞乙は白菊に無罪判決を下すが、同時に「法の下の平等」を主張して、流星と紅葉と桜花と秋水にも「隼とキスする権利」を与えるという名裁きを下す。しかし、その「法の下の平等」は隼には徹底的に適用されず、隼はキスを拒む権利は無いのであった。そんな相変わらずバカバカしいギャグ回な感じで今回は終わり、次回は隼がファミリア女子たちにキスされまくる話になるのでしょうかね。そうしてラスト2話、どうやってこの2期を畳むのか注目です。

 

 

先輩はおとこのこ

第9話を観ました。

今回はクリスマスのお話でした。このところずっとモヤモヤする感じのエピソードが続いていたのですが、今回は相変わらず辛い場面は多かったですけど、自分的にはスッキリと納得できるものがありました。それはこの作品の中盤以降のテーマとなっていた、この作品が主張するところの「特別」というものがどういうものか、何だか腑に落ちた気がしたからです。もしかしたら私の全くの勘違いで、作品の意図するものとは違うのかもしれませんけど。というか、先行きはかなり不安なんですけどね。なんでも前回のエピソードで原作の半分ぐらいしか消化してないのだそうで、原作は完結してるんですが、このアニメでは最終話では物語の途中までしか行かないのかもしれない。それでは結局何が言いたい作品なのか分からずじまいなんていう可能性もあるわけですけど、まぁそれでも今回の話で自分なりに納得した部分をもって、私はこの作品に一定の大きな満足は得ました。もっと大満足はさせてほしいですけど、このまま最終話が中途半端で終わってしまったとしても、この作品は今期アニメの中の特別な作品の1つであるという確信は持つことが出来ました。

今回は、咲が病院に検査入院しているお祖母ちゃんのところにクリスマスイブの日に見舞いに行く場面から始まります。この日は咲がもともとは父親と一緒にプラネタリウムに行く約束をしていた日だったのですが、父親は突然にクジラを見に行くと言って海外に行ってしまい、咲は約束をキャンセルされてしまいました。しかし咲は父親に文句は言わず、ちょうどクリスマスは友達に遊びに行こうと誘われていたので大丈夫だと明るく応じて、父親もプラネタリウムは友達と行けばいいと言って安堵して出かけていきました。しかし、本当は咲は悲しい想いをしていました。自分がずっと膝に怪我をしていたことにさえずっと気付かなかった父親の無関心も哀しかった。

私は前回のレビューでこの父親に嫌悪感を覚えたと書いていましたが、しかしそれは咲の場面が咲視点で描かれていて、咲の内心を私が分かるので、どうしても咲に感情移入して見ているからです。実際のところはこの父親も自分が「良い父親」ではないことは自覚していて、前回も酔っぱらった時に咲に謝ったりしていた。根っからのサイコパスなのではなくて、ちゃんと罪悪感はあるのです。でもクジラが好きで好きで仕方なくて、ちょっと子供っぽいところのある人なのです。こういう人はもっとちゃんと叱ってくれる人が必要なのだと思います。妻が愛想尽かして出ていったぐらいですから手強い人なのだとは思いますが、それでも娘である咲がもっとしっかり文句を言って抗議する、つまりワガママを言えば、この父親だって多少は苦しんで反省するのだと思います。だから、父親が何を言ってもいつもヘラヘラ調子を合わせている咲にも問題はあるのです。

実際はクリスマスに友達に誘われたりしていないのに、わざわざ嘘をついてヘラヘラ笑って父親のご機嫌取りをしている。咲がこんな調子だから父親も咲に甘えて調子に乗るのです。しかし咲が父親だけでなく誰に対しても常にヘラヘラ笑って明るく振る舞って虚勢を張っているのは、嫌われるのを恐れているからなのです。これまでの人生で一度も「特別な相手」として他人に大事にされたことがない咲は、他人は自分を心の底から愛してくれないと思っていて、そんな自分の危うい立場を考えると、常に他人にヘラヘラして媚びを売るしか生き方が分からないのです。そして、他人をそんな恐ろしい存在としか見ることが出来ない咲自身もまた他人を「特別な相手」と見て大切にすることが出来ない。表面上は誰とでも友好的に接するが腹の底では信用していない。だから咲はずっと孤独なのです。

前回のお話の中で咲が父親に仕事のことを質問する場面がありました。咲は父親がやけに仕事が好きなのは、仕事が面白いからなのかと質問しますが、父親は面白いかどうかは分からないとしながら「仕事していて死んでしまったとしても後悔しないぐらい夢中だ」と答えています。それを聞いて咲は祖母が祖父が病気で死んだ時に「自分が代わってあげたい」と言って悲しんでいたのを思い出し、それを聞いた父親は「祖母さんも祖父さんに夢中だったということだ」と言っていました。

前回、あえてこういう遣り取りを描いたということは、この作品は「特別な相手」というものをそういうものだと定義しているということなのかなと思いました。正確には前回は特にそうは思っていなかったのですが、今回の話を見てから前回のその場面を思い返すと「そういうことだったのかな」と思えたということになります。これが正解なのかどうかは今後のエピソード内容次第ということになると思うので断言はしづらいんですが、まぁそういうことかなと今は思っており、これが私がこの作品において非常に腑に落ちた部分ということになります。

人間は誰でも「自分の命」は大切に決まっています。しかし咲の父親は「クジラ」のために自分の命を捨ててもいいと思っている。咲の祖母も「夫」のために自分の命を捨ててもいいと思っている。これは尋常なことではなく、このように「命を捨てても守りたいもの」というのがつまり「特別」ということだとこの作品は言っているのです。しかし咲は自分の命を捨てても守りたいものなど無い。試しにまこと先輩のことを思い浮かべてみても、自分の命をまこと先輩のために捨てようなどとは思えない。だから自分にとってまこと先輩は「特別な相手」ではないのだと咲は思う。また、そんなふうにしか思えない咲のことをまこと先輩が命を捨てて守ってくれるわけがない。だから自分もまた、まこと先輩にとって「特別な相手」などではないし、他の誰も自分のことを「特別な相手」だなどと思ってくれるはずがないと咲は思っている。

ただ、私は「自分の命」というのは「大切なもの」の最も極端な例なのであって、「特別」というもののこの作品における正確な定義は「大切なものを捨てても守りたいもの」なのではないかと思う。例えば咲の父親は咲のことは大切に想っています。決してどうでもいいなどとは思っていない。しかし、クジラのためにはそんな大切な咲をも蔑ろにする。だから「クジラ」は父親にとって「特別」なのです。咲は父親にとって「大切なもの」ではあるけど「特別」ではない。「特別」なのはクジラであり、どうでもいいものを捨ててクジラのもとに駆け付けることでは父親にとってのクジラの「特別」を証明することは出来ない。咲という「大切なもの」を捨ててクジラのもとに駆け付けるからこそ父親にとってのクジラの「特別」は証明されるのです。つまり「特別」を持つためには何か「大切なもの」を捨ててみせる必要があるのです。何も捨てずして「君が特別だ」などと言っても何の説得力も無い。例えば「じゃあ私のために死んでくれる?」「じゃあ親や家を捨てられる?」「じゃあ夢を捨てられる?」というような試練を乗り越えてこそ、「特別」は成立するのだといえます。

私は「クジラのために娘を捨てる」という咲の父親の考え方には全く共感は持てないが、それだけクジラが父親にとっては「特別」なのだということは理解できる。そして、そういう人間は現実にもたくさん存在している。家庭を蔑ろにして仕事に懸命になり立派な業績を残している人はたくさん居る。そしてそういう人たちは「成功者」「偉人」などと呼ばれることも多い。アニメのような創作物の中でもそういう人物が描かれることが多い。アニメや漫画やラノベで描かれる物語の大半は「自己実現の物語」です。カッコよく颯爽と自分の望みを果たす人物が主人公として描かれ称賛される。そういうカッコいい主人公は決して他のもののために自分の信念や目的を曲げたりしない。咲の父親もそういう通常の作品の主人公タイプのキャラといえます。

しかし、この作品はそういうキャラを脇役として描いている。メインで描かれているのは、そういう「自分の信念のために他人に不寛容になれる成功者」によって蔑ろにされる側である咲です。咲というキャラは通常の作品では単なる「主人公の娘という設定のモブ」でしかない。この作品はそっちにスポットを当てているのであり、だから決して「自己実現の物語」ではないのです。いや、実際のところは分からない。残り3話で唐突に薄っぺらい「自己実現エンド」に持っていってしまう可能性もあるので不安いっぱいなんですが、それでもあえてこの段階で希望的観測で勝手に断言させていただくなら、「自分の大切な信念を捨ててもいいと思える特別な相手を見つけることが人間にとって真の成長である」ということを描く物語なのではないか、いや、そうであってほしい、そう思う。

人生にとって最大の転機というのは「大切なものを得る」ことではなく「大切なものを捨てる決断をする」ことだと思う。そこまで重い決断をして得るものこそが「特別なもの」なのです。その究極が「何かのために命を捨てる」ということであり、主人公が命を代償にして何を得たのか、何を残したのか、そういうものを描く物語が結局一番感動するのです。何故なら物語というものは他人の成功を称えるために描かれるものなどではなく、そうした人間の営みを超越した「特別なもの」を描くものだからなのです。スマートな自己実現ストーリーなどより、少なくとも私はそういうものを見たい。「進撃の巨人」ではエレンは命を捨てて巨人のいない世界を実現した。「ブレイバーン」ではスミスは命を捨て、「ガールズバンドクライ」では仁菜たちはメジャーデビューの道を捨て、「響け!ユーフォニアム3」では久美子はソリストへの道を捨てた。そうして彼らが得た「特別なもの」に私は感動したのです。

そういうわけで今回の内容ですが、まずクリスマスイブにお祖母ちゃんの見舞いに行った咲は相変わらずヘラヘラ笑っておどけてばかりで、その後は1人でプラネタリウムに行きます。すると周囲の席はクリスマスということもあってカップルや家族連ればかりで、みんな「特別な相手」同士で来ている印象です。そんな中で1人でポツンと座っていた咲は、自分だけが「特別な相手」が居ない孤独な人間だと実感してしまう。

そうして咲が肩を落として帰路についたところ、1台のタクシーとすれ違う。その瞬間、咲はそのタクシーに10年前に家から出て行った母親が乗っているように見えた。これは実は見間違いではなくて本当に咲の母親だったのですが、結局その後2人は会うことはなく、母親の方は咲に気付いて引き返してきたりしてたようですが結局は会えなかったようで、次回以降のエピソードでこの母親が再登場するのかどうかも知りませんけど、母親の話は本筋とあまり関係ないように思うのでまぁ現状どうでもいいかなとは思っています。

とにかく、咲は母親がタクシーに乗っていると思い、思わずそのタクシーを走って追いかけます。だが通行人にぶつかってしまい、転んで膝の治りかけの傷口がまた開いて流血してしまう。それでも母親に呼びかけながらタクシーを追いかけますが、どんどん引き離されていきます。ここで咲の幼少時の記憶がフラッシュバックしていますが、母親は幼い咲が膝を擦りむいて怪我をしていると、すぐに傷口を見つけてくれたようです。咲のことを「特別」として見てくれない父親は咲の膝の傷に気付かなかった。だが母親は膝の傷を見つけてくれていた。それはつまり母親だけは咲のことを「特別」だと思ってくれていたということになります。少なくとも咲はそう思っている。だから、自分だけが「特別な相手」が居ないどうしようもない孤独感に沈んでいた咲は世界でたった1人だけ自分を「特別な相手」として扱ってくれる母親にどうしても会いたくなって、タクシーを追いかけたのでした。自分が母親に気付いたのだから、自分のことを「特別な相手」だと思ってくれている母親ならばすれ違った時に同じように自分に気付いてくれたはず。だからすぐにタクシーを停めて降りてきて自分を出迎えてくれるはず。そう思って追いかけたのだがタクシーは停まってくれない。更に転んで膝から出血したので、子供の頃みたいに母親はすぐに膝の傷に気付いてくれるはず。そう思っていたのだがタクシーはどんどん遠ざかって見えなくなってしまう。

そうして咲はたまたま通りかかったクラスの男子が乗っていた自転車を借りて、それを漕いでタクシーを追いかけますが、もうタクシーに追いつけないだろうことは分かっている。本当に乗っていたのが母親だったのかどうかも分からない。人違いの可能性も高い。いや、むしろ人違いであってほしいぐらいだった。もし乗っていたのが本当に母親だったとするなら、母親はすれ違っても咲に気付いてくれなかったか、あるいは気付いて無視したということになる。それはつまり母親にとって咲はもう「特別な相手」ではないということを意味していた。膝の傷だってもう気付いてくれることはないのだ。

そんなことは冷静に考えれば分かることであり、咲を捨てて家から出ていった時点で、そしてそれから10年間も何の音沙汰も無いことからも、もう母親にとって咲は「特別な相手」などではないのは明白だった。そんなことは分かっているのに、それでも必死にタクシーを追いかけてしまうのは、もう世界中どこを探してもその過去の想い出の母親以外に咲を「特別な相手」として見てくれる人など居ないからであった。正確に言えば祖母は咲を「特別な相手」と見てくれているとは思えたが、今回倒れて入院したこともあり「お祖母ちゃんはもうすぐいなくなる」と咲は不安になっていた。そうなると、もう母親しか頼れる相手は居ないので、もう無理だと分かっていても咲は必死でタクシーを追いかけてしまうのです。

ここで場面は変わって、竜二の家で両親が妹を連れて祖母の家に遊びに行くため出かける場面となりますが、竜二の両親は竜二がクリスマスイブに自宅に彼女を呼ぶのだと思い込んでいるようです。竜二も幼馴染の男子であるまことと付き合っているなんて両親には言えないので、彼女が出来たという体裁にしているのです。そうして両親と妹は出かけていき、家には竜二だけが残り、その家に向かってまことが買って来たケーキを持って歩いていると、そこで自転車を押して歩く咲とバッタリ出会います。咲は結局タクシーを見失い、途方に暮れて住宅街を通って自転車を借りたクラスの男子の家に自転車を返しに向かおうとしていたようです。

それでお互いビックリしますが、咲はいつものようにヘラヘラ笑って誤魔化そうとして、まことがケーキを持っているのを見て、もともと竜二からまこととクリスマスイブは家で会うということは聞いていたので、邪魔をしてはいけないと思い「ほっておいてほしいんです」と言って帰ろうとする。だがまことは咲を引き止め、膝を怪我していることを指摘する。咲は「痛くないから大丈夫」と言って帰ろうとしますが、まことは「痛くないわけないでしょ」と咲の怪我を気に掛ける。まことは咲の膝の怪我にちゃんと気付いてくれて、ちゃんと心配してくれている。これは「まことは咲を特別な相手と見なしてくれる可能性がある」ということの象徴的な描写だといえます。

それで、まことの言葉を聞いて母親のことを思い出した咲は、タクシーを追いかけていた間ずっと高まっていた母親への想いをまことの前では無理矢理に抑え込んで笑顔の仮面の下に隠していたのですが、それが決壊してしまい、涙がボロボロ溢れてきて思いの丈をぶちまけてしまった。母親とすれ違って追いかけたけど気付いてもらえなかったこと。母親だけは自分を「特別」だと思ってくれてると信じていたから今までどんな孤独でも耐えられた。でも10年もほったらかしにした母親が自分を「特別」だと思ってくれているはずがなかった。これでもう自分には誰もいなくなってしまった。そう言って号泣する咲を見て、まことは思わず咲を抱きしめ「僕がいるから」「ずっと僕が一緒にいるから」と慰める。そして、その弾みでまことが手に持っていたケーキは箱ごと路面に投げ出されて横倒しになってしまった。

まことは咲の膝の怪我を見つけたことで「咲を特別な相手とすることが出来る」という示唆はされたといえるが、「特別な相手」を得るためには何か「大切なもの」を捨てなければならない。その「大切なもの」の象徴がこの横倒しに捨てられたケーキなのだといえる。このケーキはまことにとって「竜二との関係」を象徴しているといえる。竜二との関係はまことにとって非常に大切なものであり、実は竜二に対して恋愛感情は無いにもかかわらず竜二との友人関係を維持するために交際までしてしまうぐらいに、まことにとって竜二との関係は大切なものだった。その象徴ともいえるケーキを蔑ろにしてまでまことは咲を抱きしめたのでしたが、その姿をまことが来るのが遅いので探しに来ていた竜二がたまたま目撃してしまったのです。

しかし竜二はまこと達には声をかけることなく、見つからないようにその場を去り、近くに公園に行くと、そこからまことにラインでメッセージを送り「今日は急に祖母の家に家族全員で行くことになった」と嘘の連絡をして、まことには家に来なくていいと伝えた。竜二はもともとまことが自分に対して恋愛感情は無いということは気付いていたので、クリスマスイブの夜にまことと咲が抱き合っているのを見て、2人が付き合いだしたのだと勘違いして気を利かせたのです。

そうして竜二からのメッセージの着信音で我に返ったまことと咲はハッとして互いに身体を離して、まことは咲の膝の怪我を応急処置して、自転車は自分の家で一旦預かって明日咲の家に持っていくと決める。そうしてまことは咲を駅まで送っていき、咲はまことが竜二との予定を台無しにしたのであろうと察して申し訳なく思うが、大切な竜二との約束を反故にしてまで自分に寄り添ってくれるまことがさっき「ずっと一緒にいるから」と言ってくれたことを思い出すと、何だかまことが自分を「特別」に扱ってくれているような気持ちになって少しまことを意識するようになり幸福感を覚えます。一方、咲を駅まで送っていった後、まことは先ほどの自分の大胆な行動や発現を思い出して、何だかすごいことをしてしまったと真っ赤になる。

そして翌日のクリスマスの日もまことと竜二はデートの約束をしていたので、まことは竜二の家に迎えに行く。竜二はもう自分とまことの関係は終わったのだと思っていたので、まことが家に来て意外に思うが、とりあえず一緒に出掛けることにする。すると竜二の親が昨晩竜二が夜中に暗い顔で帰ってきたとか言うので、まことは竜二からの連絡と話が食い違っていると思い、竜二にどういうことなのかと質問する。それに対して竜二は外で体調が悪くなって家に帰れなくなったので嘘のメッセージを送ったとか適当に嘘の説明をして、まことはそれを信じた。

そうしてまことは竜二にクリスマスプレゼントを渡し、もうそんなものは貰えないのだろうと思っていた竜二は驚き、とりあえず自分も用意していたプレゼントをまことに渡し、そのまま2人は普通にデートをした。アイススケートをやる時には男同士だったら浮くだろうと心配する竜二のためにまことは持って来ていたウィッグを被って女装もしてくれた。それでどうやら咲に乗り換えられたというのは勘違いっぽいと竜二も気付いてきて、まことが今朝は咲の家に自転車を返しに行ったとか、昨晩たまたま咲に会ったという話をし始めたので、まことが咲に乗り換えた可能性は無いことが判明し、竜二は一応まだ自分はまことと付き合っているのだと安堵した。

そして、その話の流れで、昨晩は咲がひどく落ち込んでいて、それをまことが心配していることが分かり、竜二はまことのそういう優しいところが好きだと思い、まことの気持ちを汲んで、デート中にスマホでチェックしていた今晩の流星群をまことと2人で観に行こうかと考えていた予定を変更して、咲も誘って3人で行くことにした。そうして3人で山に登り、咲は久しぶりにこの3人で遊んで久しぶりに心の底から楽しくなり、作り笑顔ではない笑顔で久しぶりに大笑いしたのでした。そうして3人で頂上でクリスマスの夜の流星群を見て、笑顔になった咲を見て嬉しそうにするまことの顔を見て、竜二はやはりまことには咲のような女の子の方が相応しいのだろうかと微妙な表情となり、寂しそうに微笑む。

そうして数日経ち、大晦日の日もまことと竜二は一緒に映画を見に行く約束をしており、まことは竜二の家に迎えに行くが、竜二は寝坊していて、まことは寝室で竜二を起こそうとするが、寝ぼけた竜二がまことをベッドに引っ張り込もうとしてしまい、まことは思わず焦り、あのクリスマスイブの晩の咲との抱擁が頭に浮かんだりもして、竜二に「やめて!」と強く拒絶してしまう。それで目を覚ました竜二はショックを受け、その場は取り繕うが、やはりまことは自分が心の中で求めているような行為は気持ち悪く思って受け入れられないのだろうと確信して、まことのためにもこれ以上こんな交際を続けてはいけないと考える。

まことは強い拒絶をしてしまったことで竜二を傷つけてしまったかもしれないと焦り、大切な竜二には傷ついてほしくないと思う。だが竜二は映画を観ている間、最後の想い出にずっとまことの手を握り、やはりまことは竜二とずっと手を握っていることは子供の頃は何とも思わなかったのに今はどうしても違和感を感じてしまうことに困惑してしまう。そうして映画が終わり、更に「もう1分間だけ」と手を繋ぎ続けた竜二はふんぎりをつけるように手を離すと「終わりにしよう」とまことに告げる。そして困惑するまことに対して竜二は「もういいんだ」と言い「悪かったな、嫌な想いさせて」と微笑み、「まこと、ありがとう」と感謝するのでした。竜二にとって「まことを好きでいること」は何よりも大切な信念のようなものだったが、それを捨てることによって竜二はまことを自分にとっての真に「特別な相手」に昇華させることが出来たのかもしれません。とりあえず今回はこれで終わり次回に続きます。これで残りはあと3話となりますが、どうか綺麗に完結してほしいものです。