2023夏アニメ 8月19日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2023年夏アニメのうち、8月18日深夜に録画して8月19日に視聴した作品は以下の5タイトルでした。

 

 

七つの魔剣が支配する

第7話を観ました。

今回は前回の衝撃のラストのオリバーの正体が明らかになった?いや、なったのか?よく分からんけど、とにかくオリバーが復讐目的にキンバリーに入学したという話の続きが描かれたわけではなく、また別の話が描かれました。どうも話がまだとっ散らかっている印象です。まぁそれでも面白いから良いんですけど、もうちょっと分かりやすいと嬉しいんですけどね。どうにもキャラが多すぎて覚えきれないのも辛いところです。

今回の冒頭は前回のダリウス先生の殺害事件を受けて学校長のエスメラルダをはじめ6人の教師陣が密談をする場面ですが、こいつらが要するにオリバーの母親を殺した共犯者でありオリバーの復讐の対象ということです。だが、ここに更に共犯者っぽい立ち位置で現れる教師が、これがミシェーラの父親で、しかもナナオをキンバリーに連れてきた人みたいなんですが、これもオリバーの復讐対象ってことになるんでしょうかね。ヤバいですね。

その後、どういうわけかピートが女体化してしまい、皆にそれを隠そうとして必死になります。声優が杉山里穂さんだったのはそういうことだったんですね。う~ん、これはなんとも予想外な方面からエロい展開になってきました。結局なんか両性具有みたいなんですが、魔法使いの世界ではそういうのはよくある話みたいで、むしろ魔力が増えて良いことらしい。

あと、箒術の授業が描かれて、魔法使いが跨って空を飛ぶ箒は実は魔法生物だそうで、馬みたいなものらしい。それでナナオが乗ることになった箒が先生すら乗りこなせなかった暴れ箒で、実はオリバーの母親が乗っていた箒らしい。まぁそのことに気付いたのはオリバーだけなんですが、奇妙な縁を感じます。あとはヤバそうなエンリコという教師の魔法工学の授業でガイが意外な活躍を見せたり、ミシェーラの従妹とその従者というライバルっぽいキャラの登場とか、色々と新しい要素もありました。

まぁ面白いんですけどねぇ、ちょっと話がまだまとまってない印象で、長編の物語だからこんなペースで良いんでしょうけど、1クールで収拾がつかないんじゃないかと思う。2クールあるんですかね?今はこれでいいんですけど、もうちょっと見てまだまとまりがついてないようだったらちょっと評価を変えなきゃいけないかもしれませんね。

 

 

彼女、お借りします(第3期)

第31話を観ました。

今回は映画の撮影も全部終わり、夏の終わりの時期、編集作業を映研に任せる一方で上映の方の準備に和也が取り掛かる中、瑠夏の誕生日の和也と瑠夏のデートの話と、千鶴が病院に祖母の小百合の見舞いに行く話が描かれました。展開としては大きな展開ではなく、繋ぎ回っぽい内容なんですけど、かなりグッとくるものがありましたね。ほとんどムリに思えたことをやり始めて、バタバタと忙しい中を走り切ってそれをやり遂げ、一旦一息つくエピソードだったからなんでしょうね。まぁそれは主に後半部分であって、前半は和也と瑠夏の楽しいデートのエピソードであったので、瑠夏は元気でエロくて、和也は相変わらずスケベで、この2人のドタバタでエロい遣り取りは相変わらず面白くて大満足でした。

まず前回の和也と千鶴の2人っきりになってしまった信州への撮影旅行で撮ったラストシーンの映像素材を含めて、全ての映像素材を、撮影旅行から帰ってきた後で和也は映研に渡して編集作業を託して完成を待つことになり、支援してくれた人達を招いての上映会を9月30日に行うことを決めて上映のための映画館を探すことになった。そうしているうちに8月26日がやってくる。それは瑠夏の誕生日であり、前回ラストで飯山駅まで押しかけてきた瑠夏と誕生日デートをすると約束した日です。

ただ、(仮)とはいえ彼女なのですから瑠夏と誕生日にデートするぐらいは普通は当たり前です。だから、デートそのものは前回ラストに瑠夏と約束させられた「撮影旅行に連れていかなかった代わりに何でも願い事を聞いてもらう」ということには該当しないと和也は思っている。そういうわけで和也はおそらくこのデートで何か瑠夏が無茶な願い事をしてくるのではないかと気が気でない。もちろん、これまでの瑠夏の行動から想像すると、何かエロいことを要求されるのではないかと心配している。いや普通は健全な男子大学生ですからエロいことが嬉しくないはずはない。ただ、和也は瑠夏が自分とエロいことをしたのを既成事実化して自分と千鶴との仲を引き裂く材料として使うのではないかと警戒しているのです。

もともと瑠夏は和也とは和也の友人の栗林のレンタル彼女として出会ったが、瑠夏が和也のことを好きになって本物の交際を迫ってきて、当時からレンタル彼女の千鶴のことを好きだった和也は断りたかったが、千鶴のことを好きだと言えない状況で、千鶴に勧められたのもあって、押し切られて仮の彼女として交際を始めることになった。だが、その後しばらくして和也は本当は千鶴が好きだということを瑠夏に告白して交際を終わらせようとしたのですが、瑠夏は和也の気持ちが千鶴に向いていると知った上で交際を継続すると言った。そしてその後も千鶴に対抗するように積極的なアプローチを仕掛けてきた。

それを見て、和也は瑠夏が既成事実を積み上げて自分が千鶴と結ばれないようにしようとしているのだと感じた。いや、そうやって自分と千鶴が結ばれないことを和也は恐れていたわけではない。もともと和也は千鶴が自分のことなど相手にしていると思っていないので、千鶴と結ばれるとは思っていない。だから瑠夏が邪魔しようがしなかろうが関係ないのです。むしろ和也の気がかりは、そうやって瑠夏が意味の無い対抗意識を燃やして無理をしているのではないかということなのです。

和也自身は千鶴が振り向いてくれないと思っていても、それでも千鶴のことを好きな気持ちは変わらないので、瑠夏の気持ちに応えてあげることは出来ない。それなのに瑠夏が自分を振り向かせようとして無理をして、まだ若い彼女が年齢不相応な背伸びをして無駄な努力をした挙句に後で悔やむことにならないか心配なのです。和也は千鶴だけでなく瑠夏のことも自分には不相応な素晴らしい女性だと思っていて、本来は瑠夏ほどの可愛い子が自分なんかのために必死でエロいことをしてアピールなんてする価値は無いと思っている。自分が中途半端な態度をとって瑠夏に千鶴への変な対抗意識を植え付けてしまって瑠夏を意固地にさせてしまったせいで、瑠夏に自分なんかのために無茶なことをさせてしまっている。そのことを和也はずっと気にしていて、今回も瑠夏が何か無茶なことを仕掛けてくるのではないかと気が気ではないのです。

ただ、それはあくまで和也の理性の面での話であって、健全な男子大学生ですから本能にもなかなか逆らえないのが辛いところです。今回も誕生日デートということで海辺のホテルのプールに行くことになり、ビキニの水着姿の瑠夏を見ると男子の本能が喜ぶのに抗いがたくなってくる。仮でも彼女なんだから誕生日デートは当たり前、夏なんだからプールでデートも当たり前、プールなんだから可愛いビキニ姿も当たり前。だからこれはまだ「お願い事」ではないはず。じゃあ瑠夏の「お願い事」って何だろうかと和也は考え込むが、それは見方を変えると、どんな大胆なことでも「当たり前」で済まして受け入れてとりあえず楽しんでしまっているように見えなくもない。

そうしていると瑠夏が背中に日焼け止めクリームを塗ってほしいと言ってくる。そんなエロいことしちゃマズいだろうと焦る和也であったが、瑠夏に「恋人としては当たり前です」と言われると、確かにこれも「当たり前」の部類のようにも思えてくる。裸の身体の部分を触るわけではなく、あくまでクリームを塗るだけならばセーフであり、これもまだ瑠夏の「お願い事」ではないはずだと自分に言い聞かせて、結局は和也は瑠夏の背中の裸の肉に感触と、更に和也が触るたびに漏れ出る瑠夏の喘ぐような声を堪能してしまいギンギンに勃ってしまう。それで焦ってさっさと切り上げようとするが、瑠夏は続いて脚の方も塗ってほしいと言ってうつ伏せに寝転がって脚線美を見せつける。「嫌ですか?」と言われてしまうと、恋人同士なら嫌とは言えないのだろうと思うしかなく和也も受け入れ、脚にもクリームを塗り始めてしまい、その手がいよいよお尻に伸びた時にちょうどクリームが空になってしまい和也は我に返って笑って誤魔化してプールに飛んでいき冷水に浸かってチンコを鎮めます。

ただ、瑠夏の方はここで大胆に和也を挑発していたように見えて、実際はかなりギリギリのところだったみたいで、和也が行ってしまった後も1人でドキドキが止まらない様子でした。本当は恥ずかしくて仕方なかったんでしょうね。でも、それは和也が危惧していたような「千鶴に対抗するために無理をしているんじゃないか」というのとは少し違うようでした。瑠夏はスマホの心拍計を作動させて自分の心拍が90を超えているのを見て嬉しそうにして、和也にも自分と同じぐらいドキドキしてほしいとも呟く。瑠夏は千鶴に対抗するためとか、既成事実を作るために和也に向けて大胆な行動をしているのではなく、こうしてドキドキして心拍数が上がる状況そのものを楽しんでいるのであり、そのために和也と共にこうしてデートしているのです。

実は和也も千鶴も知らないが、瑠夏は生まれつきの徐脈で、心拍数が普通の人よりも少ない。それで子供の頃は激しい運動が出来なかったが今は健康そのものです。だが心拍数が低いため他人と違ってドキドキしたことが無くて、自分は感動したりすることのないつまらない人間なのだとコンプレックスを持っていた。それで恋をすればドキドキするかもしれないと思ってレンタル彼女をやり始めたのだが、レンタルのお客さんの誰とデートしてもドキドキせず心拍数も上がらなかった。だが千鶴をレンタルしている和也と出会い、和也が千鶴に一生懸命になっている姿を見て瑠夏は初めてドキドキして心拍数が90を超えた。だから瑠夏は和也を自分をただ1人ドキドキさせてくれる運命の人だと思い好きになったのです。

だから、瑠夏の和也に対する「好き」という気持ちは、和也が千鶴のことを好きな気持ちや、千鶴が和也のことを好きな気持ちとは、またちょっとベクトルが違うのです。瑠夏は自分がドキドキするために和也を必要としているのであり、だから和也が千鶴のことが好きだと分かっても別れようとはしなかったのです。だから和也が心配しているように「既成事実を作って和也と千鶴の仲を引き裂こうとしている」というわけではなく、そのために無理なことをしようとしているのでもない。ただ単にドキドキするために和也と会って、恋人同士のするようなことをしたいだけなのです。だから和也が邪推するような既成事実作りなどは企んでおらず、「お願い事」というのも瑠夏は誕生日デートをしてもらうだけで目的は果たしており、和也が心配するようなエロい要求などはもともと無かったのです。

ただ、夜になってホテルのビュッフェで夕食をとって、その際に誕生日プレゼントをてっきり貰えるものだと思っていたら和也がプレゼントを用意していなかったことにはさすがに瑠夏も凹んだようです。和也としては瑠夏の想いに応えられないと思っている以上、誕生日プレゼントなんて渡せないという想いだったわけですが、瑠夏は悔しさのあまりヤケ喰いします。

そうして夕食後にホテルから出て浜辺で2人で座り、和也はまだ瑠夏が何か無茶な願い事をしようとしているのだと思っているので、そこまで瑠夏を追い込んでしまったのは自分のせいだと反省して、これまでの経緯を謝り、自分なんかのために無理をする必要は無いのだと諭します。だが、それを聞いて瑠夏は自分が何か既成事実を作ろうとしてこの誕生日デートに和也を誘ったのだと誤解されていることに気付き、和也の背中を叩いて「私、そんなこと思ってません!見くびらないでください」と言う。そして、確かに千鶴と和也のことを想って焦ることもあるけど、自分は誕生日ぐらいはやっと出会えた運命の人である和也のお姫様になりたかっただけだと言う。そして、初めて出来た彼氏を願いを叶えてくれる王子様だと思いたかっただけなのだとも言う。

それを聞いて和也は全ては自分の邪推だったのだと悟り、反省した。そして、瑠夏が本当はすごく純粋な子なのだと改めて実感した。そして、だからこそ、どうしても千鶴のことが好きで瑠夏の気持ちに応えられない自分がこんな純粋な瑠夏をこうして振り回していてはいけないのだと強く思った。映画のことだって、瑠夏には何のメリットも無いのに結局は巻き込んで振り回してしまった。そのことを和也が謝ると、瑠夏は「山手線と中央線のどっちが好きか?」と奇妙なことを言い出す。

瑠夏は以前に新宿から東京までわざと山手線で遠回りして乗ったことがあるという。その時に最初は無意味なことをしてると自分でも思っていたのだが、西日暮里で桜並木を見て考えが変わったという。一見すると無駄な回り道でも、そこには素敵な出会いや経験が待っていたりする。映画の件も最初は単に和也と千鶴を2人きりにさせないために参加したのだが、撮影が始まって参加したら、和也や千鶴やスタッフの皆が頑張っているのを見て、瑠夏もドキドキしたのだという。それは瑠夏にとって楽しい経験だった。そして「ドキドキする」というのは瑠夏にとっては人生の目標でもあるのです。だから謝らないで欲しいのだと瑠夏は和也に言い、歩き出します。

そして、これは瑠夏というキャラの着地点を示唆しているような気がします。もし仮に瑠夏が和也と結ばれることがなかったとしても、和也と出会ったことによって瑠夏は様々な「ドキドキ」を経験することが出来たのであり、その回り道は決して無駄ではなかったということです。

そして手を繋いで歩く2人であったが、やっぱり誕生日プレゼントが欲しかったと蒸し返した瑠夏は、代わりにこれから和也のことをこれまでのように「和也くん」ではなく「和也」と呼びたいと言い出す。それが恋人同士みたいでドキドキするのでしょう。和也もまぁ呼び方ぐらいは大した問題ではないと思い了承して、瑠夏は喜んで「和也」「和也」と呼びまくる。そうすると和也も何だか悪い気はしない。そして瑠夏も「これで千鶴さんに一歩リード」と何だかんだ言って対抗意識も十分あるようです。

続いて千鶴が祖母の小百合の見舞いに行く場面となります。ここで小百合の病状が思わしくない日もあったことが分かる。この場面では元気そうなのですが、病状は決して良くはないようです。そして亡くなった千鶴の母親の話なんかも少しあり、千鶴が一旦花瓶の水を替えるために廊下に出ると、そこに墨がいたので驚く。墨は千鶴が病院に入っていくのを偶然見かけて追いかけてきていたのです。

千鶴は祖母の病気の話は墨にはしたことがないので、いきなり墨が病院に現れて驚く。それで墨は和也がビラ配りをしているところに出会い、一緒にビラ配りしたのだと説明する。その時にビラを見て千鶴の祖母が重い病気だということを知ったというわけです。厳密に言えば以前に水族館に一緒に行った際に和也から「世話になっている人の力になりたい」という話を聞いていて、墨はそれが千鶴だということには気付いていた。だが千鶴の祖母が病気だとかいう詳細までは知らなかったので、ビラ配りしている和也に出会った時に和也が千鶴のために頑張っていることや、千鶴の祖母の病気のことを初めて知ったのだということになります。そのことを聞いて千鶴は、墨が手伝ってくれていたことなど和也から何も聞いていなかったので驚きます。

そして千鶴は墨に映画の撮影は無事に終わり、今は編集作業中で、9月に上映会もあることを伝える。それを聞いて喜んだ墨は、和也が映画を作るためにすごく頑張っていたことを千鶴に伝える。水族館で聴いた話、新宿のビラ配り現場で聴いた話などをふまえて、墨は和也が千鶴のために何が出来るかすごく悩んでいて、何度も挫けそうになっても千鶴のために何度も立ち上がったのだと墨は千鶴に伝え「千鶴ちゃんの想い」と「和也くんの支え」による「2人の力」が映画を作り上げたのだと伝え、「おめでとう」と口に出して涙ぐむ。そうした墨の言葉を聞いて千鶴は墨に感謝すると共に、和也への想いがまた膨れ上がっていく。

そして千鶴は墨を病室に連れていき小百合を見舞ってもらい、墨が帰った後、小百合は「和也くんと付き合いだしてから急にあなたの周りに人が増えたみたい」と微笑む。そして千鶴は小百合に上映会の話をする。今まで上映会の話をしていなかったのは病状を心配していたからなのでしょうけど、元気そうなのでひとまず話をしても大丈夫だと千鶴も判断したのでしょう。それを聞いて小百合は喜び、映画の完成を祝い、和也が頑張ったと褒めます。それを聞いて千鶴はそんなに頑張ってないと言い、色々と和也のダメだったところを挙げていく。

カメラの使い方も知らなかったとか、脚本も無しで制作を始めたこととか、クラファンも最初はダメダメだったとか、ご飯もロクに食べたなかったとか、ずいぶんと傍にずっといて見つめていなければ分からないような細かい粗をほじくり出してあげつらう。千鶴はさっきの墨の伝えてくれた話もあって、次から次へとこの映画制作の日々における和也の思い出が溢れてくるようです。その饒舌すぎる千鶴の口ぶりに小百合もさすがに唖然とする。そしてセミを追い払おうとして和也が川に落ちて替えの服が無いので女物の衣裳を借りて女装して家まで帰ったとか言い出して、思い出すと可笑しくなって笑い出してしまう千鶴の姿を見て、小百合は微笑んで「人に愛が芽生える瞬間は何時か知ってる?」と千鶴に問いかける。「え?」と聞き返した千鶴は「その人のことを楽しそうに語った時よ」という小百合の言葉を聞き、一瞬戸惑い「そんなんじゃない」と呟く。

小百合は千鶴と和也が付き合っていると思っているが、実際はそれは嘘で2人は付き合ってはいない。だから小百合が今頭の中で考えていることは根本的に間違っているのだが、だが、それでも「その人のことを楽しそうに語った時に愛が芽生える」という定義自体は間違っているとは千鶴にも言い切ることは出来ない。何故なら、確かに千鶴が和也のことを今こうして楽しそうに語った時の心の中には和也への愛情は存在していたからである。だが、その愛は成就することはない。だから千鶴は「そんなんじゃない」と答えるしかないのであった。

 

 

スプリガン

第7話を観ました。

今回は「狂戦士」の章の前編となります。「炎蛇」「ノアの方舟」「帰らずの森」に続く4つ目のエピソードということになる。この作品は今期のアニメの中でも特殊で、そもそも世間的には「今期のアニメ」という扱いになっていません。Netflix配信アニメとして去年の夏から配信されているものが今期に初めてテレビアニメとして放送されているので私が勝手に今期のアニメとして扱っているだけです。今や配信でアニメを観るのが当たり前の時代ですから、一般アニメ視聴者にとってはこの作品は去年の夏アニメとい扱いなのでしょうけど、私はあくまでテレビでアニメを観るという前提でどの作品がどのシーズンの作品なのか分類する主義なので、この作品は今期アニメとなっています。

それから、この作品は原作漫画からして非常に古い作品で、およそ30年前の作品になってます。それぐらい古いと、もうちょっとノスタルジーなんて枠を超えていて、ただただ古臭いです。作劇の仕方が今の時代には通用しないぐらい古い。コテコテのフラグとかもあって、ちょっと恥ずかしくなるところがある。だからアニメにセンスを求める人にはあまり歓迎されない作品でしょう。映像演出も30年前ぐらいの外国映画を意識してるそうで、今風のものではない。まぁアニメーションとしてクオリティが低いということは決して無くて、むしろクオリティ自体は高いとは思いますが、ちょっとズレているというか、アニメ作品としては決して成功しているとは言えないでしょうね。少なくとも現在のアニメ視聴者に人気が出るようなものではない。

話の内容は、いかにも90年代の少年漫画という感じです。当時の少年漫画というのは、現在とは違って完全に男向けに描かれていて、あまりスタイリッシュな作品は無くて、ひたすらバカだったり、ひたすらエロかったり、ひたすら硬派でした。この作品はひたすら硬派な部類で、かなり難しくて説教臭い内容、メッセージ性が強い内容です。考察系というより、そもそも考えないと話も理解できない。まぁ現在のアニメ視聴者が好むような作品じゃないでしょうね。

まぁしかし私はそういう「古臭さ」というのはあまり気にはしません。そういう基準で作品の優劣をつけてませんし。去年の視聴した作品で最高評価をつけた「進撃の巨人」や「メイドインアビス」なんて、そもそも私は現在の作品として優れてると思って最高評価をつけたわけじゃないですから。むしろ「30年後でも残る作品」だと思うからこそ最高評価してるわけで、ならば逆に言えば「30年前の感覚の作品」でも面白ければ同様に最高評価は出来るわけです。30年も経てば「進撃の巨人」も「メイドインアビス」も作劇も作画も何もかもが古臭くて笑ってしまうレベルになってるでしょう。それでもこれらの作品はテーマが色褪せないから残るのです。

この作品もまさにそういう作品で、物語に込められたテーマの重厚さや壮大さから30年経っても残っていてアニメ化されており、おそらく30年後にも残る、つまり「進撃の巨人」や「メイドインアビス」と同様のSSランク級の作品と言っていいでしょう。エンタメとして面白いのかというと確かに疑問符はあるが、そもそもSSランクはエンタメではなく、そういうのを超越した凄い作品を選んでいるので、この作品はむしろSランクよりも別枠扱いのSSランクの方がしっくりくる。

前クールで「ヴィンランド・サガ」の扱いに困っていて、Sランク内でノイズになっていたのでSSランクに移しからスッキリしたが今期もずっとこの「スプリガン」の扱いに困っていてSランク内で他の作品とペースが合わずにノイズになっていた。かといってA+ランクが適切な作品でもなく、やっぱりこの作品も「ヴィンランド・サガ」同様にSSランクがしっくりくるのだとようやく分かりました。ただ同じSSランクでも「進撃の巨人」や「メイドインアビス」とは「同様」とは言ったが「同等」とは言ってない。SSランクにも色々あって、ああいう「超神回」が連発するような化け物作品とはまたちょっと違うタイプです。この作品の場合は「ゆゆゆ3期」とか「平家物語」ぐらいと同等のSSランクでしょうね。

物語の完結部分ではないのだが、この作品の場合はオムニバス形式になっていて、各エピソードが完結性が高いのでちょっとした短編映画集とでも考えればいいでしょう。だから物語内にクライマックス部分ではないが満足感は毎回高い。ただ問題はこの作品の場合はもともと45分で1エピソードが構成されていて、今期のテレビアニメ版では放送枠の関係で1エピソードを2話に分けていることです。これはもともと12話構成の中で「繋ぎ回」や「溜め回」があるというのとは全く違う。「繋ぎ回」も「溜め回」も基本的に1つのエピソードとして作られているのでちゃんと起承転結はあるのです。だが「スプリガン」の45分の1エピソードは45分内で起承転結が描かれており、それを前後編に2分割すれば、前編は「起承」で後編は「転結」になってしまう。そうなると後編を見ないと前編は意味もよく分からないし何が面白いのかも分からない。そういう観点でこれまでこの作品は前編で評価を下げて後編で評価を上げて、そしてまた前編で評価を下げて、というのを繰り返してきたんですが、毎エピソードちゃんと後編で回収されてる以上、前編も評価を上げた方が良いでしょう。それも後編のまとめ方は最高級の出来栄えなわけで、それは前編のフリが良いからなのですから、前編だけで見た時は評価不能でも、後編まで見ると前編を低評価する理由が見当たらなくなる。それならば12話構成の作品ではなくて6話構成の作品として捉えて、話数が少ない作品として順位を補正すべきなのかというと、きっちり12話分の尺はあるわけですからそういうわけにもいかない。だからやっぱりSSランク評価にして他の作品とは別枠にしておくのがランキングがややこしくならない一番の方法だと思いました。

それで今回のエピソード、「狂戦士」の章の前編ですが、「起承転結」の「起承」部分だけですから、とりあえず今回分だけではあまり大したことは言えません。簡単にまとめれば、今回は主人公のスプリガン御神苗優がイギリス軍に奪われた危険なオーパーツ「狂戦士」を封印しようとしてひたすら追跡戦を展開していく内容となっており、かなり血生臭いアクションシーンが続き、優がイギリス軍の兵士たちを殺しまくっていきます。しかし優は追跡戦の中で狂戦士を奪うことには失敗し、イギリス軍はその狂戦士を基地に運び込んで、そこでその狂戦士を覚醒させてしまう。それは戦闘ロボットのようなもので、その狂戦士の暴走によってイギリス軍は大損害を受け、そこに追いかけてきた優とその狂戦士とが対決することになったところで今回の前編は終わり、次回の後編に続きます。

これだけではただひたすら優がアクションしてるエピソードに見えます。アクションシーンだけでも十分に楽しめるので別にそれでもいいんですけど、後編で回収される様々な要素が実際は描かれている。もともと45分で1エピソードなのだから、この作品はいつもそうなっている。だが、それを前編だけしか描かれていない状態でああだこうだと言ったところで中途半端にしかならず、やはり後編まで観終わった段階でまとめてああだこうだ言った方が良いでしょう。特に今回はそういう傾向が強いので、まぁ今回はごく簡単に触れておくだけにします。

まず冒頭の場面は優が日常生活を送っている高校で、いつものようにクラスメイトの笹原初穂と香穂の双子姉妹に真面目に学校に来るように説教されていて、同じくクラスメイトの岡部弥生が体育祭の実行委員をやっているから優に体育祭に参加してほしいと頼んできます。弥生は体育祭が終わったら転校していくらしくて、クラスの皆がちゃんと体育祭に参加してくれて良い思い出にしたいのだとのこと。そういう事情を優に伝えて、初穂と香穂も絶対に優に体育祭に来るようにと念を押します。

実は優はこの時点でアーカムの緊急の任務で出動することが決まっていて、3日後の体育祭には帰って来れるかどうか分からない。初穂たちはそんなことは知らないわけだが、当然、優にとっては任務が最優先であり、体育祭に出なければいけない義理は無い。初穂や香穂や弥生とも特別な関係というわけでもないので、彼女らにお願いされたからといって特に従わねばいけない義理も無い。それでも優は体育祭には間に合うように戻ってくると約束して学校を早退して任務に向かいます。

だが詳細な説明も無いまま任務地であるイギリスに向かうと、非常に困難な任務だということが分かって優は困り果てます。「よりにもよって狂戦士(バーサーカー)かよ!」と優が舌打ちするほどの任務ですから、よほど困難な任務なのでしょう。いや困難というだけでなくて、今回は露骨に嫌悪感を示しているのが特徴的です。優という人間はこれまでに描かれた「炎蛇」「ノアの方舟」「帰らずの森」の章においてはオーパーツに対して嫌悪感を示したことはない。どこかロマンチックな憧れのような反応を示すことが多かったのだが、今回はその「狂戦士」というオーパーツに対しては最初から嫌悪感しか示していない。これまでのオーパーツとはちょっと系統が違うものみたいです。単に対処が困難というだけでなく、根本的に優にとっては「狂戦士」というオーパーツは嫌悪の対象みたいで、以前から知っているものみたいです。

その後は優とアーカムの兵士たちが、手に入れた「狂戦士」を自分たちの基地に移送しようとするイギリス軍を阻止するために戦闘する場面となります。これはガチの殺し合いであり、優も普通にイギリス兵をバンバン殺していきます。イギリス軍の抵抗が激しくて他のアーカム兵たちはなかなか前進出来ない中、アーマードマッスルスーツを着用して常人離れした戦闘力を発揮する優は突出してイギリス軍の前線を突破して進んでいき、そのぶん一番多くイギリス兵を殺していきます。まさに殺人マシーンのようであります。「ノアの方舟」と時は敵兵を殺そうとするジャンを止めていた優ですが、あの時は敵兵が戦意を喪失していたからであって、今回は敵も殺す気で攻撃してきていますから当然ながら優も相手を殺す気で戦っています。

ただ問題は実際の戦闘が殺し合いであるか否かというのではなくて、あえてこういう凄惨な戦闘描写をしているというところです。いやこの作品は凄惨な戦闘描写自体は多いのだが、仮にも少年漫画の主人公である優がここまで直接的に殺人をしまくる場面を描くというのは割と珍しい。強敵と戦って死に至らしめるという場面は少年漫画でもよくありますが、この場面では明らかに優の方が強者であり敵兵は弱者です。強者である優がいくら敵意がある相手とはいえ弱者を殺しまくっている。しかもこの戦闘はアーカム側が襲撃して始まったものであり、イギリス軍は防衛戦を戦っている。どうにも優の側に正義が無いように見えてしまう。その気になれば優が敵兵をあえて殺さずに制圧するといういかにも少年漫画的な描写をすることも出来るはずなのに、今回はあえてそういうことはしていない。こういう残虐描写はあえてやっているようであり、それは「狂戦士」というオーパーツがそれほどまでに危険な代物だということを強調するためなのでしょうけど、確かに優の方もある意味では「狂戦士」と呼ぶべき側面を持っているということも強調しているのでしょう。狂戦士を止めるためには、止める側も狂戦士にならねばいけないという意味と解釈すればいいでしょう。

ただ、そのように狂戦士ともいえる殺人マシーンと化しながらも、同時に常に優が持っているスマホのタイマーを気にしている場面も定期的に挿入されている。このタイマーは体育祭の始まる時間だと思われ、殺人マシーンのように戦いながら、同時に普通の高校生としての生活を大事にしようという優の別の側面もこうして描写されている。「ノアの方舟」の章でもマクドガルに「人類の救世主気取りか」と揶揄された際に、優は自分の戦う理由はそんなものではなく、自分の周囲の日常の平和を守るためだけだと答えており、こうして殺人マシーンと化して狂戦士を封印しようとしているのも、優の場合は動機はそんなところなのでしょう。ただ別に戦闘中にそれをいちいち気にする必要は無いし、むしろ気が散るので有益とはいえない。だから優がいちいち戦闘中にタイマーを見るのは別の意味もあるのではないかとも思えてくる。

結局、さんざん戦った挙句に優は狂戦士を載せた輸送機の離陸を阻止出来ず、輸送機はイギリス軍の飛行場に到着してしまい、狂戦士の入ったコンテナはヘリを経由してイギリス軍のとある基地内に運び込まれてしまい、優はヘリでその後を追います。その後、場面はそのイギリス軍の基地内の場面に変わり、そこではイギリス軍の技術将校を務めるマリア・クレメンティ中佐と民間の考古学者のマウザー博士のチームとの問答が描かれます。

クレメンティ中佐はMITを首席で卒業して20歳で博士号を取得した機械工学の超天才という才女で、現在は軍の技術将校をしています。一方でマウザー博士は宇宙考古学というものを提唱している民間のちょっとオカルトがかった考古学者であり、要するに超古代の地球には異星人に由来する超文明が存在していたという異端の学説を唱えているようです。まぁこの作品の世界観的にはそんなに見当外れな主張をしているわけではないんですけど、世間的には狂人扱いされてるようです。そんなマウザー達が今回どういう経緯かは分からないが狂戦士を発見したみたいなんですが、そこにイギリス軍が介入してきて「アーカムの襲撃からマウザー達を保護する」という名目で狂戦士の所有権をマウザー達から奪い取ったみたいです。そこに実際にアーカムが襲撃してきて、結局はイギリス軍はマウザー達を伴ってこの基地に狂戦士を運び込み、これから狂戦士の解析を行うみたいです。その責任者がクレメンティ中佐というわけです。

ただ、マウザー達もクレメンティもこのオーパーツが「狂戦士(バーサーカー)」という名であることは知らないし、それがどういうものなのか全く分かっていない。分かっているのは優たちアーカム側だけであり、だからこそ優たちは必死でそれを奪取して封印しようとしている。それだけ危険な代物なのですが、おそらくマウザーはそれがそういう代物だとは知らずに、た超古代のオーパーツだということだけ分かっている。マウザーはこれまで自身の研究が世間から認められなかった反動なのか、ずいぶん功名心が強い男のようで、おそらくこのオーパーツを発見したのを自慢げにマスコミに報せたのでしょう。それをアーカムが聞きつけて、その形状などを聞いて「狂戦士」という危険なオーパーツだということが分かって当初はマウザーに穏便に接触して譲渡を求めたのでしょう。だがマウザーは自分の発見物を横取りされるのを恐れてイギリス軍に相談し、イギリス軍は「アーカムが動いているということは強大な力を秘めたオーパーツに違いない」と判断して、マウザーからそのオーパーツを奪って手に入れることにした。そしてそのイギリス軍の動きを察知してアーカムが軍事力での奪取を決断し、そして優も駆り出されたというのが事の経緯なのでしょう。

このマウザー博士ですが、アーカムからオーパーツを守るために軍に頼っておきながら、妙に軍を毛嫌いしている。マウザーの言うには、軍は研究の成果の情報を隠匿して軍事ビジネスに利用することしか考えておらず学問の発展に興味が無い連中だから嫌いみたいなんですが、要するにマウザーは非常に功名心が強い男なので、軍によって自分の研究成果が隠蔽されるのが嫌みたいですね。だからマウザーはクレメンティに嫌悪感を示しますが、クレメンティの方はずいぶんとマウザー達を見下しているようです。クレメンティは功名心の塊みたいなマウザーを軽蔑し、自分は国家の安全と平和のために仕事をしていると胸を張る。しかし実際のところは彼女の本音はそんなご立派な軍人根性などではなくて、要するに軍が最上のスポンサーだから軍の仕事をしているみたいです。要するに彼女は自分ほどの最高の才能は最高の研究環境で仕事をすべきであり、その最高の研究環境を与えてくれるのが軍だから軍に従っているというだけで、エリート意識の塊といえます。だから自分のように世間で上手く立ち回れず焦って功名心に走っているマウザーのような輩を見下しており、同時に兵器ビジネスや戦闘などの野蛮な行為に夢中の軍の人間のことも「頭の足りない野蛮人」とでも思って内心では見下しているのでしょう。

だから本当はクレメンティにとってはこんな超古代の遺物の調査なども大して興味は無いのでしょうけど、とにかく自分のスポンサーである軍の意向であり、この調査の責任者は彼女なのであり、さっさと済ませてしまおうということになり、マウザー達も立ち会わせてオーパーツの調査を開始します。それでクレメンティはオーパーツに電流を流すと言い出し、そんなことをして貴重な超古代の遺産が壊れたらどうするのかとマウザーが反対しますが、クレメンティにとっては軍の要望に従って兵器として役に立つかどうか確認すればいいだけですから、電流を流したぐらいで壊れるからそこまでだと考えて、電流を流していきます。すると狂戦士が起動してしまい、その影響で基地の電源が一旦全て落ちてしまいます。

それを外から基地への侵入計画を練っていた優が気付き、狂戦士を起動させてしまったのだと察して、慌てて電源喪失して防衛システムのダウンした基地に侵入していく。そうして中に入って実験ルームのような広い部屋に入ると、そこには焼け焦げた遺体が散乱しており、優は狂戦士が起動したことを確信し、何としても封印しなければいけないと焦ります。

そこにたまたま難を逃れて無事であったクレメンティ中佐が出て来て優はクレメンティを拘束しますが、そこに狂戦士が姿を現して優と戦闘になる。狂戦士は戦闘ロボットという見た目で、1つ目のような部分からレーザー光線を発射してきますが、なんとそのレーザー光線は優の着ているオリハルコン製のアーマードマッスルスーツをかすめると焼き切ってしまい、優は驚きます。

どうやら優は狂戦士の情報を知っているようだが実際に対戦するのは初めてみたいです。考えてみればオリハルコンが使われていた超古代文明の時代の戦闘ロボットなのだから、その発射するレーザー光線がオリハルコンをも貫くのは当然といえます。だとすると、狂戦士の装甲にはアーマードマッスルスーツによる打撃は通用しないと見た方がいい。そうなると問題は現状で優の持つ最強の装備であるオリハルコンブレードが狂戦士の装甲に通用するのかどうかです。「狂戦士はおそらくオリハルコンによる攻撃に対する防御力はある」という前提はあるが、オリハルコンブレードは通常のオリハルコンをも切り裂くまでに強度を上げている。あるいは狂戦士と互角以上なのかもしれない。それは試す価値はあるでしょう。

何にしてもそれ以外には狂戦士に通用しそうな武器など存在しないことは優には分かっている。だから優は一旦物陰に逃れてからクレメンティを含めてイギリス軍の兵士たちはさっさとこの基地から撤退するようにと言い、自分1人で狂戦士と再び戦うと言う。だがクレメンティはそれを無謀だと感じたようで、スプリガン御神苗優の血塗られた戦歴や、この基地に狂戦士を運び込むのをさんざん妨害してイギリス軍の兵士たちを殺しまくってきたということも知っているので、優のことを頭のイカレた戦闘狂だとでも思ったようです。それで優に対して軽蔑の眼差しを向けて、せいぜい囮として利用させてもらうと捨て台詞を残して立ち去っていく。クレメンティは優の忠告は無視して部隊を立て直して狂戦士を制圧しようと考えているようです。そういうわけでクレメンティは一旦去り、残った優が狂戦士と再び戦闘を開始するところで今回は終わり、次回の後編に続きます。

 

 

AIの遺電子

第7話を観ました。

今回は「人間」というサブタイトルのエピソードでしたが、人間という存在がいかに不合理な存在であるかを描いたエピソードでしたね。前回は「ロボット」というサブタイトルで、ロボットとの関わりの中で人間の不完全さを描いていましたが、今回は人間が不合理な存在であるということを描いてきました。つまるところ、人間というのは不完全かつ不合理な存在ということなのでしょう。ただ、前半パートのエピソードは「超AI」としての「MITI」というものの定義がよく分からないのでイマイチ話の内容が分かりにくいところがありましたね。

まず前半パートですが、後藤賢治さんという教育関連のボランティア活動で評判の高い人格者の老齢のヒューマノイドが事故で電脳に障害が生じて主体性や見当識が低下してしまったという事例が描かれます。つまりボケ老人みたいになってしまったわけですが、医者は「超AI」である「MITI」による精神治療が望ましいと言いました。これはプログラムを入れ替えるような治療みたいです。人間の場合はボケてしまうと脳の治療は不可能です。でもヒューマノイドならばそういう治療が可能なわけです。

しかし、この後藤賢治さんは人間の手に余ることを超AIで解決するというのは嫌っていたらしい。それで息子はその父の意志を尊重して超AIでの治療を渋り、別の方法での事態の打開を探りました。というか、この息子は別に何か積極的に父のボケ症状の改善のために動いたというわけではなく、マスコミが勝手にこの後藤さんの状況に注目して、美談めいた話にして盛り上げていたようです。それは孫娘の歌声を聞くと後藤さんの人間性が一時的に回復するということで、この孫娘はヒューマノイドではなくて人間であり、マスコミは「人間の作り出した芸術がヒューマノイドに人間性を回復させる奇跡」みたいな美談を作って喧伝していたようです。

だが「ヒューマノイド・ライツ・ジャパン」というヒューマノイドの人権を追求する団体がそれを面白く思わなかったようです。ヒューマノイドには超AIを使って電脳を治療する道が用意されているのに、その権利を行使させないで別の方法を推奨するのはネグレクトであり人権侵害だというのです。なんでもヒューマノイドの「人権」というものの確立には「超AI」の出現が深く関係しているらしい。だから「超AI」を使わないということ自体がこの団体にとってはけしからんことみたいです。

このあたりの定義がちょっとこのエピソードは分かりにくかったです。「超AI」がどういうものなのか、それがヒューマノイドの人権とどう関わってきたのか、どうして後藤さんのように「超AI」の使用を嫌うヒューマノイドが存在するのか等、ちょっと説明不足でよく分からなくて、エピソード内容を深く考察する妨げになってしまいました。

ただ、今回は結局は「超AI」による治療は行わず、須堂の治療によって後藤さんの電脳の故障している部品を入れ替えて元の状態に戻そうということになります。それを強く勧めたのはヒューマン・ライツ・ジャパンの掛居という男でしたが、掛居はとにかくヒューマノイドは医療によって電脳を完璧に修復出来るという可能性を示したかったみたいです。だが後藤さんの息子は須堂の治療を渋っていて、それを掛居が強引に説得する形で須堂による電脳手術が行われました。

その結果、手術は完璧に成功して後藤さんの電脳は元通りの機能を回復しました。掛居はヒューマノイドが完璧な医療によって元の完璧な人格を回復させた誇るべき事例として後藤さんを取材して喧伝しようとしますが、ここで不都合な真実が明らかになってしまう。なんと回復した後藤さんは息子に理不尽な暴力を振い始めたのです。

最初は須堂による手術の失敗で後藤さんの電脳に異常が生じたのではないかと疑った掛居でしたが、後藤さんの息子は須堂の手術は完璧だと言う。何故なら、こうして自分に理不尽な暴力を振う父親こそが事故の前の父親の真実の姿そのものだったからです。つまり息子が後藤さんの電脳の治療を渋っていたのは、むしろこのままボケ老人のように大人しくしてくれている父親の方が家庭内平和のためには好都合だったからだったのです。

地域の教育関連のボランティア活動に熱心だった人格者の顔も、孫娘の歌声を優しい笑顔で喜ぶ顔も、そして息子に理不尽な暴力を振う顔も、それら全てが後藤さんの真実の姿だったのです。外では高潔な人格者である一方で家庭内暴力の常習犯だったり、大学教授が下着泥棒をしていたりと、人間には不合理な多面性というものがあるものです。ヒューマノイドの電脳も人間の脳を模して作られている以上、そういう特性は同じです。いくら完璧で合理的な治療を受けることが出来たとしても、ヒューマノイドも、もちろん人間も完璧にはなれない不合理な存在であることは忘れてはいけないというお話でした。

後半パートはとある住宅販売会社のクレーム処理係に勤める男性ヒューマノイドの話で、このクレーム係の男は度重なる数多くの顧客からの理不尽なクレームにすっかり精神をやられてしまい須堂の病院に診察にやってきます。須堂はクレーム処理は専用にプログラムされたAIにやらせても大丈夫なのではないかと言う。わざわざ心を持ったヒューマノイドに苦情処理などやらせるから精神を病むのです。確かに現代社会でもクレーム処理を自動音声にやらせている会社なんて結構あります。

ただ、私もそういう会社に苦情を連絡した経験があるので分かりますけど、やっぱりこっちが腹が立っている時に人間が相手してくれないのってイライラしますよね。このお話の中でもそれは同じで、このクレーム係の彼の言うには、やはり苦情を言ってくる顧客の多くは人間による対応を望んでいるとのこと。だからクレーム係の彼がすり減ることになるわけですが、中には彼がヒューマノイドであることにもイラッとくる客もいるみたいで、ヒューマノイドではなく人間による心のこもった対応でなければ満足しないというヒドい客もいるそうです。ただ、クレーム係の彼に言わせれば「むしろ心を持たないロボットじゃなければこんな仕事は続けられない」ということになります。苦情を言ってくる客は「心もこもった対応」を求める一方、苦情を受ける側は「心を無くさねばやっていけない」とは何とも皮肉な話です。

そうして結局、このクレーム係の彼は精神が限界に達して会社に退職すると伝えますが、会社側は特に悪質なクレームの処理を専門の業者に外注するから会社に残ってほしいと言ってくる。それで彼は一度その外注業者のクレーム処理のやり方を見てみようと思い、彼らの仕事に同行し、その驚愕の実態を目にすることになります。

その外注業者のスタッフはそうした悪質なクレーム客からの要望に応えて「人間」で構成されています。但しクレーム対応の特殊な訓練を受けた人間だという。その仕事ぶりですが、彼らは上司と部下の2人組で行動し、客の家に出向くと、部下が客の理不尽なクレームに対して理路整然と反論して、謝罪を拒否して会社側の正当性を丁寧に説明し始めます。すると上司がいきなり部下を殴り飛ばして「お客様に何という無礼な態度だ!」と怒鳴りつけ、そして上司自身は客に泣いて土下座をして非礼をひたすら詫びるのです。すると客はクレームを引っ込めて納得してしまいました。

これは客は別に予想外の暴力に驚いてしまったとか、殴られた部下に同情したとかではなく、上司の態度に満足したのです。客は自分のクレームが理不尽で非合理なことは分かっている。だから、相手が理不尽で非合理な対応をしてくれたことによって、自分のクレームが通ったように思えて気が晴れたのです。部下の反論は正論であり、その正論を上司が暴力で叩き潰して、間違ったクレームをつけている自分に土下座して謝ってくれた。この時点で非合理側が勝利しているのであり、クレーム客はまさにそういう結末を期待していたのです。だからクレーム客は満足したのです。

ただただ論理的に考えるならば、正しい意見が通るべきであり、間違った意見は否定されるべきです。心を持たない苦情対応AIやロボットならばそういうプログラムになるでしょう。ひたすら謝る機能ぐらいでは人間が考えつく奇想天外なクレームには対応出来ずフリーズすることになるでしょう。人間の心というのは間違った理不尽な意見が罷り通るような不合理を求めるものなのです。だから、そうした人間の非合理さや理不尽さを満足させるような上手い対応をすることこそが「心のこもった対応」だということになる。この謝罪専門の外注業者はそういう専門技能に特化した連中なのです。

だから、これは人間の心の不合理さを理解した者にしか出来ない対応であり、人間にしか出来ない対応だと言えます。だから彼らは確かに額面通り「人間」なのです。だが、それを見たこのクレーム係のヒューマノイドの男は、あまりにも人間性を無視したクレームに対して人間性を無視した方法で切り返したその手法を見て、彼らはきっと「心を持たないロボットに違いない」と思った。それでその外注業者の幹部に「彼らは本当に人間なんですか?」と質問する。するとその幹部の男は闇のある笑顔を浮かべて「それは企業秘密です」と答える。それを聞いてクレーム係の男は「やっぱりロボットだ」と思い込んだようですが、私はこの幹部の不気味な笑顔は「それこそが人間の本質なのですよ」という意味だと思う。人間性というのは合理性や純粋さだけで構成されているわけではない。非合理で理不尽で邪悪だったりする。それを理解して対応することもまた立派な人間性なのです。

 

 

デキる猫は今日も憂鬱

第7話を観ました。

今回は幸来が諭吉連れで結婚して自分だけ離婚させられて諭吉を旦那に取り上げられるというアホな空想をして結婚に恐怖を抱く話から始まり爆笑しました。それで、諭吉こそ包容力があって家事もやってくれる理想の旦那像だと判明。結婚して離婚しても諭吉を奪われないように年収アップのため資格を取る勉強をしようとした幸来だったが諭吉に寝かしつけられてしまう。

次はホラー番組を見た後怖くなってしまった幸来が怖がっていることを諭吉にバレないように必死になる話。だが諭吉も夜中に変な水の飲み方をしていたことを隠そうとしていて、ウヤムヤになります。そして次は幸来が猫の飼い主っぽさを身に付けようとする話。諭吉が全然猫っぽくないので、ちゃんと猫を飼ってるようにして怪しまれないようにするためらしい。それで諭吉も協力して猫っぽいことをしようとする。だが何をやっても猫っぽくならない。猫動画のページを見て分かったことは「結局は自分のところの猫が一番可愛いと思うこと」だと幸来が言ったら一瞬でデレる諭吉は可愛い。

そして幸来が壁にコーヒーをこぼしたのをきっかけに部屋のリフォームをしてしまう諭吉の話。部屋は癒し空間なのであって簡素すぎてはならず適度にインテリアに凝るという持論を持つ諭吉であったが、その持論に従えば部屋の主人である幸来は有能勤勉になり出世して猫缶が増えるはずなのにむしろどんどん怠惰になっていく幸来に呆れてしまう。それで今度はアロマオイルでも買いに行こうかと考えるとかいうオチで今回は終わり、次回に続きます。