2023年夏アニメのうち、9月8日深夜に録画して9月9日に視聴した5作品のうち、以下に2タイトルをレビューします。
彼女、お借りします(第3期)
第33話を観ました。
今回は大山場だと思っていたんですが、大山場は次回か、あるいは次々回あたりでしょうね。この第3期は第36話までですから、今回が終わって残り3話で、次回と次々回で大山場という感じで丁度良いのかなと思います。今回も展開としてはかなり重大であって十分に山場、涙腺崩壊必至の神回なんですけど、物語の流れとしては今回の内容を承けての次の和也の行動と、和也と千鶴の本音のぶつかり合いがこの3期のクライマックスとなるはずですから、今回は内容的には非常に充実していたものの、まだ溜め回といえるでしょう。前回も溜め回で今回も溜め回なんですが、この作品の場合は溜め回のパワーが既にかなり凄いので、決め回になると大変な爆発力となるでしょう。
それで今回の内容なんですが、まず前回、上映会の下見に行った際に小百合が倒れてしまい、そのまま病室で意識が戻らない状態が続き、医者はもう回復の見込みは無いとして治療は断念し、今夜がヤマだと言いました。つまり、上映会には間に合わずに亡くなってしまうのであり、小百合に見せる予定で制作した千鶴主演の自主制作映画も見せることが出来ないということになってしまったという状態からの開始となります。
もともと小百合が治る見込みの薄い病気だということは千鶴は聞いていましたから、こういう別れの日が近いうちに来ることは覚悟は出来ていました。覚悟が出来ていたって、いざその日が来て平常心でいられる人間などそうそういませんが、あらかじめ死期が近いと分かっていれば、その日が来た時に後悔することがないように人は色々と準備をしたり、やり残したり言い残したことが無いようにあらかじめ手を打って、出来るだけ後悔が少なくて安らかな気持ちでお別れ出来るようにしておくものです。余命の告知というのはそのためにあるのです。そして、千鶴にとってやり残したことは「小百合に映画女優となった自分の姿を見せること」でした。
千鶴が小百合の病名を知り、治る見込みが薄いことを知ったのはおそらく小百合が検査入院した2期の最初の頃で、その後、2期の終盤に小百合の容態が悪化して余命告知を受けています。そういうわけで2期の序盤から千鶴はかなり焦ってオーディションを受けるようになり、特に余命宣告後は千鶴はなんとか映画に出演しようとしてオーディションを受けまくりますが上手くいかず、諦めかけていたところに和也がクラウドファンディングでの自主制作映画の話を提案して、千鶴がそれに応じたところで2期は終了して、そうして映画制作編である3期がスタートしたのです。
和也は1期の最初に千鶴とはレンタル彼女として出会い、アパートの隣の部屋に住む隣人であり同じ大学に通う間柄だということは同じく1期序盤から知っていましたが、千鶴が女優を目指しているということを知ったのは1期の終盤になってからでした。その時点では和也は千鶴はあくまで自分の夢として女優を目指しているのだと思っており、2期に入ると千鶴の舞台を見に行ったりして、千鶴の夢を応援したいと思うようになっていました。
だが千鶴は2期終盤で小百合の余命告知を受けた時点で、自分の夢は「小百合に映画女優となった自分の姿を見せること」だと和也に打ち明けていて、和也はそれを承けて、自分に何か千鶴のために出来ることが無いかと考え抜いてクラファン自主制作映画のアイディアを思いついたのですが、和也はその時点で千鶴が女優になろうとして頑張っているのは小百合のためでもあるのだと知ったのでした。
そうして和也が千鶴と小百合のためにクラファンの提案をしたのが2期の最終話でしたが、この同じ2期最終話で視聴者には千鶴が女優を目指す真の理由が明かされています。そもそも千鶴は小百合が病気になる以前から女優になるために尋常ではない頑張りを続けており、それは和也と出会う前から続いていたものでした。その真の理由が高校に入ってすぐに亡くなった祖父との約束を果たすためだったということが2期最終話で視聴者には明かされており、3期に入ってクラファンの成功を経て映画制作がスタートし、撮影の最終日が描かれた第30話で千鶴は和也にもそのことを伝えました。
つまり、千鶴にとって「映画女優になった姿を見せる」という約束はもともと祖父との約束なのであり、約束を果たせないまま祖父が亡くなってしまったので、祖母に見せることで祖父に見せたことの代用としようとしていたというのが真相であり、千鶴は祖母と約束をしていたわけではありません。もちろん祖父との約束を引き継ぐということは祖母に伝えていたでしょうけど、それはあくまで祖父との約束であって、祖母との約束ではない。祖父が亡くなった時点で千鶴はまだ高校1年生であり、まだ女優に挑戦するスタートラインにすら立てていなかった時点での祖父の突然の事故死でしたから、諦めのつくものではなかったのでしょう。だから、自分が女優に挑戦できる状態になった時に、自分が夢を叶える姿を途中退場してしまった祖父の代わりに祖母に見てもらうというのが千鶴の「祖母に自分が映画女優になった姿を見せたい」という想いの正体だったといえる。
ただ、厳密に言えば千鶴は高校1年生の時に、それまで自分の夢をずっと励ましてくれた祖父が事故に遭って臨終を迎えた時に一旦心が折れて夢を諦めていました。しかし臨終の直前に祖父が奇跡的に意識を一瞬取り戻し「夢は願えばきっと叶う」と言い残して死んだので、千鶴は再び夢を追いかけるようになった。というか、そこから本気で夢を叶えようとするようになったといえる。つまり千鶴の祖父との約束というのは単に「映画女優になった姿を見せること」なのではなく、その時点から「自分が映画女優になった姿を見せること」を通して「夢は願えばきっと叶う」という祖父の信念を自分が引き継いできたことを証明するということになっているのです。そして、その約束を果たして、自分はしっかり「夢は願えばきっと叶う」という祖父の信念を受け継いでいるのだということを祖母に見せることによって、それが亡き祖父にも伝わると信じているのです。
そして前回の第32話において、実は千鶴の祖父が千鶴の夢を応援していたのは、実現困難な夢を目指すことによって千鶴に強く生きる力を持ってもらうためであったという真実が明かされました。祖父は別に千鶴に女優になってもらいたかったわけでも映画に出てもらいたかったわけでもなく、更に言えば夢を叶えてほしかったわけでも、夢はきっと叶うという自分の信念の正しさを証明してほしかったわけでもない。ただ両親の居ない不幸な境遇の千鶴に強く真っすぐに生きてほしかっただけだったのです。
そして前回、「夢は願えばきっと叶う」という祖父の信念を受け継いだことを証明しようと頑張り続けた結果、千鶴が実現困難な夢を重荷に感じつつもその重圧に打ち勝ち、強く真っすぐに美しく成長したことを確認した小百合は、亡き夫のやったことは正しかったのだと確信して満足し、亡き夫にそのことを報告した直後に意識を失い倒れたのです。だから小百合は亡き夫から引き継いだ「千鶴を強く真っすぐ美しく育てる」という自分たちの夢を果たしてから倒れたのであり、もう悔いは無い状態で死を迎えようとしているのだといえます。実際問題として、小百合によっても千鶴の亡き祖父にとっても、千鶴の主演映画を観ることが出来ても出来なくてもあまり大した問題ではないのです。
しかし千鶴の方は、小百合は自分の主演映画を観ることが出来ないまま死ぬことを残念に思って後悔を残して死ぬのだろうと思っている。だから小百合が生きている間に間に合わせることが出来なかったことを申し訳なく思っていた。何より、千鶴自身が小百合に映画を見せられなかったことを残念に思っていた。自分が「夢は願えばきっと叶う」という祖父の信念を受け継いだ証を見せることが出来なかったことを残念に思っていた。ただ、千鶴はそれらをひたすら残念に思ったり嘆き悲しむのではなく、何とか折り合いをつけようとしていたのです。
それは、そもそもそれらは祖父との約束なのであって、祖父が死んだ時点で終わっていた約束を自分の未練で祖母に押し付けていたのだという想いが千鶴にはあるからです。だから祖母の死に際して折り合いを付けなければいけないと千鶴は思うのです。前回、小百合の死期が迫っていると知った後の千鶴が妙に冷静だったのを見て和也は「無理して強がっている」と解釈して、自分に何か千鶴のために出来ることは無いかと考え抜いて「本当は恋人同士じゃないという真実を告げよう」と言って千鶴の罪悪感を取り除こうとしたのだが、実際は千鶴は必死で自分の気持ちに折り合いを付けようとしていたのであり、それで頭が忙しすぎて和也の提案について深く検討する余裕が無く、「そんなの悲しませるだけで意味は無い」と速攻で却下したのです。
そんなことよりも千鶴はこの絶望的状況に折り合いを付けようとしており、もともと祖父との約束だったものを祖母に押し付けていたものだったのだから、上手くいかなかったとしても仕方ないと何処かで思ってしまっている。だから妙に冷静でいられるのです。突然の交通事故で急に亡くなった祖父の場合と違って今回は心の準備をする期間が長かったのもあり、二度目でもあり大学生に成長したというのもあって、千鶴は折り合いをつけやすくなってしまっているのです。頑張ったのに残念だった。でも仕方がない。自分の夢を叶える姿を見せたかったけど無理だった。でも仕方がない。そうした諦めの悲しさで涙は流れるけど、心の中では「やっぱり願っても夢は叶わない」という想いが湧き上がってきてしまっている。祖父が臨終を迎えた時と同じです。千鶴がそんなふうに思って生きる力の弱い人間になってしまうことは本当は祖父も祖母も最も願っていなかったことなのですが、それをひっくり返す奇跡は祖父の臨終の時みたいには起きそうもない。
だが、その時、病室の扉が開いて、いきなり和也が入ってくる。和也は前回のラストで千鶴に「恋人同士ではないという真実を告げる」という提案を却下されて、いよいよ自分がこの状況で千鶴のためにしてやれることが何も無くなったと思い1人で病室の外で追い詰められていたのだが、その時に映研の田臥部長から連絡があって外に飛び出していった。そして帰ってきた和也はノートパソコンと映写機を手にして病室に入ってきて、無言で映写機をセットして病室の壁に映写機から映像を映し出す。それは和也が企画して千鶴が主演した自主制作映画「群青の星座」でした。
田臥から和也への連絡は頼まれていた映画の編集作業が終わったという連絡だったみたいです。その連絡を受け取った和也は、もうこれしか自分が千鶴と小百合のためにしてあげられることはないと、藁にもすがる想いで病院を飛び出していき、大学の映研の部室に行き、田臥から編集済みの映像データの入ったノートパソコンと映写機を借りて戻ってきたのです。和也が今の自分がただ1つ千鶴と小百合のためにしてあげることが出来ると思ったこと、それは「千鶴が主演した映画を見せること」だったのです。もちろん既に意識の無い小百合にそれを見せたところで意味が無いかもしれない。それでも声は聞こえているかもしれないというし、せめて音声だけでも聞いてもらえれば何もしないよりはマシだ。ただ、危篤状態の病人の居る病室でそんなことをやるのは間違っているのかもしれない。千鶴だってどう反応するか分からない。ただ、もう自分には本当にこれしかもうやれることが無いのだと心に決めた和也は、無言で病室に入って、千鶴が何か言ってきたが構うことなく、何も言わず、何も余計なこともせず、ただ映写機をセットして映画が壁に映し出されたのを確認すると黙って病室を出ていき、扉を閉めた。
千鶴は泣いていたところに和也が急に入ってきて何かゴソゴソやりだしたので腹が立って文句をつけていたが、壁に「群青の星座」が映し出されるとハッとして黙り、和也が無言で出ていくのを唖然として見送ると、壁に映し出された映像の中で演技している自分の姿が映り、セリフを読む声が流れ始めるとベッドで寝ている小百合の方を思わず振り向く。小百合に見て貰えたと一瞬思ったが、当然ながら小百合は目を閉じて意識を失ったままで、映画を見ていない。一瞬落胆する千鶴であったが、声は聞こえているはずだと思い、ベッドに近づき、小百合の身体に抱き着くようにして耳元に口を寄せて「お祖母ちゃん!見て!」と呼びかけて懇願する。もう見せることが出来ないと思っていた映画女優になった自分の姿、約束を守って夢を叶えた姿を最期に小百合に見てもらえるかもしれないと思った千鶴は必死で呼びかけます。
しかし小百合に反応は無く、千鶴はやはりダメだと思い、悔しくて涙ぐんで小百合の身体の上に頭を垂れて突っ伏します。そして悔し気に歯を噛みしめて顔を上げると、小百合の眉が苦しそうに動き、目がきつく閉じられた後でゆっくりと開眼するのを見て、千鶴は息を呑む。声を出しそうになったが、小百合が確かにその開いた目で壁のスクリーンに映し出された自分の演技する姿を見つめていて、演技している自分の声に聴き耳を立てているのが分かって、それを邪魔してはいけないと本能的に悟り、唖然として小百合の顔を凝視しながら千鶴は黙り込み、小百合の手を固く握りしめる。
小百合の方は、確かに壁に映し出された映画を見ていた。ただ、映画の内容は理解出来なかったし理解しようとも思っていなかった。ただ千鶴が映画女優として演技している姿を確認して、それに重ねて、夢や希望など持とうともしなかった千鶴が中学時代に映画女優になりたいと言い出して、亡き夫がその夢を必ず叶うと応援することで千鶴に生きる力を与えて、夫が死ぬ間際までその強さを貫いて見せたことが走馬灯のように思い出されて、その結果として遂に千鶴がどんな困難にも負けずに夢を追いかけて実現する強さを手に入れたことをしっかり確認すると、安心したようにゆっくり目を閉じた。固く手を握ったまま小百合のそうした様子を凝視しながら千鶴は大粒の涙を流し続けていた。
そうして映画の最初の10分だけ目を開いていた小百合が目を閉じて1時間ほどそのままで、壁に映し出された「群青の星座」はラストシーンを迎えていた。その間ずっとベッド脇で小百合の手を握りしめていた千鶴はもう涙も乾き、落ち着いた気持ちで自分の主演映画を鑑賞していた。小百合はもう1時間目を閉じたままで何の反応も無い。おそらくこのまま逝くのだろうと千鶴には分かった。そして、最期にたった10分でも小百合に自分が夢を叶えた姿を見せることが出来て、小百合や祖父との約束を果たすことが出来て良かったと、しみじみと思えた。
そうした安らかな気持ちで小百合の顔を見つめていた千鶴であったが、壁がひときわ白く明るくなったので振り返ると、映画は本編が終了して白い画面にエンドクレジットの文字が黒く出ていた。そこには、まず「主演 一ノ瀬ちづる」という文字が出て、続いて「企画 木ノ下和也」という文字が出た。その和也の名前の文字を見た瞬間、千鶴はこの自分の果たした約束には和也が関わっているのだということを改めて実感し、そのことが心に急に重くのしかかってきた。そして、和也が「嘘をついたまま祖母ちゃんを逝かせて本当に後悔しないのか?」と問いかけていた言葉が脳裏に甦る。
さっきまでは別にそんなには気にならなかったのです。悲しませて逝かせるぐらいなら嘘をついたままで良いと思っていた。そんな罪悪感なんかよりも、約束を果たすことが出来なかったことの方の罪悪感の方が大きかったのです。しかし、和也が映像データと映写機を持ってきてくれたお陰で最期の最期のギリギリで約束を果たすことが出来てしまった。そうなると、千鶴はその自分と小百合の最期の約束、小百合の人生最期の美しい思い出に、和也という嘘が不可欠な存在として組み込まれてしまっていることがどうしても気になってきた。
映画を見せることが出来ず約束も果たすことが出来ていなければこんなことは気にならなかった。確かに偽の恋人なのに本当の恋人だと言って騙してはいたが、それだけならば単に自分の死んだ後のことを心配する小百合を安心して逝かせてあげるための方便として通る話だったのです。だが、千鶴の夢を叶えてくれて、千鶴と小百合の約束を果たしてくれた和也のことを小百合はかつての祖父のように千鶴を傍でずっと支えてくれる家族になり得る恋人だと思って信頼して死んでいくのに、それは実は真っ赤な嘘であり、本当は和也は千鶴にとって赤の他人に過ぎないなんて、あまりにも小百合にとって残酷な嘘だと思えて、千鶴は罪悪感がこみ上げてきたのです。
和也に問われた時は否定した考えであったが、再度、千鶴は自問自答する。「本当にこのまま小百合を逝かせてしまって罪悪感は無いのか?」と。罪悪感は確かにある。ならば小百合が生きているうちに真実を伝えるかとも思ったが、罪深いことをしている意識があるからこそ、真実を打ち明けて軽蔑されたり憎まれることが怖い。そんな嫌な感情を抱いたまま小百合を逝かせてしまうこともまた後味が悪く罪悪感を残す。どっちにしても罪悪感は無くならないのです。
小百合がちゃんと意識があるうちに伝えていれば、小百合に事情をしっかり説明して、小百合が納得してくれたことをこちらも確認することが出来て罪悪感は無くすことは可能だったのです。でもこのように小百合が耳だけ聞こえていて返事が出来ない状態で真実を一方通行で伝えても、小百合がどう思って逝ったのか確認のしようがなく、罪悪感は消えないのです。ならば、結局は一方通行で真実を伝えても、自分の罪悪感は消えることはなく小百合が嫌な想いをして死んでいくかもしれない。それならば真実を告げずに嘘をつき続けたまま小百合を逝かせて、自分が罪悪感を抱いたままでいるだけの方がやはりマシだと千鶴は思った。
それは今となってはとても苦しい嘘でした。だが自分はそれでいいのだと千鶴は思った。自分は祖母と同じく女優だからです。女優とは「嘘をつく仕事」なのです。これまでも舞台でも自分ではない嘘の自分を何度も演じてきた。レンタル彼女だって嘘の自分を演じる仕事であり女優の練習と割り切ってきた。そんな自分が今さら祖母に嘘をつくことで苦しむ資格など無いのだと千鶴は自分に言い聞かせ、そして女優の大先輩である小百合に向かって「女優は嘘をつく仕事、そうでしょ?お祖母ちゃん」と問いかける。だが、その自分の問いかけによって千鶴は中学の頃に祖母から聞いた言葉を思い出す。
中学時代の千鶴がある日「女優は嘘をつく仕事でしょ?」と言った時、小百合は「人間は大切な1つの真実を守るために99の嘘をつくのだ」と言った。つまり演技論としては「女優が嘘を演じているのは真実を表現するため」ということになる。その役柄の真実、あるいは人間の真実を舞台やスクリーンの上で表現するために俳優は自分とは全く別人を完璧に演じるという大嘘を重ねなければならないわけです。だから俳優は嘘はつくけど、その嘘は観る者を騙すのではなく真実を伝えるための嘘でなければいけない。これは俳優の演技論だけでなく人間論としても当てはまる話であり、人間は生きていくためにどうしても嘘をつかなければならないが、その嘘は本当に大切な真実を守るための嘘でなければならないのです。
もちろんそうではない人間もいる。ただ相手を騙すためだけの嘘をついて何の真実も持ち合わせていない人間もいる。だが小百合はそれは認めない人間であったし、それならば千鶴もそうであらねばならない。だから、いくら多くの嘘をついたとしても、その中に1つはどうしても曲げてはいけない真実というものがあるべきなのだ。だが千鶴は、その自分のとっての「曲げてはいけない真実」がどれなのか、「嘘をついたままで良いもの」がどれなのか、もうよく分からなくなってしまっているのです。それで千鶴はベッドの脇で「もう私はよく分からないの」と言って泣きじゃくる。
そうしていると、なんと小百合が手を伸ばしてきて千鶴の涙を拭おうとしてくる。驚いて千鶴が小百合の顔を見ると、小百合は目は開いていなかったがか細い声で「千鶴」と呼びかけてくる。千鶴は小百合が意識を取り戻したと思いナースコールをしようとして立ち上がろうとするが、小百合は危篤の病人とは思えないほどの握力で千鶴の動きを止める。そして千鶴の泣きじゃくる声に反応したのであろう、「何か悩んでいるのね?」と問いかけてくる。それを聞いて千鶴は反射的に、今ならば真実を打ち明けることが出来ると思い、涙を溢れさせながら「ごめんねお祖母ちゃん、私ずっと嘘を」と言いかける。
だが、もし和也が本当の恋人ではないという真実を知ったらどれだけ小百合が悲しむだろうと思うと、やはり真実を伝えることが出来ず、千鶴は言葉に詰まってしまう。だが「嘘をついていた」ということは思わず言ってしまったので、小百合がその千鶴の言いかけた言葉に反応して「嘘?そう、嘘ね」と呟くのを聞き、余計なことを言ってしまったと千鶴は後悔した。小百合を混乱させたまま何も言えないまま逝かせてしまうかもしれないと千鶴が絶望していると、小百合は「知りたいとも思うし、知りたくないとも思う。あなたが選んだ答えならどちらでもいいわ」と言う。
だが、その答えを選べないから千鶴は困っているのです。何が守るべき真実なのか、何が嘘をついておくべきものなのか、選べない。さっきは千載一遇の機会と思って「和也が本当の恋人ではない」というのが真実だと思って告白しようとしたのだが、言葉が続かなかった。ならば、それは「真実」ではあっても「たった1つの守るべき真実」ではないのかもしれない。それは嘘のままでいいのかもしれない。しかし、ならば自分にとってのそれを超える本当の「たった1つの守るべき真実」とは何なのか、千鶴には分からなかった。それで千鶴は「でも!でも!」と泣きじゃくって、自分にはその答えが出せなくて困っているのだという状況を小百合に伝える。
すると小百合は千鶴が嘘をついたことで深く悩み苦しんでいるのだということを察したように「この世には答えのあるものの方が少ないわ」と言い、続けて「日々、迷い、悩み、苦しみ、それでも考え続けることが命への唯一の誠実さよ」と諭す。つまり、何が自分にとって大切な真実なのか嘘なのか答えなど出ず、人間は嘘をついたことで苦しみ続ける。しかし、全ての人間がそうなのではない。自分の中に真実など探そうともしない人間は嘘をついたことで悩んだり苦しんだりすることはない。つまり、嘘をついて自分の真実が何なのか分からずに苦しみ続ける人間こそが真に誠実な人間なのだといえる。ここで小百合は、嘘をついた挙句に何を真実として告げるべきか答えも出せず悩み苦しむ千鶴を肯定しているのです。むしろ「そんな生き方が出来る女性に育ってくれて、それだけで私は十分幸せ」とまで言って賛美している。そう、嘘をつかない人間など存在しない以上、嘘をついたことでより深く迷い悩み苦しむ人間こそが最も美しい人間性の持ち主なのです。
この言葉で小百合は千鶴の嘘に完全なる赦しを与えたことになる。但し、それは千鶴が「自分にとってたった1つの大切な真実」とは何なのかという答えを求めて考え続けるということが前提となっており、そうして考え続ける限り、いつかはその答えに辿り着くことになるだろう。理想を言うならば、小百合の生きている間にその答えに辿り着けるのがベストであったのだが、小百合は千鶴がその答えを探して苦しみながら考え続ける生き方を選んでくれただけで十分に幸せな思いで逝くことが出来ると言ってくれた。千鶴にとってこれほどの救いの言葉は無いであろう。
そして小百合はさっき映画の中で観た千鶴の夢を叶えた強く美しい姿を思い出し、まさか自分の口で伝えられるとは思っていなかった「綺麗だった」という賛辞を千鶴に捧げ、そして「素敵な映画をありがとう」と感謝の言葉を捧げる。更に「和也くんにもお礼を伝えておいて」と言う小百合に千鶴はベッドの上で抱きつき、その千鶴を抱きしめて「愛してるわ千鶴、あなたは私の宝物」と言う小百合の言葉に応えて「あたしも大好き、お祖母ちゃん」と千鶴は泣きじゃくるのでした。
さて、この後は後半パートなのですが、このベッドの上で千鶴と小百合が抱き合った場面の後、少し場面の断絶があるように思える。この後、翌日の八重森との会話シーンでの和也の回想シーンでは、小百合が息を引き取った後に病室から出てきた千鶴と和也が会話する場面が描かれているが、和也は臨終には立ち会わずずっと病室の外で座っていたようであり、臨終の場面も描かれていない。前半パートの最後の千鶴と小百合が抱き合った場面が臨終の場面であり、あれが最後の会話であったのかもしれないが、そうではないのかもしれない。もしかしたらあの後、臨終前に何か別の会話があったかもしれない。そのあたりは不透明です。それがどうなのか次第でこの後半パート以降の千鶴の描写の持つ意味合いがだいぶ違ってくる。
ここでは一応、あの前半パートの最後の遣り取りが千鶴と小百合の最後の遣り取りであったという前提で後半パートを見ていくと、そうなると千鶴は小百合の臨終直後も通夜の席でもただいつものように気丈に振舞っているだけのように見える。そして和也はそんな千鶴に対して、本当の恋人でもなくお隣さんに過ぎない自分はもう映画制作も終わって接点も無く、何もしてあげられることが無いと思って落ち込む。だがそれでも本当は悲しんでいるに違いない千鶴に対して何か自分に出来ることは無いだろうかと考えた和也はスマホを弄りだして、誰かに何かを頼ろうとする。そういうところで今回は終わります。ただ、このあたりの一連のシーンは、どうも次回以降の展開次第で意味合いが変わってくるんじゃないかとも思えるんですよね。
スプリガン
第10話を観ました。
今回は「水晶髑髏」の章の後編となります。前編では、アレキサンドリアでアーカムの発掘隊を指揮していた考古学者の川原教授が殺害されて発掘品の水晶髑髏が奪われる事件が発生し、水晶髑髏の奪還のために現地にスプリガン御神苗優が飛び、そこでアーカムの手配で現地に来ていた川原教授の娘の鈴子と出会いました。そして鈴子と一緒にいるところを何者かに襲撃された優は襲撃者たちを返り討ちして、そこから手掛かりを得て、教授を殺害して髑髏を奪ったのはドイツの極右テロ組織の国家社会主義愛国者党であることを突き止めます。そしてアレキサンドリアにある愛国者党のアジトを突き止めて乗り込んだ優はそこで奪われた水晶髑髏を発見しますが、愛国者党の用心棒のミラージュという拳法家に圧倒されて窮地に陥り、髑髏を奪還することは出来ず一旦撤退することになりました。そして何者かによる情報提供を受けて優と鈴子は愛国者党による水晶髑髏の極秘の起動実験場に潜入して、そこで水晶髑髏から発射されるエネルギー波が核兵器のような威力を持つという事実を目の当たりにすることとなった。そして愛国者党の目的がナチスドイツ帝国を復活させて水晶髑髏の力を使って世界制覇を目指すという狂気に満ちたものであるということも判明したというところで前編は終わりました。
それを承けての後編の冒頭は、昨晩の水晶髑髏の起動実験の結果、アレキサンドリア近郊の砂漠に出来た巨大なクレーターに関する報道が飛び交う中、現地を去ろうとする鈴子が駅に居る様子がまず描かれます。前回、世界の命運を左右するミッションを優先しようとする優と、父親が命を賭けて守ろうとした髑髏を取り戻したいという個人的感情を優先しようとする鈴子との意見のぶつかり合いが描かれ、優が鈴子の個人的感情を尊重し、更に優自身が自らの個人的感情を優先するという自らの原点に返るという結果となりました。
その結果、優は水晶髑髏の奪還よりも川原教授の仇討ちという個人的感情を優先させようとして、結局はミラージュの邪魔が入って両方とも果たすことは出来ず一旦撤退することになりましたが、鈴子の個人的感情である「父親の守ろうとした真実を知りたい」という要望には最大限に応えることにして、鈴子を水晶髑髏の起動実験場まで連れていき、共に潜入して水晶髑髏の凶悪なパワーを鈴子にも見てもらうことが出来ました。それを見れば、川原教授がそれを悪用させないために命を賭けて守ろうとしたことは鈴子にも理解してもらえると優は思った。水晶髑髏だけではなく、これまでにも川原教授は同様の危険な超古代の遺産を発掘してアーカムによる封印を手助けしてくれていた。それは世界を危険から守るためであり、決して単なる歴史的ロマンを追い求めて自分自身と家族に犠牲を強いていたわけではないのだということを優は鈴子に知ってもらいたかったし、鈴子が知りたいという川原教授の真実はまさにそこにあった。
ただ、その真実を知るだけで鈴子が満足しないであろうことは優にも分かっていた。「世界を救う」というどれだけ崇高な仕事であろうとも、教授がそれを選んで家族を切り捨て、家族に何も本当のことを言わないまま勝手に先に逝ってしまったのもまた紛れもない川原教授の真実でした。そうして捨てられて残されてしまった家族の立場の鈴子が、そんな真実をただ知っただけで心の穴を埋められるはずもないことは優にはよく分かる。だから「父親が命を賭けて守ろうとしたものを家族である自分の手で取り戻したい」という鈴子の個人的感情はよく理解は出来る。
ただ、だからといって水晶髑髏の再度の奪還作戦にまで鈴子を同行させることは、さすがに出来なかった。それはあまりにも危険すぎる。髑髏の奪還はどっちにしても優としても絶対にやり遂げねばならない任務ですし、そこは鈴子の代わりに自分が必ず髑髏は取り戻すという約束を鈴子に信じてもらい、アレキサンドリアから退去してもらうしかなかった。鈴子を水晶髑髏の起動実験場への潜入に同行させたのは、鈴子に真実を見てもらいたいという想いもあったが、同時に、髑髏を奪った連中がどれだけ危険な連中であるかということを鈴子に知ってもらうという目的もあった。あの大爆発を見れば、さすがに鈴子も戦いの素人の自分の立ち入ることの出来る領域ではないと分かってくれただろうと優には思えた。後は自分とアーカムを信じてもらって髑髏の奪還は託してもらうしかない。そう思って優はアーカムの職員の手配で鈴子にはアレキサンドリアを発ってもらうことにした。そうしてアーカム職員と共にアレキサンドリアを去ろうとする鈴子の様子がまず描かれた。
一方で優の方は愛国者党のアジトにある集会場所に乗り込み、再び水晶髑髏を奪還しようとすることになりますが、その愛国者党の集会というのは前日の夜の水晶髑髏の起動実験の結果を承けてのスポンサー企業への説明会という趣のものでした。どうも昨晩の実験場にもこれらスポンサー企業の人々は招かれていたようです。実験の大成功を承けて、更なる資金援助を求めようという趣旨の集会みたいですね。国家機関ではなくて民間のしがないテロ組織である愛国者党は運営資金も潤沢というわけではなく、スポンサーの出資が無ければやっていけないみたいですね。よくそんな状態で世界制覇とか言えたものです。
しかし、こんな狂ったテロ組織に金を出すスポンサーなんてよくいるものだと思われるかもしれませんが、現実世界でもイスラム過激派のテロ組織にもちゃんとスポンサー企業が付いていたりします。ああいう組織は裏ではテロ活動を行う一方で表向きは穏健な政治活動や社会奉仕活動なんかをやっていて、そっちの方には一定の支持層があって、その表の活動を支援するスポンサー企業なんかはその組織の支持層にもウケが良いのでスポンサー活動をしているメリットはそれなりにあるのです。
この作中の架空団体である「国家社会主義愛国者党」というのもそれと同じで、表の顔と裏の顔を使い分けているのでしょう。裏では水晶髑髏みたいなものを使った国家転覆とか世界制覇なんてものを企みながら、表向きは穏健な政治活動や社会奉仕活動などを行っていて、それなりに支持者がいるのだと思います。それで、どうして支持者が集まるのかというと、現実世界のイスラム過激派なども同じですが、その表側での政治的な主張に一定の正当性があるからです。例えばイスラム過激派の場合は、イスラム教の伝統を重視した社会の実現みたいな感じで、保守派とか西洋的価値観に反発心を持っている層にはそういう思想を支持する人は多い。そういう人たちは自分たちの支援した金がテロ活動に使われているなんて気付いていなかったり、気付いていても気にしなかったりする。
この国家社会主義愛国者党というのも表向きはドイツの復権とか、アーリア人種の歴史的使命とか、なんかそういうことを主張して社会奉仕活動なんかをやっていたりするのでしょう。この党はそもそもナチスの復活を目指しているわけですが、実際の歴史のナチス党というのもまさにそういう団体で、第一次大戦の敗戦国となったドイツの復活を標榜して、そこにアーリア人種の歴史的使命があるとか妙な理屈で正当化して急進的な改革を主張して支持を集めました。そして、そうした表向きの活動で支援者やスポンサー企業から集めた金を使って裏では政治テロなどを行っていました。この愛国者党というのもまぁそういう類の代物だと思えばいいでしょう。
だから、この愛国者党の集会に招かれているスポンサー企業の担当者の面々は、昨晩の実験に招かれていきなり核爆発のような大爆発のデモンストレーションを見せられて、この集会では誇大妄想な話を散々聞かされて面食らっています。単なる極右政治団体だと思って支援して、つい深入りしたらとんだイカレたテロ組織だったという感じです。ただこういうスポンサー企業がついついこんな団体を支援してしまっているのは、こういう団体の表向きの活動にはちゃんと支持層が存在しているからであり、その表向きの活動と裏のテロ活動は全く別物なのではなく思想的には同じ基盤を有しており、表の活動を支持している人の中には裏のテロ活動をも支持している人は少なくはないのです。そういう層を当て込んでスポンサーをしているのであり、スポンサー企業だって半分は共犯みたいなものです。まさかここまで過激なテロを企んでいるとは思っていなかったので焦ってはいるが、このスポンサー企業の連中だってこの党が実際はテロ組織であることぐらいは承知していたはずです。
それで、要するにそういう一定層に支持される思想というのはどういうものかというと、おそらくこの作中の国家社会主義愛国者党というのはネオナチとか極右団体をモデルとしていますが、要するに右翼思想というものです。左翼はリベラルだとか、右翼は保守派だとか、色々と呼び名はありますけど、別にここは政治論をやりたいわけじゃないので簡単に「右翼」「左翼」で言いますが、右翼というのは左翼に対抗して出来た思想で、左翼はごくごく簡単に言えば、既存の国家や伝統社会というものを無くして単一の世界統一政府を作ろうという思想であり、右翼はそうした左翼の活動を阻止して国家や伝統的価値観を守ろうという思想です。特に現在のヨーロッパに存在する「EU」というものは左翼の壮大な社会実験のようなもので、それに対抗して「反EU」という立場で既存の国家の伝統を守ろうとする右翼団体が成長しやすい土壌が現在のヨーロッパにはあるといえます。
私だって明日からいきなり「世界統一政府が出来たので今日から日本語は廃止、通貨も世界共通通貨を使ってください」なんて言われたら右翼団体に入って反対活動の1つもしたくなるでしょうから、どっちかというと右翼寄りの思想を持っているといえるでしょう。というか、そんな極左的な事態になれば大抵の人は右翼思想を支持するでしょうし、その思想はより極端に走って極右思想になるでしょう。幸い日本においてはそんな極左政策は存在していませんので、むしろ逆説的に右翼思想の支持者の方が少ないぐらいです。しかし現代ヨーロッパではそこまで極端ではないにしても、日本よりはかなり左翼寄りの社会実験が進行中なのでそれを嫌う人々も多く、多くの人が右翼思想を支持しており、その右翼思想は急進的になりがちです。中にはテロ活動を支持している人も多い。だから、この作中の国家社会主義愛国者党という極右団体というのはそんなにリアリティから遠い存在ではありません。まぁ左翼用語である「社会主義」が党名に入っている極右団体というのは妙なんですが、そもそもナチスも「国家社会主義ドイツ労働者党」という名称だったとか、色々言い出したらキリは無いですが、政治論じゃないのでそこは割愛します。
問題は、そうした割とありがちな極右団体であるはずの国家社会主義愛国者党がどうしてこんなナチスドイツ帝国復活だとか世界制覇なんて言い出して水晶髑髏なんていうオーパーツを使おうなんていう危険な団体となり、世界を危機に陥れてしまう羽目になるのかです。それは歴史や伝統を重視しがちな右翼思想が陥りやすい逸脱があるからです。歴史や伝統を重視する右翼団体ですから歴史や伝統に基づいた方針を主張することが多い。確かに先祖の努力があって今の自分たちがあるわけですから先祖の想いは尊重すべきという主張には一理ある。しかし、ここは先祖の住んでいた土地だから自分たちのものにすべきだとか、先祖を殺したこの民族を憎むべきだとか、民族的使命に基づいて領土を拡張すべきとか、そういう会ったこともないような昔の人の歴史に縛られて現代の人間が殺したり殺されたりするなんて愚かと言うしかない。
この国家社会主義愛国者党もナチスドイツの伝統を受け継いで新生ドイツ帝国の復活をすべきとか言っているが、構成員の多くは若者であり、ナチスドイツ時代など知らない連中ばかりです。リーダーのケルトハイマーは1945年ベルリン陥落の日に立ち会ったと言っているが当時の回想を見る限り只の子供でした。ヒトラー総統に会ったとか言ってるのも妄想の中であり、実際には会ったことなど無いはずです。そんな自分と無関係のものを自分と結び付けてしまう魔力が「歴史」や「伝統」という言葉にはある。それは良い作用をもたらす場合もあるが、このように悪く作用することも多々ある。いや、その場合でも本人たちは全く悪いことだとは思っていないのでしょう。新生ドイツ帝国のもとでこそ真の平和が実現するのだからこれは善行だと思って、そのためにテロ活動などで多くの人々が死んだり自分たちが無駄に命を失うことなど考えず、ただそういう歴史的ロマンに基づいた情熱や使命感に酔いしれている。
そういう歴史的なロマンというか妄想のようなものを愛する者がそれだけ多いから、こういう右翼団体というのは成り立つのです。そして、そういう支持層が存在するがゆえに、右翼団体はより支持者を多く集めるためにその主張内容を更に先鋭化させていきます。彼らの掲げる「歴史的真実」というものが彼らの方針や支持者の潜在的に求めるロマンチシズムに不都合なものであるならば、それはより都合の良いものに改変されていく。つまり歴史の捏造です。歴史は改変され拡張されていき、彼らの現実世界での欲望により使い勝手の良い魅力的な物語へと変貌していく。地図や系図も書き換えられ、歴史は過去にどんどん遡り神話時代にまで繋がり、神秘主義思想の肉付けもされていき、超古代文明にまで一体化していくこともある。
この国家社会主義愛国者党の集会でも、ケルトハイマーはスポンサー企業の面々に向かって水晶髑髏に関して奇妙な話をし始める。かつてナチスドイツ帝国が健在であった頃にヒトラーが世界中の古代文献を収集していたのだという。そして、その中に古代に大帝国を築き上げた有名なアレキサンダー大王の遺した古代文献もあり、そこにはアレキサンダー大王もヒトラーのように彼から見て更に古代、つまり超古代の失われた文明の遺産を収集していたのだと記されており、その文献には多くの超古代遺産が記されており、その中に水晶髑髏のことも記載されていたのだという。
それによると、アレクサンダー大王は超古代の遺産である水晶髑髏を手に入れてエジプトのアレクサンドリアの大灯台の最上階の灯台の灯として使っていたのだという。そして平時には灯台の灯りとして使っていたが、いざ戦争時にはその大灯台の灯りは敵船を焼き払う光を発したのだという。これは実際にアレクサンドリア大灯台にはそういう伝承は残されています。そもそもアレクサンドリア大灯台というのは「世界七不思議」のうちエジプトのギザの大ピラミッドと共に実在が確認されているものの1つで、伝説上の存在などではなく、紀元前3世紀に建造されて、その後14世紀まで実在していた。8世紀の地震で半壊し、14世紀の地震で全壊したという。もちろん現実世界では水晶髑髏が使われていたなどという伝承は無いので、その部分は作中の架空設定ですが、そもそも作中設定でもヒトラーが収集したというアレクサンダー大王の古代文献なんてもの自体が捏造文献の可能性もあるし、そもそも「ヒトラーが古代文献の収集をしていた」という話自体がケルトハイマーの捏造である可能性もある。ただヒトラーは現実に古代文献の収集をしていたので、これはケルトハイマーの捏造ではなく、作中の架空設定ですらないといえる。もちろんそのヒトラーの収集した古代文献の中にアレキサンダー大王の古代文献があったというのは完全に作中架空設定です。アレキサンダー大王が超古代の遺産の収集をしていたというのももちろん作中架空設定ですが、これはケルトハイマーの捏造文献ではなく、またヒトラーが捏造した文献でもなく、作中架空設定内における「真実が記載された文献」であったのは間違いなく、だとすると本当にアレキサンダー大王が収集した超古代遺産について書かれた文献だったと断言していいでしょう。何故なら、実際にアレクサンドリアで水晶髑髏が発掘されたからです。
アーカムがもともと第二の水晶髑髏を探していて、それがアレクサンドリアに埋まっていると目星を付けた根拠はおそらくこのアレキサンダーの古代文献なのでしょう。大灯台の灯りとして水晶髑髏が使用されていたのが一体いつの時代までなのかは分からないが、おそらく8世紀に大灯台が半壊した以降は水晶髑髏は大灯台では使用されていない。それでアレクサンドリアの何処かに埋められたのだろうと推測して発掘作業を行い見つけたのでしょう。つまり、アレキサンダー大王は確かに水晶髑髏を何処かで手に入れて大灯台の灯りとして使用していたのです。
だが、同じようにヒトラーが収集したアレキサンダー大王の古代文献の内容を知っていた愛国者党もまたアレクサンドリアで水晶髑髏を見つけようとして動いていたのであり、アーカムに先を越されたので発掘者の川原教授を殺して水晶髑髏を奪ったのです。彼ら愛国者党から見れば、アーカムよりも先にヒトラーがアレキサンダー大王の古代文献を見つけて水晶髑髏を手に入れようとしていたのだから、ヒトラーの後継者である自分たちこそが水晶髑髏を手に入れて、ヒトラーの道半ばに終わった夢を引き継いでアレキサンダー大王の事績を引き継ぐ権利があるのだという論理になる。つまり、水晶髑髏の超パワーを使いこなして世界制覇を成し遂げるという、アレキサンダーが成し遂げ、ヒトラーが目指したロマンを自分たちが引き継ぐ権利を有するという妄想です。「水晶髑髏」というオーパーツ1つを手にれるだけで、ヒトラーからアレキサンダー大王、そして超古代文明まで一気に繋がる妄想が成立してしまうのです。これが歴史というものの持つ魔力であり、歴史上確かに実在した「レガリア」というものの持つ力なのです。「レガリア」は歴史上連綿と受け継がれてきた正統性の象徴となる宝具のようなもので、この水晶髑髏も超古代からアレキサンダーからヒトラーへと繋がる一種の妄想的レガリアといえるでしょう。
このように超古代遺産である水晶髑髏を兵器として使用することが自分たちの歴史的使命であり正当なことだと妄想する国家社会主義愛国者党という存在がこのエピソードで描かれていることには一体どういう意味があるのか。この危険な団体は、これまでのこの作品のエピソードで描かれてきた「覇権国家のエゴ」や「古代遺産を金に換えようとする軍需産業」などとはまた異質なタイプの平和への脅威です。ここで描かれているのは「歴史的ロマンチシズムに基づく集団的な妄想も世界平和への脅威になり得る」ということだといえます。「炎蛇」の章に出て来た諸刃功一もこれと似たタイプの脅威だったといえますが、それをもっと明確に個人的狂気ではなく集団的な狂気として描き、更にその危険性を分かりやすくデフォルメして描いたのがこの国家社会主義愛国者党の有り様なのだと言っていいでしょう。
ここでデフォルメされて描かれた脅威と似た脅威は、現実には水晶髑髏なんか使ってはいませんけど、似たようなものは多く存在する。現在ウクライナで起こっている戦争もロシア人の歴史的妄想によって引き起こされたものであるし、現在危機が高まりつつある東アジアにおける中国の脅威も、中華文明の復興なんていう妄想によるものです。黒人は黒人の歴史解釈、白人は白人の歴史解釈で憎悪を膨らませたりしており、キリスト教の歴史解釈とイスラム教の歴史解釈が対立を煽ったりもしている。これら全て、会ったこともないような大昔の人の話で現在の人間が傷ついている、全くバカバカしいことと言うしかない。そして作中設定で言うならば、アーカムだって同じようなものです。会ったこともないような超古代人の意思の継承者を気取って超古代遺産を管理して世界の平和をもたらす権利が自分たちに在ると信じているが、水晶髑髏の力で新たに新生ドイツ帝国主導の「平和」を打ち立てようとしている国家社会主義愛国者党とあまり大差ないようにも思える。
そういうわけなので鈴子のような部外者から見ればアーカムはやはりまだ信用ならない組織に見える。優のことだってそこまで信頼したわけではない。水晶髑髏の実験場に連れていってくれたことは感謝しているが優の気持ちを全て聞かされたわけでもないし、結局は邪魔者として追い払われただけのようにも思える。そもそも髑髏の起動実験を見たことによって鈴子の想いはもはや単に髑髏を取り戻すだけでは満足出来なくなっていた。髑髏の強大な破壊力を目の当たりにしたことによって鈴子は単に父親が命を賭けて守ろうとした物を取り戻すだけではなく、父が奪われた物を悪用されてしまうことを絶対に食い止めなければいけないという強い想いを抱くようになっていた。そういう意味ではアーカムという物騒な組織も愛国者党と同じぐらい危険なものとしか鈴子には思えなかった。やはり自分の手で髑髏を取り戻して誰にも悪用されることがないよう守らねばならない。そう決意した鈴子はアーカム職員の目を盗んで駅を脱出して、再び愛国者党のアジトに向かいます。
一方、愛国者党のアジトの集会場所に潜入した優は、ケルトハイマーのアレキサンダー大王まで登場する狂気に満ちた演説に呆れて、更に水晶髑髏の力を使って世界の核抑止システムを無効化して世界を混乱に陥れた後に新生ドイツ帝国が世界を制覇するとかいう実現可能とも思えない荒唐無稽でいて危機だけはやたら招きそうな危なっかしい計画と、それをヒトラー総統が望んでおり、自分はヒトラー総統といつも会話しているとか言い出すのを見て、これは完全に狂っていると断定し、こんな狂った連中に絶対に髑髏を持たせていてはいけないと、同じくケルトハイマーにドン引きしているスポンサー企業の連中を人質にとって髑髏を渡すようケルトハマーに迫った。
狂っているといってもケルトハイマーは自暴自棄な狂人ではなく、明確な目的を持った狂人ですから、その目的達成のために必要な資金源であるスポンサー企業の人間を見捨てることは出来ないだろうと優は見越したわけです。正攻法で髑髏を奪おうという作戦は前回ミラージュの邪魔が入って失敗しており、この集会場にはそのミラージュも、前回優と互角の戦いをしたボーもいるので分が悪い。だから人質作戦は上手い手といえます。これに対して堅物のボーは「卑怯者」と言って怒りますが、ケルトハイマーは怯んだ様子であり優の作戦は上手くいくかに思えた。
しかしアジトの外で中の様子を窺っていた鈴子がハンスに見つかって捕らえられてそこに連れてこられたことで形勢は逆転してしまう。これには優も予想外だったようで、鈴子の蛮勇に驚き呆れますが、ハンスがナイフを鈴子の首に突きつけて武器を捨てるように優に迫ると、優は自分が武器を捨てたら鈴子を解放するという約束で大人しく武器を捨てて愛国者党の兵士たちに銃を突きつけられて囲まれてしまう。あくまで髑髏奪還という任務優先で考えるならば鈴子は見捨てるべきところなのでしょうけど、やはり優は今回あくまで私情優先でいくつもりみたいです。
こうして優が完全に無力化されて鈴子の人質としての意味が無くなったので、ボーはハンスに早く鈴子を解放するよう促します。さっき優が人質を取ったのを「卑怯者」と罵ったばかりのボーはその直後に仲間のハンスが鈴子を人質に取ったのでかなり決まりが悪くて、さっさとハンスに鈴子を解放させようとしたのですが、しかしケルトハイマーは優との約束を破ってハンスに鈴子を好きにしてもいいとトンデモない許可を与えてしまう。鈴子の父の川原教授をバラバラに斬り裂いて殺すのを楽しんでいた快楽殺人者のハンスですから鈴子を斬り裂けると大喜びですが、突然ミラージュに叩きのめされてしまう。
実はミラージュの正体は優と同じアーカム所属のスプリガンで、しかも最強のスプリガンと言われる凄腕で、優の師匠なのだそうです。ミラージュは愛国者党に潜入するために名乗っていた偽名で、スプリガンとしての本当のコードネームは「朧」という。おそらく前回、優に愛国者党の水晶髑髏の起動実験の情報を伝えた匿名の連絡者は朧であったのでしょう。また今回、優が愛国者党の集会場に単身乗り込むという割と無謀な作戦に出たのも、鈴子を人質に取られてあっさりと武器を捨てたのも、全ては朧が味方であることが分かっていた余裕からだと思われます。
ただ、前回最初に愛国者党のアジトで朧と接触した際には優は本気で驚いていて、もともと優は朧が愛国者党に潜入していることは知らなかったようです。朧の方は優が乗り込んでくる前に優が街中で襲撃者たちを返り討ちにしている監視ドローンの映像を愛国者党のアジトで見せられていたので優が来ることは事前に分かっていたようですが、それ以前は朧も優がアレキサンドリアに来ていることは知らなかったのでしょう。つまり優と朧はそれぞれ別のミッションで動いていて、たまたまそのターゲットが同じ愛国者党であったのでアジトで鉢合わせたのだと思われます。
では朧はどういうミッションで動いていたのかというと、スプリガンは超古代の遺産の回収が任務ですから、朧もまた別のオーパーツを追っていて、それが愛国者党にあるという情報を得て潜入していたのでしょう。ケルトハイマーはヒトラーが手に入れたアレキサンダー大王の古代文献には多くのオーパーツについての情報が記載されていたと言っていた。この情報が狂人の与太話ではないということは、実際にこの文献の情報に合致して本物の水晶髑髏がアレクサンドリアで発掘されていることが立証している。それならば、その文献の情報に基づいて愛国者党が髑髏とはまた別のオーパーツを手に入れていたとしてもおかしくはない。それが朧が探していた別のオーパーツなのでしょう。
それはとりあえず置いておいて、朧はハンスを倒して鈴子を解放すると優を囲んでいる兵士たちも目にも止まらぬ速さで倒してしまい優を解放すると、スプリガンだという正体を明かして優と共に愛国者党の兵士たちをどんどん倒していく。すると形勢不利と見たケルトハイマーは髑髏を持って数人の兵士たちと共に逃走し、朧は優に髑髏を追うようにと指示する。ここで朧自身が髑髏を追いかけようとしないのは、あくまで朧の追っているオーパーツは別の物だからなのでしょう。
それで優は髑髏を追いかけようとしますが、ハンスが目を覚まして起き上がり逃げようとするのを見て、まず別方向に向かいハンスを追いかけようとします。この優にボーが襲い掛かってきて、前回も優と互角に戦ったボーの攻撃を受けて優は足止めされてしまうが、朧が割って入ってボーを引き受けてくれて優をハンスのもとに行かせてくれます。優はあくまで任務である髑髏奪還よりも私情である川原教授の仇討ちを優先させようとしているわけですが、朧もまたそういう優の私情優先の考え方を支持しているように見えます。
そうして優はハンスを捕まえて、腕をヘシ折って窓から突き落として川原教授の仇を討ちました。そして外でジープで待っていた鈴子と合流して共にケルトハイマーの乗ったトラックを追いかけ髑髏の奪還を目指す。ハンスを倒して川原教授の仇討ちをしたことは優は鈴子には言いませんでした。そもそも鈴子はハンスが川原教授に直接手を下したということは知らないし、もともと鈴子は復讐など望んでいなかったからです。復讐を望んでいたのはアーカムで共に世界平和のために戦っていた同志である優の方であり、鈴子が望んでいたのは父親が命を賭けて守ろうとしていた髑髏を自分の手で取り返すことだけでした。
一方、朧とボーの戦いの方は一方的なものとなりました。アーマードマッスルスーツ着用状態の優と互角の戦いを繰り広げた強化人間のボーですが、朧の前では赤子同然の扱いでした。さすがに朧は優の師匠であり最強のスプリガンといわれるだけのことはあります。だが朧の戦い方はどうも奇妙で、圧倒的な実力差があるのですからさっさとボーを倒して自分の任務を遂行すべきなのに、まるで遊んでいるかのように戦いを長引かせている。そして戦いながらボーに戦いの極意みたいなものを教えようとしている。そうして最後はボーを戦闘不能状態にして倒してしまいますが、息の根は止めようとせず、どうして殺さないのかと問うボーに「あなたは見込みがあります。鍛え直してください。その上でどうしても死にたければ殺してあげます」と言って去っていく。どうやら朧という人間は強者と戦うことを望んでいるみたいで、そのことをスプリガンとしての任務よりも優先しているようです。それが朧にとっての「私情」なのであり、自分自身が私情優先の朧だからこそ、優が私情を優先することにも理解を示してくれたのでしょう。
そして優と鈴子の方は街中で機銃を乱射してくるケルトハイマー達の無茶苦茶な反撃に遭いながら追撃を続けて、追撃は砂漠地帯に入っても続いた。そうしていると愛国者党側の機銃の弾が無くなってしまい抵抗の手段が無くなる。それで困ったケルトハイマーは水晶髑髏から光線を発射して優たちを吹っ飛ばそうと考えて、髑髏にエネルギーの充填を開始する。こんな都市近郊で髑髏の光線を発射したら大惨事になるし、そもそもケルトハイマー達だって死んでしまうでしょう。全く狂人の所業といえますが、それを察知した優は運転を鈴子に代わってもらい、リュックに入っていた手榴弾をアーマードマッスルスーツのパワー全開で前を走る愛国者党のトラック目掛けて投げて、手榴弾がトラック内で爆発し、トラックは大破して止まり、水晶髑髏はエネルギー充填が不十分な状態で空高く放り出されて、空中でエネルギーを全部放出すると、砂の上に落ちて元の状態に戻った。
その水晶髑髏を拾い上げた鈴子は、初めて手にした髑髏は掌に乗るぐらいで予想していたよりも小さくて、なんだか愛らしいと思えた。核爆弾数発分の破壊力で世界平和を脅かす危なっかしいものには思えなかった。その細密な作りを見て、これを作った人は、きっと破壊兵器として使うことなど想定していなかったのだろうと思えた。そして、きっと父もこれを手にした時に自分と同じように感じたのだろうと思えた。それは理屈ではなく、親子なのだから分かるのです。実際は狂ってなどいなかった、考古学を愛していた父親のままであったのなら、きっとそう思ったのだろうということは父親をずっと見てきた娘の自分だから分かるのだと思えた。だから鈴子は、きっと父がこの髑髏を愛おしく思っていて、自分が今やっているように、こんな愛らしい古代遺物を決して悪用されたくなくて命を賭けて頑張ってしまったのだろうということに気付いた。
そして、きっとそれはこの髑髏だけではなくて、父は自分の愛する考古学や古代遺物が悪用されることを何としても阻止したいという一心だったのだろうと鈴子には理解出来た。父は決して「世界平和」なんていうよく分からないお題目のために命を捨てたのではなく、ただ考古学や古代遺物を愛していて、それが悪用されることに我慢がならなかったのだ。それでアーカムの手伝いをして自分のその想いを貫き通したのだ。それは自分のよく知る、優しい心を持つ考古学者であった父親の姿そのままであり、そして今回自分がここまで髑髏を取り戻すために一生懸命になったのは、いつの間にかそうした父親の想いと同じ想いを抱くようになったからだということにも気付いた。そう気付くと、やっぱり親子なんだなと鈴子は思った。いや、自分はようやく父親の本当の娘になれたようにも思えた。
そうしていると、大破したトラックの中からケルトハイマーが這い出してきてトボトボと逃げていく。そもそも川原教授が死んだのはこの男のせいです。真の仇といえる。だから優は、もし鈴子が本当は復讐することでしか満足出来ないと思っているのなら今しかその機会は無いと思い、一応「奴が逃げるぜ」と鈴子に声をかける。しかし鈴子は父と想いが1つとなったことで満足しており「お父さんの守ってきた髑髏が私の手元に戻ってきただけで十分よ」と言って、涙ぐんで髑髏を抱きしめながら首を横に振る。それを聞いて優は鈴子にようやく川原教授の想いが伝わったことに安堵したように「だよな」と呟く。
ところで優が鈴子がケルトハイマーに復讐する機会はこれが最後だと思った理由は、既に他にケルトハイマーに復讐しようとする者がいることを分かっていたからです。それは朧でした。朧は車でその場にやって来ると、逃げようとするケルトハイマーの前に立ちふさがり、ケルトハイマーの胸にあたりに発頚を喰らわせ、心臓に供給される血液量を徐々に減らしていき、苦痛の中でじわじわ死んでいくように仕向けて、砂の上に倒れ込んだまま「いずれ世界は私と総統のものになる」などと戯言を吐くケルトハイマーを砂漠の真ん中に放置して立ち去り、優たちのもとに歩いてくるのでした。
朧もまた優と同じように、共にアーカムで戦った戦友とも呼べた川原教授を殺したケルトハイマーを赦すことなど出来なかったのでした。それは朧の任務ではなく、これもまたあくまで朧の「私情」でした。一方で朧の任務の方はどうなったのかというと、ボーと別れた際は手ぶらであった朧が砂漠に現れた際には脇に何か大型のファイルを抱えていて、どうやらそれが朧の任務における戦利品のようでした。事前に手に入れていたのか、それを手に入れてから砂漠に来たのか、どちらなのかは分からないが、いずれにしても愛国者党のアジトから持ち出したものみたいですが、オーパーツそのものではなく、その資料みたいです。オーパーツ本体はこのアレクサンドリアには無かったのか、そもそも愛国者党はまだ手に入れていなかったのかは不明ですが、とにかく資料を手掛かりに更にそのオーパーツを追うことになるのでしょう。
そのついでに川原教授の仇討ちでケルトハイマーを殺したわけですが、それにしても残酷な殺し方をしたもので、優が「相変らずえげつない殺し方するな」と、さすがにちょっとドン引き気味に言うと、朧は「当然ですよ。私の知人であれほど酷い殺され方をしたのは優のご両親以来でしたからね」と答える。この朧の発言を聞いて優は余計なことを鈴子に聞かれたと思って焦り、朧に食ってかかろうとするが、鈴子に「本当なの?」と問われると、困った顔をして「てめぇだけ不幸だと思うのは甘ったれてんだ!」と悪態をつき、話を誤魔化すように朧に今回の任務で邪魔をされたことを抗議して口喧嘩を始めるのでした。
つまり、どうやら優の両親も川原教授のように身体をバラバラにされるような残酷な殺され方をしたみたいです。今回の前編の冒頭で山本所長が川原教授の死体の状況について話をした際に優に対して配慮が足りなかったと謝罪したのも、優の両親がそういう死に方をしたことを知っていたからなのでしょう。第2話のラストでも優が山菱理恵と同じ孤児院に入っていたことが描写されており、優に両親がいないことは示唆されていたが、そのような事情があったんですね。そして、そういう事情を山本や朧が承知しており、特に朧は川原教授に対するのと同じぐらいの思い入れを優の両親に対しても抱いている様子ですから、おそらく優の両親もアーカムの仕事をしており、その中で惨殺されてしまったのでしょう。
つまり、どうやら子供の頃の優も現在の鈴子と似たような状況だったらしい。だが、ここでの優の焦った態度を見ると、優はそのことをどうしても鈴子には知られたくなかったようです。最初から自分の身の上を話して「不幸なのはアンタだけじゃないんだから我慢しろ」と言ってしまえば鈴子を説得するのも容易だったはずなのに、何故か優はそうしなかった。それは優自身がかつて鈴子と同じ境遇だったから鈴子の悲しみや悔しさがよく理解出来たからです。だから、それに対して不幸自慢で上から目線で水を差すようなことを言いたくなかったのでしょう。こういうところに優という人間の優しさが見えてきます。
また、優は鈴子に感謝していたというのもあって、出来るだけ鈴子の気持ちを尊重したいと思っていた。何に感謝していたのかというと、鈴子と今回出会ったことは優にとっても良き転機となったからでした。いつの間にか惰性で任務をこなしているうちに上から目線で任務優先の物言いばかりするようになっていた自分に対して鈴子が家族を理不尽に奪われた遺族の想いをぶつけて一喝してくれたお陰で、自分は初心を取り戻すことが出来たのだと優は感謝していた。それは鈴子と同じように「親が命を賭けて守ろうとしたものを取り返したい」という個人的な想いであり、そしてその想いは「親が命をかけた仕事を自分も引き継ぎたい」という想いへと変わり、優はアーカムでスプリガンとなったのです。その初心を思い出したから、今回のミッションでも優は任務よりも自分の個人的感情を優先するようにした。それは一般的にはこうした裏の世界では良くないことのように思えますが、朧もまた個人的感情を優先させて動いているようですし、スプリガンとはそういう人間的な感情を優先する者に資質があるものなのかもしれません。
そして鈴子の方は、朧の言葉を聞いて優が自分と同じ境遇であったことに気付き、優が自分に対してそのことを隠して気を遣ってくれていたことにも気付いた。それはおそらく優も自分と想いが似ているからなのだろうと察した鈴子は、それならば自分も優と同じような生き方が出来るかもしれないということに気付いた。高校生の優がアーカムでこんな危険な仕事をしているのは、おそらく亡くなった両親の想いを引き継ごうとしているからなのだろうということは鈴子にはよく分かった。それは、鈴子自身にそうした想いが湧き上がってきていたからでした。水晶髑髏を取り戻して手にしたことによって「考古学や古代遺物を悪用させたくない」という父の想いと自分の想いが同じであることに気付くことが出来た鈴子は、ならば自分がその父の想いを引き継ぎたいという強い想いが湧き上がってきていたのです。そして、そうした自分と似た想いを優がアーカムで実現しているのを見て、鈴子はアーカムという組織を少し見直した。任務優先の冷徹な組織かと思っていたが案外と人情味のある人もいるようだと思えた。そしてアーカムという組織で自分の想いも実現出来るかもしれないという可能性を感じることが出来たのでした。
そうして優が任務を終えて日本に戻ってきて1週間が経った頃、なんと優の高校に鈴子が産休教師として赴任してきた。事情を聞くと、鈴子は帰国してから「どうしても父の後を継いで遺跡の発掘がしたい」と思い勤務先の学校を辞職してアーカム日本支部に遺跡の発掘を手伝いたいと申し出たのだそうです。すると山本所長がその申し出は受け入れてくれたが、いつも遺跡の発掘の仕事があるわけでもないし教師の仕事も辞める必要は無いだろうと言って、アーカムの資金で運営されている優の通う高校を紹介してくれたのだという。こうして鈴子も優と同じように、「世界平和」とか「人類の救済」などという高尚な目的のためなどではなく、ただ大切な人の大切にした想いを受け継ぐという道を歩みだすことになったのでした。ただ、山本が鈴子に教師を続けることを勧めたのは実際は山本自身がアーカムの将来に危惧を抱いているからなのであり、この道も決して前途が安泰とも限らないというのは忘れてはいけません。
結局、今回この「水晶髑髏」の章で描かれたことが何だったのかというと、それは「歴史や伝統を受け継ぐということ」の意味なのだと思います。ここで対比的に描かれているのが国家社会主義愛国者党のように遥か昔に遡る壮大でロマンチックな歴史や伝統を引き継ごうとする者たちと、鈴子や優のように親の想いを受け継ごうとする者たちです。確かに先祖の遺した伝統を受け継いでいくことは大事なことではありますが、それを1つの壮大な物語に集約して一度に多くの人々を賛同させようとすると、それは悪用されたり捻じ曲げられたりするリスクが高くなる。前者の愛国者党などがその悪い例といえる。歴史や伝統というものが悪用されて世界の脅威になることがないようにするためには、やはり後者の鈴子や優の例のように、会ったこともないような昔の人ではなく自分の直接知っている信頼出来る人生の先達が本当に命を賭けて大切にしたものを受け継ぐというのが良いと思う。そうすれば必ず本当に大切なものは次代に受け継がれるのであり、1人1人が自分の責任で同じように自分の信頼出来る先達から大切なものをそれぞれ受け継いでいけば、総体的に必ず良き伝統は引き継がれていく。それを何世代にもわたって繰り返していくということが、本当の意味での「歴史や伝統を受け継いでいく」ということになるのだと思います。