2023秋アニメ 11月23日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2023年秋アニメのうち、11月22日深夜に録画して11月23日に視聴した作品は以下の4タイトルでした。

 

 

Helck

第20話を観ました。

今回はヘルクやヴァミリオは登場せず、魔族と翼の兵士軍との戦い、アズドラの思惑などが描かれて、その後は人間側の最前線の城に潜入した魔族の諜報員であるアスタの情収集活動の様子が描かれ、アスタとシャルアミの出会いが描かれます。キービジュアルでもアスタとシャルアミは最前列で対となって描かれており、物語において何か重要な役割を果たすのでしょう。今回は物語はあまり進みませんでしたけど、今後の重要な動きの準備が描かれたエピソードであったといえます。今回が終わって残りは4話、クライマックスに向けて、なかなか興味深い情報が散りばめられていた回であったと思います。

まず冒頭は相変わらずトール城を舞台にして、攻めて来る翼の兵士たちから城を守って戦う帝国軍の戦いが描かれます。このトール城の攻防戦が延々と続いている様子で、まだ帝国軍の方が翼の兵士たちよりも強いのでトール城を防戦できているみたいです。戦いながら帝国軍のケンロスやヒュラが翼の兵士のエディルと会話したりしていますが、相変わらずエディルの魔族嫌いは徹底している様子です。しかし、翼の兵士になる前、傭兵団でヘルクと共に戦っていた頃のエディルはここまで極端に魔族嫌いではなかったと思うんですが、これは一体どういうことなんでしょうかね。まぁもともと人間の世界では「魔族は悪」と徹底して教育されていたようなので、その結果エディルはもともと魔族嫌いだったのかもしれません。しかしヘルクが魔族が良い奴らだと言った時もそれほど強く反発もしていませんでしたし、同じく翼の兵士と化しているアリシアに至ってはヘルクと一緒に魔族に会いに行こうとさえ言っていました。しかし翼の兵士となった後のエディルやアリシアはあまりにも頑なに魔族を嫌っている。これはやはり王による支配の影響なのか、それともゼルジオンのように勇者の強大な力に溺れた結果なのかもしれません。

まぁとにかくそういうトール城を舞台にした膠着状態が続いているのですが、アズドラの言うには、それは「陽動作戦」なのだという。ヘルクとヴァミリオが秘かに人間の国の領域に侵入して、人間側の城に潜入して人間の王を討つ作戦をバレにくくするために、こうやってトール城を舞台にして派手な戦いを演じているだけなのだというのです。但し、この時点ではまだアズドラは偵察員のハルピィがその作戦指令書を持ってヘルク達と接触出来たことは把握していないので、人間の王を討ちとる遊撃隊の候補としては「ヘルク&ヴァミリオ」以外にも幾つかプランはあるようですが、それでもやはり「ヘルク&ヴァミリオ」が最適であるとは言っています。

実際は魔族側はトール城を討って出て人間側の城まで進軍して取り囲むぐらいの余力と、相手との戦力差の余裕はまだ十分にある。しかし、そうして人間側の城で総力戦となれば、翼の兵士の全兵力はそこに集中し、その防備は固くてなかなか簡単に人間の王のところに辿り着けなくなるだろう。ましてや翼の兵士は死んでも復活して、戦いの経験値を積んでどんどん強くなっていくのだから、翼の兵士の軍勢と激戦を繰り広げるのは相手を強くするだけであって得策ではない。

だから魔族側としては自分たちのホームグラウンドであるトール城で翼の兵士を迎え撃って、自分たちのペースで戦いをダラダラと続けて、出来るだけ翼の兵士を殺さずに生け捕りする戦い方をしていく方が敵の戦力を徐々に削いでいけて良いのです。また、そうやって防戦一方であるかのように見せることで、翼の兵士側に「魔族側はもう攻めてくる余力は無いのだろう」と油断させることが出来て、トール城に翼の兵士たちの主力を引き付けている間に手薄になった人間側の城で人間の王を討ち取るという遊撃隊の作戦の成功率を上げることが出来る。ただ、遊撃隊の奇襲は1度失敗してしまうと、そういう遣り口は敵側にバレてしまうので2度目以降は成功率が格段に下がってしまう。だからチャンスはたった1度と考えるべきなのであり、そのたった1度のチャンスには最も成功率の高い戦力を送り込むべきなのです。そうなると、それはやはり最少人数でありながら最大戦力である「ヘルク&ヴァミリオ」ということになるのです。

だからアズドラは危険地帯に偵察員を多数派遣してまでして、どうにか早くヴァミリオに指令書を届けたかったのです。別にヴァミリオが好きすぎるという理由だけで急いでいたわけではなかったのです。そして、その甲斐あって前回ハルピィがヴァミリオを発見して指令書を渡すことが出来たわけだが、その朗報も間もなくハルピィによってアズドラにもたらされるだろう。今回はヘルクとヴァミリオの動きは描かれなかったが、おそらく2人は指令書に従って既に人間界に潜入していると思われます。

そのようにアズドラの作戦は順調ではあるのだが、ここでアズドラは気になることがあると言う。以前から妙な気配を感じていると言うのです。そういえば以前にも何かを気にしている様子がありましたが、アズドラの言うには、それはどうも人間らしい。しかもずっと以前から居たのかもしれないと、何やら妙なことを言う。最近この戦いが始まってから潜入したのではなく、もっと前から強力な力を持った人間が魔界に潜入していたのかもしれないと言うのだ。いや、そもそも元々居たのかもしれない。魔王ウルムが翼の兵士たちに攻められてあっさり倒されたというのもアズドラは引っかかっているようです。

確かに、魔王トールの場合は相手がクレスであったから(クレスが本当にトールと戦っていたのかどうかは不明だが)まだ倒されたのは理解出来るが、ウルム城が落とされた時は普通の翼の兵士たちしか攻めてきていなかったのです。つまり最強でもエディルぐらいの強さだったということになる。現時点でもエディル達はケンロスやヒュラに負けているのだから、魔王ウルムがそんなに簡単に彼らに倒されたというのは不自然です。だからアズドラはもっと強い人間、ヘルクやクレスと同等ぐらいの脅威となる人間の戦士が他に潜んでいるのだろうと見ている。つまり人間側はまだ何か作戦を隠している。それでアズドラは今はみだりに動かない方が良いと思っていて、トール城で防戦一方の戦いを続けているのにはそういう理由もあるのだという。実際、以前にエディルやゼルジオンたち翼の兵士たちが秘かに何かの作戦を進めているかのような遣り取りをしている場面もありましたから、アズドラの読みは正しいといえます。

そういうわけでアズドラとしては人間たちが本当は何を狙っているのか、その情報を探りたいところなのだが、その諜報活動にあたっているのが人間の城に潜入している帝国の諜報員のアスタでした。ここからアスタのスパイ活動がじっくり描かれていきますが、翼の兵士たちの警備はあまり緻密ではなくて潜伏は楽なのだが、ほとんどの翼の兵士が喋れないので会話を盗み聞いての情報収集が出来なくて、そういう点は大変らしい。ここでアスタのセリフから、人間の世界は城だけが作りがやたら立派で他の建築物とは比較にならないらしいということが分かる。また、人間はこの城を奪い合って何千年も戦争を繰り返していたともいう。どうもこの王が住む城というのは人間の世界ではよほど特別な存在のようです。

まぁそういうふうにしてアスタが城で諜報活動をしていると、エディル達が通りかかってアスタは細い通路に隠れます。そして珍しく喋れる翼の兵士だということで会話に聞き耳を立てる。ここでのエディル達の会話内容で気になったことは、まず「南の魔王城も攻める」ということです。それは魔族側が「新城」と呼んでいる城のようですが詳細は不明です。そしてもう1つ、エディル達は実際は現時点で魔族たちに正攻法で勝てなくてもあまり問題視はしていないようです。何故なら「最終フェーズ」というものがあって、そこで魔族を一気にどうにかする計画だからみたいです。ただ具体的にその「最終フェーズ」で何をして魔族たちをどうするつもりなのかは詳細は不明です。

そうした会話の途中でアリシアがアスタの気配に勘付いて、それで会話は途中で終わってしまい、アスタは攻撃を受けて通路内で吹っ飛ばされて、城の内部の広い空間に落ちてしまう。そこはヘルクの過去回想シーンでも出てきた、クレスが意識の無い状態で奇妙な化け物の群れのようなものの中に繋がれている広間でした。あの時と変わらない姿でクレスはずっと繋がれたままで生きていたようですね。アスタはそれが英雄クレスの変わり果てた姿とは分からず、一体誰なのだろうかと不審に思いますが、翼の兵士たちが集まってきたので慌てて化け物たちの陰に隠れて、地下に繋がる穴があったのでそこから降りて逃れます。

そしてアスタは地下道から一旦城の外に出ようとしますが、途中で隠し扉を発見してそこに入ると、古びた書斎があり、どうやら隠し部屋のようだった。そこには古い文献が多数置いてあったが、本を開いて読もうとしたが古すぎて文字が判読出来なかった。その後、逆側のドアを開けて書斎を出ると、また隠し扉になっていて、そこを通ると廊下に出たが、勝手に隠し扉が閉じたので書斎に戻れなくなり、その廊下の区画を進むしかなくなってしまった。そこは城内の秘密の区画のようで、その区画内には頻繁に翼の兵士たちが見回っていて、アスタは必死に隠れながら逃げ回り、ラファエドらしき人物ともニアミスするがどうにかやり過ごす。いや、ラファエドはアスタの存在に気付いていたようにも見えるが、見逃してくれたようにも見えました。

その後アスタは壁伝いに窓から侵入した部屋で謎の女性と出会い、慌てて「異国の商人」と言って誤魔化すと、その女性はその嘘を信じてくれて、興味深そうに話しかけてくる。そしてアスタが早々に立ち去ろうとすると、自分はずっとここに閉じ込められていて父親以外と長らく会話をしていないので話相手になってほしいと言ってくる。そして「私の大切な人、みんなどっかに行っちゃって寂しいんだ」と言う。

そうしていると見張りの翼の兵士がおやつを持ってやってきたのでアスタは女性の部屋のベッドの下に隠れさせてもらえてやり過ごすことが出来た。そうして兵士たちが去っていくと、女性は「シャルアミ」と自己紹介して、2人で部屋でお菓子を食べながらお喋りすることになり、アスタはシャルアミがあまりにお喋りなので情報収集しようと考えるが、同時にシャルアミがあまりに無警戒で楽しそうに喋るので騙すのに少し罪悪感を感じるのでした。

そういうところで今回は終わり次回に続くのですが、このシャルアミという女性は、あのクレスの恋人であったシャルアミ本人と見て間違いないでしょう。シャルアミは人間なので、当然あの王国に雪が降り注いだ日に覚醒して翼の兵士になったはずです。しかしこうして人間の姿のままでいて、以前と何ら変わっていないのは奇妙だといえます。ただ、シャルアミの父親であるラファエドもまた人間の姿のままであり、どうやら普通の人間ではないようなので、その娘のシャルアミもまた普通の人間ではないのであろうことは半ば想像はついていました。

ただ、陰謀の中心となって動いていたラファエドとは違って、シャルアミはどうやらこの一連の覚醒の件には関わっていないようです。おそらくラファエドによってずっと軟禁されていたみたいで、外部で何が起きているのか把握していないようです。ヘルクやクレスの消息すら把握していないようですから、かなり前から軟禁状態だったのだと思われます。確かヘルクの過去回想シーンでは、クレスが重傷を負ってトール城から引き上げてきて意識不明でベッドに寝ているとことにヘルクが駆けつけた場面ではシャルアミがベッドの横で看病していました。その後のシャルアミの消息が過去編では描かれていないので、軟禁されたのはあの後ということになる。いつ軟禁されたのか詳細は不明だが、おそらくヘルク達がクレス奪還のために城に乗り込んだ時点ではもう軟禁されていたのではないかと思います。

だからアスタがシャルアミと喋っても覚醒の事件についての情報は得られないであろうし、現在の人間側の作戦についても情報は得られないでしょう。ただ、ヘルクやクレスについては何らかの情報は得られるかもしれない。それに、シャルアミは確かにここ最近の出来事については事情は把握していないかもしれないが、父であるラファエドについては他の人間よりは情報を持っているであろうし、ラファエドの交遊関係ということでミカロスや王についても何らかの情報を持っている可能性もある。それに加えて、そもそもシャルアミ自身にも何らかの秘密がある可能性もある。

ずっと気になっているのは、子供の頃のクレスが雪の日に死にかけていた時にクレスを見つけたのはシャルアミなのです。シャルアミがあの時にクレスを見つけてヘルクに声をかけていなければ、ミカロスとクレスの出会いは無く、人間を覚醒させる計画も実現しなかったのです。ミカロスはその出会いを幸運であったかのように言っていたが、そんな都合の良い話があるものでしょうか。シャルアミが覚醒計画を望んでいたとまでは言いませんが、シャルアミにはクレスの中にある勇者の資質に感応する何らかの資質があったのではないかとも思えるのです。そうした「シャルアミ」という存在もまた、ミカロス達の人間覚醒計画の一部として組み込まれたものであったのかもしれない。だとすれば、クレス同様にシャルアミもまた、王による翼の兵士たちの支配を打破する何らかの役目を果たし得る存在なのかもしれない。まぁそのあたりはかなり妄想が入っていますけど、とにかくアスタがこうしてシャルアミと接触したことが物語の大きな転換点になるのではないかと思います。

 

 

ウマ娘プリティダービー Season3

第8話を観ました。

今回はキタサンブラックが前回の有馬記念でサトノダイヤモンドに負けてから落ち込んでいる場面から始まり、初詣に行った際にダイヤが凱旋門賞での勝利を目指していることを知り、ダイヤがドゥラメンテに似ていることに気付く。それでドゥラメンテに会って話をしたところ、キタサンは自分はダイヤやドゥラメンテと違って具体的な目標が無いということに気付く。

その後、キタサンはトウカイテイオーと話をして、テイオーが目標を見失っても、夢を叶えてもそれでも走り続けたのは、その都度失われていった具体的な目標の奥にずっと存在していた本質的な自分の目標に気付いたからなのだという話を聞く。テイオーの場合はそれは「シンボリルドルフ会長みたいな強くてカッコいいウマ娘になること」でした。ルドルフ会長みたいに無敗の三冠ウマ娘にはなれなかったけど、そうした称号や成績がテイオーの本当に目指していたものではなく、もっと本質的な自分のなりたい姿に気付くことによって、テイオーは今でも具体的な目標が無くても走り続けることが出来ているのでしょう。そしてテイオーはキタサンもそういう「消えない何か」を持っているはずだと言う。

それでキタサンは自分がもともと歌手の父親の姿を見て憧れて「笑顔でいっぱいのお祭りみたいな場所を作りたい」と思っていたことを思い出す。テイオーに憧れたのも、テイオーがレースで勝つことでそういう場所を作り出していたからでした。だからキタサンはテイオーみたいになろうと思い、テイオーのように皐月賞やダービーを勝てなかったので「自分はテイオーさんのようにはなれない」と諦めて、自分らしさを追求して菊花賞を勝ち、その後もGⅠで勝利を重ねてきた。しかしダイヤに負けて、自分に目標が無いと思って行き詰ってしまった。だが、テイオーを目指すのを諦めることによって、自分がテイオーを通して本当に目指していた目標が「笑顔でいっぱいのお祭りみたいな場所を作りたい」であったことを忘れてしまっていたことに気付いた。そうして本当の自分の目標がまだ自分の中で消えていないことを知ったキタサンは、再びそれを目指して走ろうと決意したのでした。

まぁ今回はそういう感じの話で、字面だけで読むとなんかイイ話っぽいんですけど、どうもフワッとした目標なんですよね。キタサンの馬主の北島三郎に絡めようとしすぎて、面白いストーリーを作ることが二の次になってしまってるように思える。そもそもテイオーの「強くてカッコいいウマ娘になる」とかいうのも、もし2期がそんな話だったらさぞつまらなかっただろうと思います。2期のテイオーは明確な目標をもって走っていたから話が面白かったのです。そういう全13話を経たうえで、もし14話があって、それでも最後には「強くてカッコいいウマ娘になる」が本当の目標だったみたいな締め方をしたならそれなりに感動はしたかもしれないけど、その前に13話分の熱い話があってこそですからね。なんか3期は8話の段階で唐突にフワッとしたこと言ってイイ話にしようとしても、そりゃ盛り上がらないですよ。なんだか1話からずっと「それっぽいこと」を言ってるだけで掴みどころが無い印象です。何でもセリフで説明するんじゃなくて、ちゃんとストーリーで示してほしい。

そういうわけでストーリー的には2期には全く及ばないんですが、もう今さら2期ほどの名作と比較しても仕方ないレベルなので、この作品の場合、今期においてはそういう「キラキラ」とか「クラクラ」とかフワッとしたことを言ってるという意味では共通している「星屑テレパス」あたりと比較した方が良さそうです。もちろん現時点で1ランク分ぐらい「星屑テレパス」の方が上位なんですが、どうして同じような萌えアニメでありながらそんなに差がついているのかというと、「星屑テレパス」はキャラの関係性がしっかり描かれていて、この作品の場合はそれがあまりちゃんと出来ていないからでしょうね。2期では史実縛りがありながらもちゃんとキャラ同士の会話が嚙み合っていたんですけど、3期では史実縛りのせいなのかキャラ同士の会話が噛み合っておらず、会話がイマイチ成立していない。お互い好きなことを言ってるだけみたいになってるんですよね。それでキャラ同士の関係が浅く見えて、萌えアニメとしても魅力が足りないのです。

まぁちょっと辛辣なことを言ってしまいましたが、「ウマ娘ファン」的な視点で「あくまで」この作品を楽しもうというスタンスで観るぶんにはまだまだ十分楽しめる余地はあります。だから楽しんでますよ。同様に「葬送のフリーレン」だって「薬屋のひとりごと」だって「SPY×FAMILY」だって楽しもうと努めることで楽しめてますし、もし「呪術廻戦」を視聴していれば同様に楽しめていたでしょう。でも、そういうのと「批評する」というのは別物ですから、ファン目線でなければ楽しみどころを見出しにくいような作品には、こうしてクール終盤も近づいてくると、そうそう好意的なことばっかり言っていられなくなってきます。このブログは別に特定の作品のファンブログじゃないんで。私が手放しで褒めるのは「問答無用に面白い作品」と、そういう作品をちゃんと目指して作ってる作品だけです。終盤になってくると特にファン向け作品にはどうしても厳しめになります。

 

 

16bitセンセーション ANOTHER LAYER

第8話を観ました。

今回は凄かったですね。この作品は単なるゲーム制作モノでもなく、単なるタイムスリップ作品でもないんだろうというのは想像していたんですけど、ここまで想像を超えてくるとは予想外でした。いや、ここまでワケの分からないものをぶち込んでくるとは思わなかった。ここまでこの作品が化けるとも思っていませんでした。今回の内容はホントに意味が分からなくて、意味が分からないように作ってあります。でも、これがおそらくこの後の残り5話の内容に深く関わってきて、最終話の時点ではどういうことであったのか意味は分かるようになっているのでしょう。まぁ現時点でも全く意味が分からないわけではなく、それなりに説明はされているんですけど、なんで急にこんな話になっているのかがまず謎です。オリジナルアニメで全13話で完結するわけですから、残り5話で謎は解けるはずで、とにかく最後まで見守っていくしかないですね。

今回は冒頭からコノハや守ではなくて、初登場の奇妙なキャラが2人出てきます。ただ厳密には初登場というわけではなく、この男と少女の2人、そしてこの2人と一緒にいる犬はOP曲の映像の中でごく短いカットですが登場しています。コノハがドーナツの上を走っているカットの後にモニターをたくさん置いた畳の部屋で水槽の中にフロッピーディスクを沈める2人と1匹が登場するのですが、おそらくこの3者がタイムリープ現象に関わりがあるのだろうと予想はしていました。

また、犬は第3話でコノハが2回目のタイムリープをする際に手伝いのようなことをしており、少女は第3話の冒頭、コノハの1回目のタイムリープが終わって2023年に戻ってきたタイミングで謎の場所で登場しており、第5話でコノハが2023年のドーナツ屋で3回目のタイムリープをした際にはその場に居合わせていました。だから厳密には初登場というわけではないが、ほんの一瞬登場するという程度であったので今回初めてちゃんと登場したといえます。男に関しては本編内では今回が完全に初登場でありました。また、OP映像内のモニターがたくさんある畳の部屋は今回そのまんま登場して物語の主要舞台となりました。また第3話冒頭で少女が居た謎の場所も今回のエピソードの舞台となった場所と同一とみられる。

この畳の部屋だが、冒頭の場面で登場したのは男と少女の2人だが、この部屋に置いてあるもので印象的に描かれていたものは、まずは多数の、30個ぐらいのテレビモニターです。このモニターは冒頭の場面では画面が砂の嵐のようなノイズ状態であったり真っ黒になっていたりして、1つとしてマトモに映像が映し出されてはいませんでしたが、特徴的なのは走査線のパターンなどがそれぞれ微妙に違っていて、1つとして同じものは無いという点です。後で全部のモニターが同じ番組を流しているシーンもあるのですが、そこで男は自分には全部異なって見えると言っていることから、やはりこれだけ多くのモニターがあっても1つとして同じものは無いようです。それが一体何を意味しているのかはよく分かりませんが、あるいは人間の多様性を示しているのかもしれません。

そして他に印象的に描かれているものは「振り子時計」と「水飲み鳥」です。この2つに共通しているのは、重力を使った往復運動に細工を加えて永久運動のように見せかけた器具ということでしょう。実際はこの2つは永久機関ではない。しかし一見すると永久機関のように見える。つまり「永久機関のように見せかけた紛い物」ということを意味しているのではないかとも考えられる。人間自体がそうであるという意味なのか、あるいは人間に模した何物かがそうであるのか、詳細は不明です。

そしてカセットテープも登場しますが、これは単に古いタイプの8ビットパソコンの記録媒体がカセットテープであったので、単にそういう意味合いの描写なのでしょう。パソコンのモニター上にはC言語が羅列してありますが、私には意味は分かりません。それよりも気になるのは部屋の中に置いてある縦長の水槽の中身です。ここでは水中で何らかの粒子が螺旋型を形成していますが、粒子はピンクと黄色の2色あり、それぞれの色同士で集まって二重螺旋を形成している。これはなんだかDNAの二重螺旋構造を模しているように見えます。

今回、その謎の場所に守が現れる。守は前回のラストシーンで、アルコールソフトで深夜にコノハのリュックが発火して中身だけが燃えるという奇妙な現象の際に1つだけ焼けずに残っていた「午後の天使たち」というゲームのパッケージを開けてみたところ姿を消してしまったわけですが、やはりコノハの場合と同じようにタイムリープしたようです。しかしコノハの場合とは違ってずいぶんド派手な出現の仕方をしており、まるで落雷のようにこの部屋の上部にある縦長の巨大な構造物に落下してきたようです。この縦長の構造物は一見すると普通のタワー状の建造物のように見えるが、守が落下してきた時は青く発光したりしており、後のシーンでも発光しており、おそらく第3話冒頭で少女がスクール水着でくつろいでいた場所の上部にあった謎の光る水槽のような構造物と同一なのだと思います。

落ちてきた守は気を失っており、部屋の畳の上で寝ている守を見下ろす少女は男の方を「先生」と呼んでおり、お客さんは玄関という所から来るはずではないかなどと、まるで人間の生活様式に疎いかのようなことを言ったり、「先生」と呼ばれた男の方は「多次元的玄関と呼ぶべきですね」とか言っており、守の身体が半透明になったりしているのを手首に輪っか状の何らかの処置をして安定化させたりしていて、この2人はどうも普通の人間というわけではなさそうであり、また守の状態も普通の状態ではないことが分かる。少なくともコノハのタイムリープ時にはこのような状態にはなっていなかった。やはり、今回の守のタイムリープはコノハのタイムリープとはタイプが違うようです。そもそも前提としてリュックが燃えたりしていて、今回が特殊なケースだということは最初から想像はついていました。

まぁそもそもこれがタイムリープなのかどうかもこの時点では不明確だったのですが、ここで目を覚ました守が今は何年なのかと質問し、男が「1985年です」と答えたことで、やはりタイムリープだったことが分かります。守も「午後の天使たち」のパッケージを開けた時に、もともとコノハにタイムリープの仕方の話を聞いていたので、自分がタイムリープするかもしれないということは想定内だったようです。それですぐに外に出たら、そこは秋葉原の街でしたが、シティカブリオレとかウォークマンなんかが目に付く、2023年とも1999年とも違う感じの秋葉原の街であり、電気屋に入った守はPC-9801Uが新発売で置いてあるのを見て1985年なのだと確信します。PC-9801Uは初めて3.5インチフロッピーディスクを装備したPC-98シリーズで、1985年5月に新発売されました。

そして、守がパッケージを開けてタイムリープを発動させた「午後の天使たち」というゲームも1985年発売のゲームでした。ちなみに「午後の天使たち」というゲームは実在しておらず、実際は「天使たちの午後」というゲームが1985年5月に発売されています。この「天使たちの午後」を劇中では「午後の天使たち」という名前に変えて使用しているようです。このゲームだけ実在名称を使用していない理由は不明ですが、とにかく、ほぼ「天使たちの午後」の設定に準拠すると考えればいいでしょう。だから、この劇中の「午後の天使たち」も1985年5月発売なのであり、このゲームのパッケージを開くことによって守はPC-9801Uの発売された1985年5月にタイムリープしたのでしょう。

また、コノハのタイムリープ時と同じように「過去にタイムリープした際には場所は移動しない」というのは同じであるようです。何故なら守が出現したこの畳の部屋はアルコールソフトと同じ場所だったからです。守は1999年のアルコールソフトのビル内で「午後の天使たち」のパッケージを開けたのですが、その場所はもともと1996年編でも1992年編でもアルコールソフトが存在しており、その頃は古い建物で内部は畳敷きの部屋でした。その古いアルコールソフトの建物の中にこの畳の部屋はあったのです。つまり1985年時点ではここにはアルコールソフトは存在していなかった。アルコールソフトは守の父の勝がパソコンショップを開くためにこの場所に引っ越してきてから出来た会社なのであり、それは1985年よりも後で1992年よりも前の期間の出来事なのでしょう。1985年時点にはここには別の会社があり、それがこの男と少女がやっている、出来たばかりの小さなゲームソフト会社「エコーソフト」だったのです。

但し、本当に1985年にこの場所に「エコーソフト」という会社が存在していたのかというと、そうは素直に受け取れない。確かにここは1985年の秋葉原ではあるんですが、しかしこのエコーソフトの建物は確かに1992年時点のアルコールソフトの建物と同じではあるが、1992年時点では上部にこんな巨大な縦長のタワー状の建造物などは存在していなかった。また男と少女の言動を見ていると、1985年の日本人としての常識にも欠けており、守の身体の存在の不安定性を謎の腕輪で安定させたり、謎の技術も有しているようであるし、彼らが普通の1985年の人間であるようには見えない。この「エコーソフト」という場所だけが1985年の秋葉原の中に出現した特異点のような印象もあります。そもそもこのエコーソフトは外見に比べて内部が不自然に広く、変な展示物や絵画の陳列してある謎空間みたいな場所もあり、どう見ても普通の場所ではない。

だから、守が1985年にタイムリープした際にこのエコーソフトに現れたのは、単に場所が同じだからという理由なのではなく、何らかの必然性があってこの場所に現れたのかもしれない。何せ今回のタイムリープは通常のタイムリープとは違うケースみたいだからです。守が奇妙な腕輪のようなものが無いとこの世界で存在を維持出来ない様子であるのも、この場所が普通の1985年の秋葉原であるならばあり得ないことであり、やはりコノハのタイムリープとは異なった現象だということが分かる。

ただ、守はこの「エコーソフト」の不自然さをあまり気にしてはいないようです。それもまた不思議なのですが、それも含めて特殊な場所なのだろうと思います。とりあえず守はこうしてタイムリープしてきてしまったが、1999年に戻る方法が分からない。コノハがどうやって2023年に戻っていたのか、守もその方法は把握していないのです。いや厳密にはコノハ自身も未来に戻る方法を正確に把握しているわけではないのですから、守が分かるわけがない。それで守はエコーソフトの「先生」と呼ばれる男に「私たちと一緒にゲームを作りませんか?」と誘われて、とりあえずエコーソフトでバイトをすることにした。

男の言うには、最近「美少女ゲーム」というものを作り始めたのだが「まるで正解が分からない」のだという。だから守に手伝いをしてもらいたいのだと言うのです。これに対して守は「PC-98を使わせてくれるなら手伝ってやってもいい」という条件でこれを引き受けたのです。しかし、どうにも奇妙です。まず1985年時点で「美少女ゲーム」なんて呼称は存在していなかったはずであるし、そもそも守が自己紹介していない段階でこの男は守の名前を知っていた。やはりこの2人は1985年の日本人ではなく、彼らから見れば未来人である守のことも知っているみたいなのです。

更に奇妙なのは彼らの名前です。「先生」と呼ばれていた男は自己紹介でエコーソフトの代表だと名乗り、自分の名前は「エコー」だと言う。そして少女の方はエコーソフトの社員だと名乗り、自分の名前は「エコー」だと言う。社員はこの2人だけであり、どういうわけか同じ名前で、しかも飼い犬の名前まで「エコー」なのだという。守はなんてふざけているのだと呆れながらも、男のことは「1号」、少女のことは「2号」、犬のことは「3号」と呼ぶことにしました。

そうして守は住み込みバイトとして雑用もこなしながら、主にプログラマーとしてエコーソフトの仕事の手伝いをして暮らすようになり、秋葉原でPC-98関連のソフトや周辺機器などを買ったりして楽しんだりもするようになった。この場面で1980年代の8ビットパソコン時代のゲーム制作現場のノウハウなんかも描写されていて、見たこともないような珍しいレトロ技術がとても興味深くて面白かった。まぁこのへんはマニア好みの場面で、私はあんまり詳しくないのでただただ物珍しさで感心するばかりで、第2話のコノハが16ビットパソコン時代の技術に面食らうシーンのような面白さがありました。

ただ、ここで注目すべきは1号の仕事ぶりです。1号はゲーム制作の全行程を1人でこなしてしまうぐらい有能であったが、とにかく仕事が速かった。ただ、決まったやり方は全部一通りソツなくこなすが、そこからの創意工夫というものは出来ないようだった。それで守が仕事のやり方のアレンジを提案すると感心して、色々と教えてほしいと頼んでくる。

また、1号は美少女ゲームについて「まるで正解が分からない」などと言っていながら、ゲーム作りにおいて試行錯誤や手直しというものは一切せずに爆速で作業をして1日に1本ぐらいのペースでゲームを仕上げてしまう。その結果、大して面白いゲームは作れていないようです。というより、そんなにハイペースでゲームを作っても売り出そうとしているわけでもなく、単に出来上がったゲームをストックしていっているだけなのです。

例の部屋の中に置いてある縦長の水槽に出来上がったゲームのデータの入ったカセットテープを沈めて「まるでダメだ」とか言っている1号の謎の行動の意味を守が尋ねると、この水槽は「ゲームのエネルギーを測る装置」だと1号は答える。試しにヒット作である「午後の天使たち」のフロッピーを水槽に沈めると水槽の水が青く光った。これはつまり「午後の天使たち」というゲームにはエネルギーがあるということみたいです。ちなみに1号の作ったゲームのカセットテープを沈めても水槽の水は無反応でした。つまり1号の作るゲームにはエネルギーが全く無いのだそうだ。要するに面白くないということなのだろうと守は思い、確かにカセットテープのパッケージからして「エコーソフトの美少女ゲーム Vol.39」という手書きの文字を書いてあるだけで、チャントシタタイトルさえ無く、デザインも何も工夫も無く、こんなものを誰が見ても「面白そう」などと思うはずもないと守は思った。そういう意味ではこの作品からは制作者の何の熱意もエネルギーも感じない。

それを守が1号に指摘すると、1号は「それは想像ですか?」と問い返す。確かに守は「こんなものを見ても誰も面白そうだなどとは思わないだろう」とユーザーの気持ちを想像した。しかし、それぐらいの想像をするのは当たり前のことです。こんな程度の想像をしていない1号の方が変だと思って、守は「逆に、なぜ想像できないんだ?」と問い返す。すると1号は「私には想像力がありません」と答える。そして「想像力が無い場所から来たのです。だから分かりません」と謎めいたことを言う。

その謎はひとまず置いておいて、1号は本当に「想像力」というものが無いらしく、しかもそれを真面目に悩んでいるようでした。パッケージだけが問題なのではなく、ゲームに内容についても、どうやら1号は「どうしたらエネルギーの大きなゲームを作ることが出来るか」という手順は完全に理解しているのだという。だが、その計算通りにゲームを作ってもエネルギーを持つゲームにならないのだという。つまり他のゲームの模倣をしているだけではダメなのであり、1号自身に「想像力」が無い以上はエネルギーを持つゲームは作れないみたいなのです。

それなのにどうして1号はハイペースでゲームを作り続けているのかというと、どうやら1号の目的は「ゲームを作ること」そのものではないみたいです。1号の目的はゲームを作ることを通して「想像力」というものを知ることなのです。1号が販売するアテも無いのにひたすら大量にゲームを作り続けているのは「想像力」というものを知るためだったんですね。想像力が無いから面白いゲームを作れないわけですから、面白いゲームを作ることによって想像力というものを理解出来るのではないかと1号は考えているのです。しかし何の工夫も試行錯誤もせずに機械的にゲームを作っている限り、きっと面白くてエネルギーのあるゲームなんて作れないだろう。だが、そもそも想像力が無いから工夫も試行錯誤も出来ず、ただあらかじめ決まった手順の作業しか出来ないのだろう。

また、少女の2号の方はゲーム制作の手伝いは全くせず、アシスタントの仕事として、いつも変な服を着て守に見せて「可愛さ」の点数をつけさせる。これも要するに美少女ゲーム制作において必要な「可愛さ」の資料収集のためみたいです。つまり2号も1号と同じように「想像力」というものが無いので、自分の着ている服を見て他人が「可愛い」と思うかどうかが分からないのです。それで守に可愛さを点数で判定してもらって、どの服を使えばいいのか決めているようです。ただ守もよく分からないのでいつも適当に点数をつけている。実際のところ2号の着てくる服は変な服ばかりで、あまり良いとは思えないものばかりなのだが、いちいち悪く言うのも面倒なので適当に高い点数をつけたり低い点数をつけたりして適当にその場を流しているだけなのです。だからあんまり有効な情報を与えれてはいないと思う。

そんな1号や2号に接していて、守は「想像力が無い」」ということは一体どういうことなんだろうかと思索するが、考えれば考えるほど守も「想像力」というものが何だかよく分からなくなってくる。エコーソフトにはいつもドーナツが置いてあるので、守は3種類のドーナツを手にとって1号に向かって「2種類のドーナツの味が分かっていれば残り1種類のドーナツの味もだいたい分かるだろう?」と質問して「それは想像力ではないのか?」と問う。しかし1号はそれは「想像力」ではないと言う。それは「経験に基づく推論」なのだと言う。そうではなく、1号の言う「想像力」というのは「誰かの考えを自分のものとして感じられる能力」のことなのだそうですが、それは守達にはある能力だが、1号達には無い能力なのだそうです。1号たちは「想像力とはどういうものか」を分析することは出来るが、それはあくまで経験や情報に基づいた推論なのであり、1号自身が何も経験も情報も無い状態で他人の考えを想像することは出来ないのです。

ところで、ここでもドーナツが出てきます。この場面ではあくまで守はドーナツの味を想像するという文脈でドーナツという小道具を使っているが、味の想像であるならば、それはドーナツである必要は無い。ここでドーナツが使われているのは、いつもエコーソフトにはドーナツが常備されているからです。ドーナツといえばコノハがタイムリープするための場所にしているのもドーナツ屋であるし、OP曲の映像でもコノハがドーナツの上を走っているイメージカットもあり、どうもこの作品ではドーナツは何らかの象徴的な意味合いがあるようにも見える。

それでドーナツというものについて考えると「ドーナツの哲学」というものがよく知られています。これは「存在」と「非存在」について考える哲学的命題であり、ドーナツという存在にはあの真ん中に空いた穴が不可欠だが、穴には何も存在しない。しかし何も存在しない穴によってドーナツの存在が定義されるというのは矛盾であるので、何も存在しない穴には実は何かが存在しているのではないかと、なんかそういうことを考える哲学的命題です。哲学者はこの命題から色んな哲学的考察をするのですけど、私は別に哲学者ではないのでそういうことがしたいわけではない。ただ、この命題から気付くのは、何も無いところに何かあるのではないかと「想像」することによってドーナツは存在し得るということです。ならば、同じように「何も無いと思われるところに何かがあるのではないか」と考える「想像力」によって人間というものは存在し得るのではないか。つまり「無から有を生み出す」というのが「想像力」の本質であり人間の本質なのだということになる。

1号や2号はそれが出来ないみたいなのですが、では彼らは一体どういう存在なのかというと、それは彼らの名前が等しく「エコー」であるということから想像は出来る。個体が違うのに皆が同じ名前というのは、それは何らかの製品名のように感じられる。そうなると思い浮かぶのはアマゾンが発売している生成AIのスマート端末の「エコー」です。つまり人工知能を搭載したロボットということになります。

もちろん実際にアマゾンから発売されている「エコー」は設置型のスピーカーのような端末であり、この作品の1号や2号とは全く別物ですが、この商品が「エコー」という名前である由来がそもそも「エコー」という単語の持つ「反響、やまびこ、おうむ返し、真似」などの意味から派生してコンピュータ用語で「入力した情報の反映」という意味を持たせていることに由来します。つまり、あらかじめ入力したプログラムに沿って使用者と会話するという意味で「エコー」と名付けられているのです。

ならば、このアマゾン製品の「エコー」と同じ意味がこの作品の1号や2号の「エコー」という名前に込められているとしたら、1号や2号の正体はプログラムされた通りに動く人工知能ということになり、だとすると、彼らがあらかじめ決められた手順でしか動けず創意工夫が出来なかったり、想像力が無くて試行錯誤や手直しもしなかったり、経験に基づく推論は出来るが他人の気持ちを感じることは出来ないというのも肯けるのです。彼らはあらかじめ入力された情報に基づいての思考は出来るけれども、何も事前データの無い未知のものについて想像することは出来ないのです。そして、人工知能には出来ないそれが出来るのが人間の最大の特徴なのであり、彼ら人工知能は美少女ゲーム制作を通じてその能力を獲得して人間に近づこうとしているのではないでしょうか。

どうして人間に近づこうとしているのか、どうしてその手段が美少女ゲームなのか、そもそも彼らは何者なのか、誰が作ったのかなど、謎は数多くありますが、彼らを作ったのはそもそも地球人ではない可能性だってある。1号の着ている上着の肩章にUFOと宇宙人みたいな意匠があったり、1号たちとはまた別の存在も今回示唆されていることから、何者かが地球人に似せた人工知能を作った可能性も排除は出来ない。少なくとも1985年の地球の技術ではこんな人工知能は作れないでしょう。ただ、どうやら1号たちは時空の壁を超えた存在みたいなので、未来の地球由来である可能性もある。ただ今回の1985年での最後の場面では、人間が高次元存在になっているとかも言っているし、それを第三者的立場で言及しているようにも聞こえるし、自分たちのこととして言及しているようにも聞こえるし、そのあたりはまだまだよく分からない。

それは謎のまま持ち越すとして、今回は守がそうして1985年のエコーソフトでバイト生活を送っていたところ、ある日突然に2号が失踪して1週間戻ってこなくなります。どうも誰かからの電話を受けてそのまま何処かに消えてしまったようです。それで守は心配しますが、1号はその「心配」という感情が理解出来ないようです。守が2号を心配したというのは、つまり2号が何処かで酷い目に遭って悲しい想いをしているのではないかと、2号の気持ちを自分の気持ちであるかのように「想像」したからです。だから「想像力」が無い1号にはその「心配」という感情が理解出来なかったのです。

それで守は苛立って外に出ていって2号を探し回ります。その守の行動を見て1号に少し変化が生じます。もともと1号は制作したゲームのパッケージに工夫するようになっていて、守との作業を通じて少し想像力が芽生えてきていたのかもしれません。それで1号は守が2号を「心配」したのは、守が2号を大切に想うようになってきたからであるということに気付いたのかもしれません。それでなのか、1号は守の気持ちを想像しようとして、守はどんなゲームが好きなのかと考えたりします。こうした結果、1号はどうやら「想像力」とはどういうものなのか理解したようです。

一方、守は外でブラブラ散歩している2号と3号を発見して、心配していたと伝えるが、2号は「心配」というものが理解出来ない様子でした。それでも自分を一生懸命探してくれた守のことを思って2号も何か気付くところがあったのか、嬉しそうに守と一緒にエコーソフトに戻ってくると、すぐに以前に守が「90点」をつけてくれた服を着ます。それは守が最高得点をつけた服であり、2号はそれを着れば守が喜んでくれると思ったようです。ところがそれを着て見せると守は「0点」の札を出す。以前は2号のことなどどうでもよかったので適当に変な服でも「90点」とか言っていたのだが、2号のことを大事に思うようになった守は2号が変な服を着てることに好印象を持てなかったので「0点」としたのでしょう。

この事態を受けて2号に変化が生じて、何か不思議な声色で意味不明の言葉を発する。そして2号は1号のもとに行き「想像力が何なのか分かりました」と伝える。同じ服で異なった2つの点数が示されたことで、守の気持ちの変化に気付いて、その結果、他人の気持ちを想像出来ることが出来るようになったということなのかもしれませんが、「説明してください」という1号の言葉に2号は「説明できません」と言っているので詳細は不明です。また1号も例の水槽に自分の制作したゲームを沈めて水が発光しており、「想像力」について分かったかもしれないと言っていました。それで1号と2号は手を繋いで「融合」というものをします。同時にエコーソフトの建物の上にあるタワー状の構造物が青く光を放ちます。

その後、守は3号が咥えてきたメモに「屋上に来てください」と書いてあったのでタワーの屋上に登りますが、するとそこには潜水服のようなスーツを着た1号が立っていて装置のメンテナンスをしていたとか言う。不思議なことにタワーは普段よりもずいぶん高くなっていて、守と1号は一緒に秋葉原の街を見下ろしますが、1号は「この街に集まってくるたくさんのエネルギーが見える」「今にここはどんなことでも起こり得る場所になるはずです」と言う。そして、それは観察に基づく推論ではなく1号の「想像力」なのだとも言う。

そして1号は人間の想像力について述べる。1号は人間の想像力とは「現実には無いものを想起し形作る力」だと言い、人間は誰でもそういうものを生み出す力や感じとれる力を持っており、それこそが人間の本質だとも言う。ゲームも小説も漫画も映画も古くから続く物語、更には宗教、国家、共同体、夢や希望や絶望、それら全てが「想像力」を共有することによって作られた概念なのだとも1号は言うので、さすがに大袈裟だと守は異を唱える。しかし1号は守だってつい最近「想像力」が生み出す大きなエネルギーを感じたはずだと指摘し、守はそれが1999年のコノハの提唱するゲーム制作にアルコールソフトが一丸となった経験のことだと感じます。

その時、タワー全体が青く光って大きく揺れて、守は驚きますが、同時に1号の声が聴いたことのない女性の声に変わり、守に向けて「極めて珍しい生命体だ」という言葉を発する。驚いて1号を見ると、潜水服の中の顔が3号に変わり、続いて2号に変わる。融合というやつをしたので3人は一体になったということなのでしょうか。しかし3人の誰でもない声は一体誰の声なのか?まさか犬の3号の本当の声がアレなのか?それとも3者とはまた別の何者かが存在するのか?その声が守に対して初めて見るかのような言葉を発したので、やはり3号ではなく4人目の何者かであるような気がする。

更にその声の主は「人はその想像力によって多次元的な存在になり、現在、過去、未来、別の時空、別の事象にアクセスし、量子化された可能性から大きなエネルギーを獲得する」とか意味不明なことを言い出し、その顔や声も2号になったり1号になったりし、何人も同時に現れたりする。守が困惑して「お前ら何者だ?」と問うと「君たちは未来でもあり、過去でもあり、現在でもある」と答えにならない答えを言い「想像力が時間も空間も変化させる」「想像力が現実を定義する」と謎めいたことを言う。そうして「私はあなた達の作ったゲームの支持者です」という言葉と共にゲームのパッケージのような形の光が現れて、それが開くと「いつかまた会えるでしょう」と1号と2号と3号が守に別れを告げて、次の瞬間、守の腕輪が消えて、守は時空の裂け目に吸い込まれるように光に包まれていき、その次に気がつくと、そこは1999年のアルコールソフトの事務所の中で、居眠りしているコノハの後ろで「午後の彼女たち」のパッケージを開けてタイムリープした直後の時間に戻っていた。そして守はタイムリープから戻ってきたのだと気付き、「なるほど、こんな感じなのかよ」と苦笑して、初めてのタイムリープ体験に疲れ果てたように床に大の字に転がるのでした。

さて、今回はこれで終わり次回に続きますが、今回これだけ予想外な展開だと、次回どういう展開になるのか全く予想がつかないですね。順当に行けば1999年のコノハのゲーム制作の続きが描かれることになるのでしょうけど、今回こういう内容だったのを承けるとなると、単純にゲーム作りの続きという感じでも無さそうですし、さてどうなるんでしょうね。とりあえず今回は意味不明でありながらもかなり意味深で、内容はムチャクチャ濃かったですし、意外に綺麗にまとまっていたようにも思えるし、ホントに評価が難しいエピソードですが、ここから更に面白くなっていきそうだというのは間違いないでしょうね。

 

 

ブルバスター

第8話を観ました。

今回は波止工業の親会社の塩田化学が融資を増額してくれるかもしれないという話が持ち上がって、水中ロボットの購入資金不足で頭を悩ませていた沖野も喜びます。塩田化学は竜眼島に作った海水を真水に変えるプラントを購入したいという取引先の要望があってプラントを稼働させたいらしくて、それで巨獣の駆除が急務となり、巨獣駆除を担当している波止にテコ入れしたいのだという。それで塩田のプラント担当役員の鷲津という人が波止にやって来て、そこにちょうど巨獣出現の報が入り、鷲津も一緒にモニターで巨獣駆除の様子を見ることになる。

しかし今日の巨獣駆除担当は武藤であり、武藤は鷲津が見ていることは知らないまま暴言を吐きまくりながら作業にあたり、更には巨獣と格闘しつつ塩田化学のプラントに侵入して設備を破損してしまう。これでもう融資の話は潰れてしまったであろうと落ち込む田島や沖野たちであったが、意外にも鷲津は武藤の仕事っぷりが気に入ったみたいで、融資の増額どころか、波止を塩田化学の一部門とすることを提案し、社員たちの待遇は大幅に改善され、使える予算も大幅に増えることになり、水中ロボットも高級機が使えそうになり沖野は喜ぶ。しかしアル美はどうも気に入らない様子で、今回はここで終わり、次回はアル美が塩田化学の一部門となって波止が無くなることに反対する話みたいですね。